[第一話 サクラ咲く]

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No.01 散る櫻花



「……次は――白鳳学園駅」
 ノイズが僅かに入ってから、くたびれたアナウンスが入る。
 織田久樹はノイズ交じりのアナウンスを聞きながら、生成りのジャケットのポケットに片手を入れた。何の気なしに電車内に視線を流す。
 臨海都市伏巳区。近頃水先湾を埋め立て、大掛かりな開発が進み始めたこの区は、旧さと新しさが雑多に同居していた。
 伏巳区を走る地下鉄。正午過ぎたばかりの時刻ということで、車両内は閑散としている。
 慣れれば揺りかごのように感じる車内は、がたがたという音が響いていた。ピッと高い音がする。小学生が興じているゲームが発した音だ。
 暇で眺めていた広告から小学生に目を移して、一つ思い出す。昔ゲームをしていると、必ず「何がそんなに楽しいの?」と首を傾げた少女がいた。
「白鳳学園駅。右側の扉が開きます」
 思案を打ち切るアナウンスが入った。立ち上がってホームに下り、扉を閉め後方に去っていく電車を見送る。
 勢いをつけて旅行鞄を肩に担いだ。鼻面を掠めたのか、同じ駅で降りた女性が驚いた顔をする。慌てて歩き出しながら、久樹は白鳳学園駅をつぶさに観察した。
「なんにも変わってない気がするな。拍子抜けって感じだ」
 三年ぶりに訪れた場所だった。だからこそ、懐かしさを感じるだろうと思っていたのだが、意外と何も感じない。乗ったエスカレーターの最後の一段を飛び越えて、改札へと久樹は向かった。
 一瞬定期券を探してしまう。苦笑して、切符で改札を通った。確かな足取りで出口に続く階段へと進み、外が晴れだと確認する。
「あいつ、来てるかな」
 声が弾んだ。一方的に「帰る」と書き送った手紙の結果を早く知りたい。
「わあ、本当に久樹だ」
 結果を知らせる懐かしい声に、久樹は振り返る。三年前はあどけない少女だった斎藤爽子が、薄化粧などをして佇んでいた。
「うわ、色気づいたな、爽子」
「失礼ね。綺麗になったくらい言えない? 久しぶりに会ったのに」
 すらすらと言い返してくる爽子の外見は、記憶とはかなり異なる。腰まであった漆黒の髪は、肩までとなって軽快に飛び跳ねていた。
 爽子は久樹の驚きを理解して笑うと、アスファルトの上を歩き出した。ヒールが地面を蹴る音が高い。我に帰って久樹は肩を竦める。
「爽子に綺麗なんていったら、下心があるって言われるだろ? だからノーコメントだ」
「まるで私が揚げ足取りの名人みたいな言い草ね」
 幼馴染の目の前まで来て、爽子は体ごと首を傾げて下から見上げた。その仕草は、誰かをからかう時の爽子の癖だ。
 ようやく昔と同じ部分を見つけて、帰ってきたのだと久樹は実感し安心する。
 今度は自然に言葉が出た。
「そりゃそうだろ。なにせ、自慢の舌鋒で近所の悪ガキを丸め込んでいたことくらい、俺はばっちり覚えているぜ?」
「それはね、久樹が文句をすぐに言い返さなかったのがいけないの。だから代わりに私が文句を言うから、口が達者になっちゃったんだわ。責任取ってよね」
 指先を久樹の鼻面の前で爽子が振る。
 織田久樹と斎藤爽子は、同じ日に同じ病院で産まれた。家が隣同士という偶然に、両親は二人を兄妹のように育てる事にしたのだ。
 小さい頃の久樹は、口よりも単純に手が出るタイプだった。文句を投げつけられても、咄嗟に言葉が浮かんでこない。逆に一つの文句を、十倍にして返すのが爽子だ。
 自然、口喧嘩を担当するのが爽子で、相手が腕力で訴えてきた時に応戦するのが久樹になる。
 昔のことを蒸し返して、爽子はおかしそうに笑う。続けてごめんと頭を下げた。
「こんな事を最初に言うつもりなかったのに。久樹、手紙をありがとう。でも、日付と時間と帰るの言葉だけって言うのはそっけなさすぎない?」
「爽子が来るかどうか、試したかったのさ」
「人を試すって、あんまり良い行動じゃないわよ。ま、久樹だからいいけど。それで、どっちだと思っていたの?」
 悪戯な瞳を爽子は久樹に向ける。
「どっちって、何がだよ?」
「私が来る確立と来ない確立。どっちが高いと思っていたの、って聞いたの」
「そりゃあ、当然絶対に来ると思ってた」
「相変わらず自信家。ま、それでこそ久樹ね。改めて。白鳳学園大学部合格おめでとう。そしてお帰りなさい」
 明るく言って、爽子は握手を求めて手を伸ばす。爪先は薄紅色。お洒落をしていると確信してニヤリと笑い、子供のように力をこめて手を握り返した。
「痛いっ!」
「爽子は三年前、戻ってくればいいって俺に言った。それはどちらの可能性が高いと思っていたのか教えろよ?」
「尋ねる前に手を緩めて。痛いんだから」
「答えればすぐに離すよ」
 しれっと答える久樹を、爽子は挑戦的な眼差しで睨む。
「勿論。絶対に戻って来るって思ってた」
 自信家なのはお前も同じだろと、久樹は笑った。
 ずっと一緒だと思っていた二人にとって、三年前の織田家の引越しは大事件だった。
 一人で残ると久樹は主張したが、中学卒業したばかりの子供の一人暮しなど許さないと両親は拒否。嫌でも迎えた引っ越しの日に、漆黒の瞳に涙を浮かべて爽子が言ったのだ。
「三年後にね、白鳳学園は寮代わりにマンションを建てるっていってた。その時は私達は大学に入る頃だわ。大学生なら、おじ様やおば様だって久樹の一人暮しを許可してくれるはずよ」
 三年後に会おうと爽子は言う。
 幼馴染の言葉と涙は、久樹に驚きと衝撃を与えた。
 抱きしめたい衝動にかられ、初めて久樹は爽子を恋愛対象として見ていた事に気付いたのだ。
 久樹は三年後に白鳳学園に戻ってくる目標を叶えるために、懸命に努力した。
「寮になったっていうマンションって、どんな感じなんだよ?」
「学校長の趣味を繁栄して、かなり便利に仕上がっているわよ。全室パソコンが完備されてるし、通信もばっちりよ」
「全室完備? 白鳳の学費から考えると豪勢だな。なんか、寮って感じじゃない」
「そうね。あんまり寮!って感じじゃないかな。学園側が用意した施設を使って、炊事洗濯を任せきりにする子もいるけど、マンションを借りてるんだって割り切って自炊してる子もいるわ」
「自炊ね。ま、俺には無理だな」
 ふんぞり返って久樹が威張る。
「久樹は中等部の調理実習で、味噌汁を作るのに出汁も入れないで、鍋に直接味噌をいれて炒めて焦がした大物だものね」
「俺は男だからいいんだ」
「前時代的発言」
 単に料理の才能がないだけでしょと爽子が言うので、久樹は幼馴染を小突く。
「それより、なんか爽子の言い方がちょっと気になるんだけどな」
「なにが? もっと可愛らしい喋り方でもしてあげようか? お・に・い・ちゃ・ん、って呼んでみたりして」
「やめれ、気色悪い」
 甘える妹のように腕を組もうとする爽子から逃げて、久樹が本気で嫌がる。兄妹のように育てられてきたが、恋愛対象と思っている相手に兄妹を演じられるのは嫌なものだ。
「ごめんごめん。で、なにが気になるのよ?」
 真面目な表情に切り替わって、爽子は尋ねる。
「なんか、さっきから聞いてるとな、寮のことを妙に実感込めて話してないか?」
「そうね。そうかもね」
「如何にも伝え聞いたっていうより、住んでる人間のような。――は? 住んでるように?」
「そうそう。結構快適よ。階が高いから海も見えるし。銀の代物を外に置いたら一晩でアウトだけどね」
「まさか爽子」
「ご明察。そう、私も寮に移っちゃったのよ。使用料は安かったしね。丁度住んでいる家も通学には遠かったから。便利かなって」
「呆れた行動力だな」
「そりゃあ私は久樹の幼馴染だもの。さ、行きましょう」
 爽子が走り出し、追って久樹も走り出す。内心、三年間の空白を埋めるのは意外に簡単だったと思っていた。
 そのまましばらく進むと、道の奥に白鳳学園の建物の一部が見えて来る。
 地下鉄の駅名の一つになった学園は、初等部、中等部、高等部、大学部の四つを保持する大規模な私立学園だった。
 白鳳学園の正門から続く道は左右に広がっている。正門に近い順に、左右に初等部炎鳳館、中等部地鳳館、高等部風鳳館、大学部水鳳館と続いていた。直進する道は、共同施設である白鳳館に続いている。
 織田久樹と斎藤爽子が白鳳学園に直接向かったのは、学園の生徒であると証明するカードを取得する為だった。
「生徒証明カードがマンションの鍵になんのか」
 久樹は爽子のカードを取り上げて眺める。便利だけど、と幼馴染は肩を竦めた。
「便利過ぎて無くした時が怖いよね。白鳳学園内の施設で買い物も出来なくなる」
 生徒証明カードにクレジット機能を付加したのは、生徒が学園内で現金を持ち歩くのを嫌って導入されたシステムだった。各生徒の保護者が設定した限度額までの決済を、学園内の店舗でのみ可能にしている。
 白鳳学園がすぐ側に迫った。敷地はぐるりと塀に囲まれている。その塀の上に淡い色が満ちていた。
 ――桜。
「桜が咲いてるぞ」
 満開の桜は花びらを散らせて空を埋めている。久樹は唖然とした声を上げた。隣で爽子が息を飲む。
 新学期が始まっていない道路は人通りが少ない。けれど歩道に散った花びらの幾つかは踏まれ、茶色に変色していた。完全に綺麗なままなのは、塀側に積もったものだけだ。
「気温が低い日が続いてるから、桜の開花は遅れるってニュースを今朝見た気がするんだけどな」
「……そうね。私もそれ、見たわ」
「じゃあ、これはなんだよ?」
「見て分からない? 満開の桜よ」
 唖然とする久樹に冷たく答える。じろりと睨まれて、爽子は肩を竦めた。
「実は私も驚いてるの」
「驚いて当然だとは思うさ」
「だって、来る時は咲いてなかったのよ。桜。久樹を迎えに行く、一時間前は咲いてなんていなかった。なのになんで、咲いてるの?」
「あ? じゃあ、たった一時間で満開になったのか? そんなのアリかよ?」
 困惑したまま、二人は早足になっては学園の敷地内に入る。
 塀の中も、満開の桜に支配されていた。
 ひらひらと舞い降りて肩に触れる花弁。
 桜の花びら一枚一枚は儚く美しい。けれど季節も種類も無視して狂い咲く様子には、悪寒を感じさせるものがある。
「凄まじいな」
 それしか言葉は出なかった。
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竹原湊 湖底廃園
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