[第一話 サクラ咲く]

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No.01 緋色の残像


 恨みでもあるように、強くアスファルトを蹴って大江雄夜は歩いていた。
 双子の片割れは、背中で呑気な寝息を立てている。柔らかい静夜の髪が、雄夜の首筋に触れていた。その感触が気持ち悪く感じると同時に、だらりと降りている静夜の白い手の細さが気に入らなくて、仏頂面を続ける。
「気に入らない」
 短く吐き捨てた。
 雄夜が初めて織田久樹を見た時、彼はアスファルトの上で無様に倒れていた。咄嗟に似ていると思った。殆ど生気が感じられない症状が、体力を使い切る程に能力を解放した直後の静夜や智帆の様子と。
 空気中に残る炎の気配と、それを上回るように濃厚に立ち込めた水の気配。
 炎と水が激突したのだ。
 あの時ベンチに座らされて眠る静夜を見て、雄夜は即座に久樹を睨んだ。居合わせた知り合いの中に、炎の持ち主は居ない。ならば残るは見知らぬ男が”炎”であるとしか思えなかった。
 炎は周囲に影響を与え、不必要な災難を呼び起こす傍迷惑な能力だ。それの持ち主ということで、久樹は雄夜の神経を逆撫でしている。しかも久樹は、保健室で「信じられない」だの「どう見ても年齢差がある」だのと好き放題言ったのだ。
 静夜と似てないことは、他人に言われずとも知っている。何ゆえ偉そうに指摘されねばならないのか。
「不愉快だ」
 一人ごちる。やはり斎藤爽子が頼んだからといって、残ったのは間違いだったのだ。
 気付けば、既に爆発の起きた大学部水鳳館の横手に出ていた。焦げた桜と、未だ周囲に立ち込める水の気配に眉をしかめる。
「気に入らない」
 同じ言葉を繰り返す。
 雄夜は、静夜が無理をするのが嫌いだ。
 静夜は能力を無茶に使うと、急速に睡眠状態に陥る。それが嫌だ。かつて体力がないのが問題だと怒ったら、普通だよと笑われた。
 体力に問題がないならば、無茶をしなければ良いということになる。だが、現実では無茶をせねばならないことが多い。それが腹だたしくてならない。
 こんな場所は早々に立ち去るに限る。雄夜は足を早めたが、ふと足をとめた。切れ長の眼差しを動かし、一ヶ所を睨む。
 視線の先には、焦げた桜。
 その根元が、ゆらゆらと揺れている。
 夏の熱気によって発生した陽炎に似ていた。強く雄夜は睨み、集中する。
 陽炎の中にぼやけた輪郭を見つけた。
 何の形なのかは分からない。苛立ちながらも、冷静に正しい形を求めて睨む。
「……女?」
 娘の形だ。
 陽炎は、桜の下に佇む娘の形をしている。
 何かを手にしているのに気づいた。ぞろぞろと長いもの。時折動かして、その長いものを体に当てるような仕種をする。――衣服かもしれない。
「何者だ?」
 雄夜は怪訝な声を出して、首を傾げた。
 桜の異常開花が発生し、謎の娘が出現したことは雄夜も知っている。だが、目にしている陽炎の中の娘からは、特に何も感じられなかった。
 こちらに興味を持っている様子さえない。
『痛そうね』
 輪郭のぼやけた娘が、ふと呟いた。
 形はろくに見えないくせに、声だけは綺麗に響いてくる。娘は衣服らしきものを持っている腕を動かして、そっと桜を撫でる仕草をした。
『誰が考えたのかな。ワラ人形で他人を呪えるなんて』
 娘は囁いて、首を傾げるようにした。
『なんで樹に打ちつけるのかな。痛そうなのに』
 ふいに気配が動いた。
「っ!」
 息を飲み、咄嗟に雄夜は一歩下がる。一瞬にして、びっしりと腕の上に鳥肌が並んだ。何かが側に接近してきている。雄夜は陽炎の中の娘を見直した。
 先程と同じで、娘からは敵意の欠片も感じられない。まるで静寂を身にまとっているかのようだ。
 だが。一つ引っかかった。
 見つめていると、目がちかちかとして、まばたきを増やしてしまう。まるで凄まじい勢いで、異なる二つが交互に動いているような感覚だ。
「……交互?」
 ちかり、ちかりと。
 何かが――確かに動いている?
 雄夜はおもむろに切れ長の眼差しを閉じた。視線の方向を変え、足元を確認する。
 破壊されているはずのアスファルトは、一見正常だった。水の封印が施されているからだ。その水の影響化にない場所で、ゆっくりと紅い影が沸き上がっている。
 何かが起きていると判断した後、雄夜は勢いよく目を上げた。
 ――紅い娘。
 にぃ、と唇を持ち上げて、それが笑う。
「……っ!!」
 娘がまた静寂に戻る。そして笑う。また戻った。
 入れ替わっている。とてつもない速さで、静寂の中の娘と、紅い娘が交互に。
「――邪気か?」
 雄夜は厳しい表情で唇を噛んだ。
 人の心は、誰かを憎んだり、呪ったり、嫉んだりする事がある。押さえきれない悲しみに、潰されそうになることも有る。
 生きている人間が持つ感情なのだから、それは否定も排除も出来ない。人は激しい感情に、折り合いをつけながら生きていくものだ。
 それが少しずつ人の心から飛び出て、残留思念になる場合がある。大抵は時間の経過と共に消えるが、時として消えない思念も有った。
 消えない思念は互いに寄りあい、肥大化する。そうして生まれる大きな負の感情の塊は、周囲の生物や植物に影響を与え出すのだ。動物が強暴化し、植物が枯れ、人格が変わることまである。
 それほどの思念を、雄夜の片割れは憤りをこめて”邪気”と呼んだ。
 邪気に力を与え、活発化させる能力。それが炎だ。
 娘は笑う。
 ひどく嫌な予感がした。咄嗟に雄夜は、財布に入れた四つの札を取り出そうとしたが、静夜を背負っていて手が自由にならない。
 片割れを降ろすか、降ろさないかを悩んだ僅かな隙に、娘がくるりと身を返した。
 静寂の中の娘が、手にしていた衣服を肩から羽織ってみせたのだ。持ちあげられた衣服の緋色が、大気に鮮やかな紅の帯を作る。
 輪郭が現れた。
 娘が首を傾げ、つ、と白い指先を持ち上げる。
『邪魔』
 ざわり、と音。
 枝が鳴る。焼け焦げて命を失った桜が、枝を震えあわせて音を立てる。足元で滞留していた紅の霧が、音を立てて噴き上がった。
 炎だ。地中から炎が噴き上がる。
 靴裏のゴムが嫌な匂いを立てた。式神に命じようにも、札を取ることが出来ない。降ろせば無防備な静夜が怪我をする。
 舌打ちをして雄夜は走り出した。アスファルトの上で、溶けたゴム底がぬちゃりと嫌な音を立てる。
 熱はすぐに足に達した。あまりの熱さに奥歯を噛み締める。背後の娘が哄笑し始めたのを聞きながら、雄夜は思いきり地面を蹴って道の真中に滑り込んだ。
 淡く青い光りが生まれる。
 娘の笑い声がピタリと止んだ。眼差しから感情が消え、口元から歪んだ笑みも消え、完璧な無表情に変わる。
 破壊された事実を、水が封印したエリアに雄夜は滑り込んだのだ。光りはそこから生まれ、鼓動するように大きく脈打つ。
 どくん、と音。あわせて背負った静夜の体が淡く発光する。清らかな水の流れを体現する青に、雄夜は目を細めた。
『――邪魔』
 感情を打ち消したことで、一層不気味さを増した娘が呟く。緋色の肌襦袢に包まれた両腕を持ち上げ、勢い良く前に突き出した。
 大地から噴き上がった炎は集結すると、大蛇の形となって突進を始めた。顎の部分を大きく開き、逆巻く炎を轟音と共に吐き出す。
 目前に迫った炎の一撃を、封印を作る為に残っていた静夜の力の残滓が防ぐ。ただ本人が眠っている為、持続は不可能だった。炎を防ぐ青い光りに亀裂が入る。
 雄夜は焦らなかった。
 素早く静夜を下に降ろし、財布の中の札を指と指の間に挟み込む。
 一度に出せる式神の限界はニ体。
 迷わずに取ったのは青と白の札だった。左手で右手首を掴み、勢い良く前に突き出し命ずる。
「蒼花、白花っ」
 ――承知。
 唱和した、人外である存在の声。
 同時に静夜が残した水が弾けた。その光りの残滓に鱗を煌かせ、蒼花が炎の大蛇に向かって水を放つ。純白の光りと共に現れた猫型の白花は、突風を起こした。
 消し飛ばされる炎と、風に飛ばされる火の粉。きらきらと散るソレは危険を忘れるほどに美しいが、見惚れる暇はない。
 水の蒼花と、風の白花が睨む先で、娘が空にふわりと浮く。空中に差し伸べた腕に、炎が羽衣のように取り巻いた。
 娘は炎を操る能力を手に入れている。
「……炎の力」
 低く呟く。
 織田久樹の炎の能力が、娘に力を与えていたのだ。仕掛けられる攻撃の強さから判断すると、どうも爆発のエネルギーを吸収したように思える。
 雄夜の呟きを聞いても、娘は無表情だった。
 炎の羽衣をまとう腕を持ち上げ、攻撃の為に雄夜の方向を指差す。再び炎の大蛇が生まれた。
 蒼花と白花が水と風で炎を防ぐ。だが、防ぎ切れない火の舌が雄夜の腕をあぶった。
 ぼっ、という音と共に火が走る。化学繊維で作られた服は炎に弱い。蒼花が青い瞳に一瞬焦りを浮かべ、水を放った。
 少し不利だ。
 水の蒼花と、風の白花は、静夜や智帆に匹敵する潜在能力を持つ。だが実際に発揮できる能力は、雄夜の力量に左右される。二体同時に出している為、雄夜の力は分散されていた。式神の能力は下がらざるを得ない。
『殺すの』
 娘が再びニタリと笑う。優勢を確信した者の、驕りが伺える表情。
『邪魔。殺せなくなる』
 再び向けられた炎を式神に食いとめさせ、雄夜は汗を払うために首を振った。
 人の心から生まれた邪気に対応するには、三つの方法がある。
 一つは邪気の核となっている激しい感情を昇華させること。もう一つは邪気を水の能力で封印し、時の流れによって風化させる方法。
 最後が、炎の能力を使用する術だった。
 邪気に力を与える存在であると同時に、炎はその激しさで邪気を燃やし尽くすことも出来る。
 浄化の炎だ。
 雄夜は今、邪気に対応する方法を持っていない。攻撃を防ぐのに手一杯で、炎属性の朱花を呼べないのだ。
 邪気の力が尽きるのが先か、式神を操れなくなるのが先か。勝利の保証のない攻防に、鋭い印象の顔に初めて焦りが浮かぶ。
「……ちっ」
 集中力が一瞬散った。式神を操るにはかなりの精神力が必要となる。慌てて再度集中を計る。
 雄夜が式神と呼ぶ存在は、元は人の心の破壊衝動が生みだした邪気だ。
 遠い昔に封印されたが、消滅せずに残り続けた大きな思念。年を重ねるにつれて、邪気は次第に自然の力を吸収し、形を変え、存在を変異させていった。
 そうやって生まれたのが、朱花、白花、蒼花、橙花の四つの式神だ。破壊を望む邪気が元である為か、破壊を好む性質を残している。
 四つの式神は雄夜を主に選んだ。
 それは、雄夜が式神を縛っている破壊衝動を肩代わり出来るからだった。破壊衝動さえ消えれば、彼等は知的行動が取れる。
 その代わり、雄夜の心が破壊衝動に蝕まれるのだ。
 雄夜の中で、暗い欲望が黒き炎となる。
 ――壊したい。
 どくん、と心音が高鳴る。
 式神に一声命じればいい事を雄夜は知っている。
 破壊を命じれば良いのだ。
 黒い双眸が剣呑な色に染まる。背筋に快感に似た戦慄がゾクリと走った。
 娘が、雄夜の変化に楽しげに顔を歪める。
『――殺すの。殺せば、全ては綺麗なまま』
 雄夜の中の破壊を誘って、白い指先を伸ばす。大蛇の形の炎は小さくなり、羽衣の形に戻った。
 二人の間に横たわった奇妙な静寂。
 視線が交わる。雄夜の心底を抉り出し、見ぬこうとするのは緋色の娘の眼差し。
 雄夜の中で、暗い衝動は限界まで肥大した。喉元まで破壊を命じる言葉が出てきている。
 真一文字に結んだ唇を開く。口腔内にあぶるような熱さが伝わって、水分が蒸発した。ひきつれた感触。それが不意に収まる。
 誘われままに振り向いて、雄夜は目を見張った。
 紅茶色の髪が熱風の中で揺れていた。白く細い腕が体を支えようと動いている。荒い呼吸を繰り返す唇の色はない。
 静夜だ。
 眠っているはずの片割れの動きに、雄夜が名を呼ぼうとする。それを手で制して、目を閉じたままふらりと立ちあがった。
 静夜は感じていた。雄夜の心が、急速に破壊へと傾き始めたことに。だから目覚めたのだ。
 消えていた水の気配が、加速度的に増幅する。
 緋色の娘が唇を歪ませた。
 佇むもの全てに、水圧が一気に増した感覚が襲いかかる。雄夜は思わず両腕を前に伸ばした。ゆっくりと瞳を開く。
 普段は優しい印象の瞳が、激しい意思に煌いていた。ただ激しい凛々しさがそこにある。
 強さを抱く瞳。
 普段は少女に見える静夜が、今は誰よりも少年らしく見える。
「雄夜、式神を展開っ!」
 圧し掛からせていた水を一気に散開させて、静夜が鋭く指示を飛ばした。きらめく光りが雄夜を取り巻く。
 水の結界。
 破壊の事実をなかったことに見せかける水は、結界によって雄夜の心を支配する暗い欲望を消去させる事も可能だ。
 雄夜の心に静けさが戻る。
「静夜っ!」
 片割れの名前を呼ぶと、静夜は大丈夫だと雄夜に笑って見せた。とはいえ額には脂汗が浮かんでいる。
 まだ辛くて当然だ。
 雄夜はすぐさま蒼花と白花に攻撃命令を下し、残りの二つの札を取り出した。破壊衝動を彼が肩代わりする状態では、二体を呼ぶのが限界だ。だが静夜が衝動を封じるのなら話しは別になる。
 娘が雄夜と静夜の連携に気付いて、再び炎を大蛇にする。
「無駄だよ。君が持つ炎では、僕の水を抜くことなんて出来やしない」
 静夜はきっぱりと緋色の娘を否定する。
 大蛇の顎が吐き出した炎は、静夜の宣言どおりに途中で霧散する。その隙に、雄夜が式神の名を呼んだ。
 光が空中で弾ける。
 朱色と橙色の光りは、炎の鳥の朱花と、狼の形をした大地の橙花となった。
 橙花は咆哮をあげ、娘の周囲に土壁を生み出した。蒼花は炎の攻撃を水で防ぎ、白花が朱花の炎を風で煽る。
 炎は邪気を浄化する。
 雄夜の力を受けて、炎の朱花の瞳が爛々と輝いた。
 無表情の娘の瞳に一瞬感情がよぎった。怯えか、焦りか。おそらくは、そのどちらかの感情だ。
 終わりを確信し、雄夜は朱花に浄化を命じるべく唇を開く。息を吸い込んだ瞬間、バサッと大きな音がした。
 物が落ちた音。雄夜が不意を付かれて振り向き、静夜も鋭い視線を背後に投げる。
 萌黄色のスーツを着た女が、腕に抱えた書籍を落として絶句していた。
 学生課に勤める本多里奈だ。今、彼女の目には光りも、そして式神も映っていない。
 焼け焦げた桜の木。感じていたのは、異常な気温の高さだった。最後に空に浮いた緋色の娘を凝視する。
「なに、それ?」
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竹原湊 湖底廃園
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