[第一話 サクラ咲く]

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No.02 舞姫


 仁王立ちのまま、大江雄夜は三分もの間微動だにしなかった。
 目の前に可愛らしい店がある。店内ではフリルのエプロンを身につけた女性店員が、忙しそうにカウンター内を動き回っているのが見えた。
 雄夜は、可愛いものが苦手だ。
 愛玩動物も、可愛い小物も、可愛らしい食べ物も、可愛すぎる少女も苦手だ。
 可愛いものは、触れると壊れるのではと思えてしまう。見ているとやたらと不安な気持ちになって落ち着かない。
 だから雄夜は、双子の片割れの静夜の顔形も苦手だった。兄弟喧嘩を繰り返し、そう簡単に壊れるような玉ではないと知り尽くした相手でも、壊れるのではと不安に思うのだから根が深い。
 鋭い視線の先で、店員が雄夜を警戒しはじめる。息を落として、隣に立っていた中島巧が肩を竦めた。
「ケーキ屋って可愛いもんばっかりだもんな」
「その上、雄夜兄ちゃんは煎餅大好き人間で、ケーキ類は苦手だしなー。苦手+苦手は拷問みたいなもん?」
 分かり切った事実を、子供たちが好き勝手に並び立てている。ぎろりと交互に二人を睨んでから、雄夜は切れ長の眼差しを店に向けた。
 気合を入れるべく、深呼吸をする。
「巧、将斗」
「なにー?」
 小遣いの残りが少ない為に、二人はケーキが買えない。だから眼に毒な場所からは早く立ち去りたいと思っていたので、返事には不機嫌な色がある。
「手を出せ」
「手ぇ?」
 野球帽を被った頭を巧が傾がせた。将斗が素直に手を雄夜に向ける。雄夜はおもむろに財布から抜き取った千円札を、子供の掌に置いた。
「頼んだ」
「ええーー? 自分で買いに行かねぇの?」
 声を上げる将斗の瞳には、ケーキも一人で買えないの?という疑問が見え隠れしている。
 雄夜は無表情のまま、言葉を重ねた。
「お前らの分も買っていい」
「え! 買って良いのか!? やりっ!」
 歓声を上げる。
 現金なもので、巧の腕を掴み自動ドアの向こうに消えていった。
 とりあえず危機を回避して、雄夜はこっそりと安堵の息を吐き出す。急いでケーキ屋に背を向けた。
 大気が大きく動いた。
 雄夜の側に何かが近付いてくる気配だ。
 確認せずに、雄夜は腕を持ち上げる。僅かに唇を動かして「朱花」と低く名前を呼んだ。
 殆どの人間が知覚できない存在。
 大江雄夜を主とする、式神の一つ。炎の属性を持つ朱花だ。
「桜はどうだ?」
 差し伸べられた腕の上で、朱花は翼を休める。問われて、爛々と輝く瞳を主に向けた。
 ――白鳳学園以外で、桜が咲いた現象は見られません。
「学園内だけか」
 ――他にご命令は?
「ない」
 即座に否定する。
 朱花は主の無愛想さに慣れている。かしこまりましたと朱花が言うと、炎を纏う形が崩れ始めた。
 ゆらり、ゆらりと陽炎が立ち昇っているように見える。次第に輪郭は薄れ、最後に雄夜の掌に小さな札が落ちた。
「雄夜兄ちゃん、買ってきたぞー」
 詰めてもらった箱を持ち上げて、将斗が中から出てくる。巧は雄夜が財布の中に札を戻すのを目ざとく見つけて、唇を尖らせた。
「なぁんだ、俺らが中入ってるうちに朱花戻ってきちまってたのか。ズルイよなー、雄夜にぃは朱花を独占してるし。あんま見してくんないし」
「ペットにあらず、だ」
「でもさ、雄夜にぃの言う事はちゃんときくしさ。ちょっと人語が分かって、喋る変わった鳥じゃん。ペットみたいなもんだよ。なぁ、将斗」
「そうだよなー。いいよな、ペット」
「欲しいよなぁ。飼いたいよなぁ」
 二人、それぞれ希望の動物を思い浮かべて息を付く。雄夜は苦く笑った。
「なら、今度白花を出してやる。朱花はやめておけ。あれは気性が荒い」
「白花!? 出してくれんの!」
 やった、とはしゃぐ巧にあわせて、ケーキの入った箱を持つ将斗までが跳ねて喜びだした。雄夜は素早い動きで箱を奪い取り、歩き出す。
 ケーキ屋以外にも店が建ち並んでいる道を、左に折れる。道を進めば白鳳学園に辿り付き、さらに進めば駅に付いた。
 丁度、中島巧が桜が咲いていると驚愕した場所を通過していくことになる。
「本当にこっち側の桜は咲いてないんだな」
 しみじみとした声で将斗が桜の枝を見上げながら言うと、巧が「不思議だろ」と返事をした。
「白鳳学園内の桜が全部咲いちまったなら、ヘンなのは白鳳学園ってことだよな。でも、半分だけってなんだ? 半分だけにヘンなことが起きるもんか?」
 桜が半分だけ咲いていたことを、ずっと巧は不思議に思っていた。すらすらと疑問を口に出して、拗ねたように唇を尖らせる。将斗がつれなく首を振った。
「智帆兄ちゃんか、静夜兄ちゃんに聞けばいいだろ。巧が考えたって、わからないだろー」
「なんだよ、他人に頼ってばかりじゃ駄目なんだぜ。ちったあ自分でも考えておかねぇと」
「だって面倒じゃんか。任せておいたら解決してくれるわけだし」
「そうじゃなくってだなぁ」
 まだ、何かぶつぶつと主張する巧を無視して、将斗は雄夜を見上げた。
「雄夜兄ちゃん?」
「風の流れが奇妙だ」
 眼がアスファルトを見つめる。
 将斗は雄夜を見上げて、切れ長の双眸に掛かる前髪が、背後から吹く風に浚われて、持ちあがっているのを目撃した。
 すぐ隣で、巧が息を飲む。
「将斗。風が……逆に流れてるぜ……」
 雄夜の背後から風が吹く。
 けれど、前方からも風が吹いてくる。
 前に浚われていこうとする前髪と、こちらに迫ってくる桜の花びら。
 巧が指を口に含んで、空中に指し伸べた。膝小僧から上は後ろから前に風は吹いている。けれど、膝小僧から下は前から後ろに風が流れていた。
「智帆か?」
 困惑した声で、雄夜が呟く。
 大江雄夜は、式神と彼が呼ぶ不可思議な存在を従えている。式神は雄夜と静夜にしか見えていなかった。だが、ある日”見える”人間は増えた。
 同級生の秦智帆、年下の中島巧と川中将斗だ。
 それを知った時、雄夜は少なからず驚愕を覚えたのだ。そして、少しずつ、何故彼等に式神が知覚できる理由が明らかになっていった。
 一人は水を操った。それが静夜だ。
 水は静夜の命じるままに現れ、そして消える。水は、静夜に干渉をはね退ける力と、干渉を封じ込める力を与えた。静夜はそれを”結界”と”封印”と呼んでいる。
 もう一人は風を操る。それは智帆だ。
 彼の言葉一つで、風は自由自在に動く。竜巻やカマイタチまでも操るので、智帆は己を”風使い”なのだと自称した。
 巧と将斗は、時折能力をみせた。巧は大地を操り、将斗は光りに晒されている場所の映像を見る。
 ――全員が全員、奇妙な力を持っていた。
「異端って所だろうな」 
 お互いの能力が分かった時、智帆が皮肉に呟いたのを雄夜は覚えている。年々、能力は肥大化の傾向を辿り、異端は更に異端になろうとしている。
 ――自分たちは異端児だろうか。
 時折、そう悩んでしまうこともあった。
「雄夜にぃ! でもさ、なんかこの風、智帆にぃっぽくねぇぞ!」
 巧が大声を上げた。
 物思いにふけったことに気付いて、雄夜はまばたきをする。三回繰り返して、両手を子供たちの背に置いた。
「巧。将斗。白鳳館の保健室まで走れ」
「了解っ!」
 風にあおられて、ふちが焦げている桜の花びらが迫ってくる。桜吹雪が学園を隠そうと自ら動く意思を雄夜は感じていた。
「白鳳内に、理由の原因はある」
 言葉を吐き捨てて、雄夜も走り出した。


 白鳳学園の校門から、白鳳館まで続く道は、左右に各部に続く道が枝葉のように広がっている。その一つ、大学部水鳳館に続く道を進み、校舎を迂回して背後に出ると、寮として建てられたマンション、白梅館が姿を見せるのだ。
 織田久樹と、斎藤爽子は、白梅館へと続く道をゆっくりと歩いていた。
「あら?」
 足元をくすぐるように流れる風が運んでいる桜の花びらが、突然姿を消した。不思議に感じて爽子は足を止め、視線を左右に並ぶ樹木に向ける。
「爽子?」
 足を止めた幼馴染に気付いて、久樹は振り向いて声をかけた。爽子は漆黒の瞳をぱちくりと瞬きして、一点を凝視している。
「久樹……変だと思わない?」
「なにがだよ」
 大股で歩き、爽子の横に立つ。彼女が凝視している辺りの検討を付け、久樹も習って見つめた。
 白梅館まで続く道の両側を、樹木が埋め尽くしている。別に変わった光景とは思えない。
「なんか変か?」
 首を傾げた久樹を、爽子は見上げた。
「久樹、この木も桜なのよ」
「桜?」
 驚いて、久樹は木に注目する。季節はずれの狂い咲きの桜が背後にあり、咲いていない桜が前方にある。
「奇妙だったのは、あっち側の桜だけだったわけだな」
 変な話だなと久樹は腕を組む。ニュースでなにか報道しているかしらね、と爽子は答えて、そのまま歩き出そうとした。
 ふと、踏み出した久樹の足に何かが触れた。怪訝な顔で足を止める。
「どうしたのよ、久樹。早く部屋に行こうよ」
 不思議そうに声をかけてくる爽子を、久樹は複雑な表情を浮かべて手招きした。
「なぁによ」
 頬を膨らませて、爽子は久樹の側に戻る。耳を貸せ、と囁かれて顔を寄せると、「足を見てくれよ」と言われた。
「足?」
「なんかな、何かが足を触った気がしたんだよ」
 呆れ顔で爽子は視線を降ろす。立ち竦んでいる久樹の足元には特に何もなかった。
「なにもないわよ」
「そうじゃないぞ、爽子。問題は、触れた感じがしたのがズボンの下だっって事なんだ。もしかしたらな」
「もしかしたら?」
「足の中に虫が入ったのかもしれないだろ。しかもだ。その虫が蜘蛛だったらどうしてくれるんだっ!」
 拳を握り締めて久樹が力説する。
 織田久樹は虫全般が怖いわけではない。
 ただ一つだけ例外がある。蜘蛛だ。
 爽子は幼い頃を思い出して息を付く。頭上に蜘蛛の巣があるのを見つけて硬直したり、絶叫を上げたりしていたことを思い出した。やれやれと呟き、額を押さえる。
「久樹、まだ蜘蛛苦手だったのね」
「あんなもん、一生得意にならなくて結構だ。頼む、爽子。まだなんかが触ってる気がするんだよ。しかも動いてやがる」
「――私だって、虫得意じゃないんだからね」
「俺よりは蜘蛛怖くないだろう!」
「そうだけど。でもね、なんだって私がこんな道の真中で、男のズボンをまくしあげないといけないのよ」
「頼むっ! 後生だっ!」
「もう、信じられない」
 拗ねた表情を浮かべて、爽子は膝を折る。肩に下げたバッグが前に落ちないように脇に力をこめて、手を伸ばして裾を持ち上げた。
 薄桃色が溢れだす。
 え、と不思議に思ってあふれ出たものを確認する。遅れてきゃっ!と声を上げて手を引いた。
 たくし上げたズボンの中から、大量の桜の花びらがこぼれ出たのだ。
「なにこれっ!」
「蜘蛛か!?」
 頓狂なことを久樹が叫ぶ。見れば分かるでしょうと叫んだが、幼馴染が固く眼を瞑っているのを確認して首を振った。苛立ち紛れに弁慶の泣き所を叩く。
「いてぇ!」
「痛いじゃないの! 蜘蛛なんていないわ、でもね、変わりに大量の桜の花びらが出てきたのよ。久樹、一体何時こんなに沢山の花びらをズボンの中につめ込んだわけ?」
「花びらなんぞ詰め込んでないぞ」
 乱暴な女だなぁと文句を呟きつつ、久樹は眼を開けて足元を見た。しゃがんだ爽子のツムジが見えたので、指で押してみる。
「なぁにするのよっ!」
 爽子が間髪入れず抗議する。久樹は手を振りながら、足元に広がった大量の花びらを見た。
 まるで薄桃色の絨毯を引き詰めたかのよう。
 ――多い。
 花びらは、あまりに多かった。
「変ね。これだけの量を服の中に入れたら、パンパンになってすぐ分かるはずだわ。それに、入れている暇なんてなかったはずだし」
 もう一度ツムジを押されたらたまらないと、一メートルばかり離れた位置で爽子が首を傾げる。久樹はもうしないと言って、周囲をぐるりと見渡した。
「久樹?」
「爽子。なんかな、さっきから変なんだよ」
「どういう風に?」
「触られてるような気がするんだ。こう、まるで誰かがそっと背とか首筋とか足とかを撫でていくような感じっていえばいいかな」
「触られている?」
 久樹に習って、爽子も周囲を見渡す。
 狂い咲きの桜は側になく、目に飛び込んでくる景色に異変はない。爽子は息を落とし、気のせいじゃない?と告げようとして肩を震わせた。
 背筋が凍りつくように冷たい。悪寒と呼ぶ現象だろう、と他人事のように爽子は思った。自分自身に折り重なって違う影が大地に落ちている。
「……ひ、さき…」
 喘ぐように助けを求めた声に反応して、久樹は振り向いた。その眼が、驚きに見開かれている動きが、まるでスローモーションのように爽子には見える。
「爽子っ!」
 久樹は大声で叫んだ。
 娘が佇んでいる。白い指先を持ち上げて、爽子の髪を梳いていた。緋色の肌襦袢に、真紅の口紅。あどけなさが残るのに、唇だけがひどく艶かしい。その唇の端を持ち上げ、おそらく娘が笑った。
 弾かれたような衝撃を覚え、久樹は「爽子っ!」と叫ぶと走り出した。力任せに幼馴染の硬直した腕を取り、引き寄せる。
 どっと倒れ込んできた体を胸に抱きしめて、娘を睨んだ。
 少女が微笑んだだけなら、爽子が硬直することも、久樹が動揺することもなかった。
 娘はまだ笑っている。白い指先を口元にあて、足袋をはいた足を揃えて佇んでいた。
 空中に。
『殺すの』
 裏声で言葉を発したかのように、不自然に高い声を娘が零した。
「殺す?」
 オウム返しに久樹が尋ねる。
 袂から扇子を取り出して、娘は口元を隠した。喉を鳴らして、二度、笑う。
『ありがとう』
「ありがとうだって?」
 娘は久樹の言葉を聞き流し、空を示した。
 久樹が、そして彼の腕に抱き込まれた爽子が、同時に顔を上空に向ける。
 ――音。
 ざわり、ざわりと音がする。重なり合って、桜の枝が、突如枝を揺らして音を発している。
「……桜が…」
「咲く」
 驚愕する二人の目の前で、桜は突然開花した。

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