[第一話 サクラ咲く]

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No.04 緋色の残像


「入った?」
 静夜の言葉を、智帆がオウム返しにする。
 倒れた女性の存在や、空間に色濃く残っていた邪気の気配。炎による被害や、雄夜の様子から考えて、かなりのことが発生しつつあるのは智帆も想定していた。
「邪気が人の中に入ったっていうのは考えなかったな」
 驚いたとゼスチャーしてみせて、智帆はベッドサイドで考え込む。静夜は紅茶色の眼差しで、興味深そうに友人を見やった。
「なにがあったって考えていた?」
「そうだな。変なモノを見たショックで気絶したか、物理的な衝撃を与えられたか、どっちかだろうと思った」
「そう考えるのが、やっぱり妥当だよね」
 しみじみとした声で呟く。
「なぁ、静夜。今までに邪気が人の心に侵入したところってみたことあるか?」
「ないよ。邪気は人の心から生まれたとはいえ、外に出た段階で異質物になる。そう簡単に人の心に侵入出来るものじゃない」
 すべらかに答えて息を付く。
 自分が口にしている事が、矛盾していることくらい静夜は分かっていた。邪気は人の心に入りこむ能力は持っていない。だが、目撃した邪気は、光を放ちながら萌黄色のスーツの女性の中に確かに吸い込まれていったのだ。
 あの光景は静夜の網膜に焼きついている。智帆は軽く眼鏡を治す仕草をした。
「中に吸い込まれる事はあると考えよう。なら、人間の心の中で、邪気は一体どういう影響を与えるだろうな」
 智帆の発言に、静夜はベッドから降りようとした足を止めた。
「そりゃあ」
「だよな」
 二人、なんとも複雑な表情で顔を見合わせて溜息を落とす。
 邪気は攻撃的で支配欲の強い気質を持っている。人の中に入れば、その肉体と精神を支配し出すと考えるのが自然だ。
「とはいえ、人の心だってそれほど弱いわけじゃないからな。簡単に支配出来るわけじゃないだろうよ。だとすると、まず最初に何をするかな」
 静夜がベッドから降りようとしたので、智帆は隣の丸椅子に移って座り込んだ。気難しい顔で考える智帆の静夜が頭を見下ろす。
「寄生するとか」
「寄生?」
 怪訝な声と共に顔を上げる。静夜は意味もなく、狭い部屋の中をつかつかと歩き出した。
「突然外から自分のものではない意識の塊が入ってきたら、人は拒絶反応を示すよね。例えば、今の僕に腹減ったなぁって思っている智帆の心がいきなり押し付けられたら吃驚するし、嫌な感じにもなる」
「勝手に俺の腹をすかせるなよ」
「空いてなかった?」
「空いてる。とはいえがっつきたい程じゃないな。もっと面白い例えを考えろよ」
「生憎、気が利くほうじゃなくってね」
 微笑みながら智帆の舌鋒をかわすと、静夜は細い手を持ち上げて、鼓動を打つ己の胸に添えた。
「でも、飛び込んできた感情がそれほど違和感がなかったらどうなるんだろう。強烈にじゃなくて、なんとなくお腹がすいたなって思わされたら、智帆の感情によって思わされたなんて僕は考えないかもしれない」
「だから腹減った論理から離れろよ」
「便利だし。新しい例を考えるのも面倒だよ。それとも智帆がなんか考えるわけ?」
「うーん」
 真剣に腕を組んで考え込む。それから智帆は肩をすくめた。
「腹減った論理でいい」
「了解。ようするにさ。人は自分自身が現在考えてもおかしくない感情だったら、外から与えられても違和感を覚えないかもしれないよね」
「可能性は高いな。だから寄生、か。本人が抱きうる感情に近いものを最初は与えて、徐々に邪気特有の感情に人の心を染めていく。最初はなんとなくイライラするだけだよな。それから怒りっぽくなる。そして最後はひどくむしゃくしゃして来て……」
 二人、目があった。
「何かを破壊したくなるはずだ」
 同時に、声を出す。
 
 
「内藤医院に智帆くんと静夜君がいるんですか?」
 迷いのない動作で歩き出した大江康太を爽子は追った。本多里奈が駆け去っていった方向を見ていた織田久樹や子供たちも、つられて歩き出す。
「智帆くんからメールが入ったからね。女性が倒れているから見に来てくれって。そこに内藤医院に行ってるとも書いてあったよ」
 見るかい?と言って、白衣の胸ポケットに入れている携帯電話を取りだす。小さな液晶画面に、智帆からの簡単なメール文が並んでいた。
「しーちゃんが倒れちゃったらしいんだよ。保護者としては心配だしね」
「康太先生、それだけじゃないでしょー」
 遅れていた将斗は駆け足になり、康太の前に回りこむ。
「どうしてだい? まぁ君」
「だって、もうすぐ三時だし。三時っていったおやつだろー。で、内藤医院っていえば町子先生だ」
「ははぁ、まぁ君は、私がお茶をしたいから内藤医院に行きたがってると思っているんだね」
「そうじゃなくってさぁ。康太先生、町子先生に会いたいんじゃないのー?」
「そりゃあ会いたいな。そうそう、まぁ君知ってるかい? 町子さんは料理がすごい下手でね、普通の料理だったらお父さんの康孝さんの方が上手なんだ。でもケーキを焼くのはとっても上手なんだよ」
 やけに幸せそうな顔になる。
 町子に会えることに幸せを感じているのか、町子が焼いたケーキを想像して幸せそうにしているのかは、将斗には分からない。
 久樹は会話を耳に挟んで首を傾げる。
「町子って誰だ?」
「知らねぇの?」
 巧が怪訝に顔を上げた。
「俺は一応外から入ってきた生徒だからな。三年間のブランクって結構あるぞ? 俺がいたころの統括保健医は、爺さんだったし」
「ふーん、ずっと康太先生だったわけじゃねぇんだ」
 初めて知ったような巧の雰囲気。
「知らなかったのか?」
「うん」
「三年前なら、お前三年生になった頃だろ?」
「俺、その頃白鳳にいなかったんだ。四年生の夏休みに白鳳に編入して来たんだよ。将斗と一緒に」
「そりゃ一体なんで?」
「俺と将斗の親って同じ会社に勤めててさ。まぁ親族会社なわけなんだけど。何を思ったか、いきなりコストダウンの為にって外国に工場作っちゃったわけ。で、俺らは外国に行きたくなかったから、小学生でも寮に入れてくれっとこ探したんだよ」
「なるほど。でも、その頃には白鳳に寮はないだろ?」
「今の白梅館はなかったよ。ただ、新しく寮を建てる上でどんな設備が必要なのかを調べるために、学園がモニターとして生活する生徒を探してたんだ。俺と将斗はそれにあたったわけ。確かあの時――」
 巧の言葉がふと途切れる。なんだよ?と続きを促す久樹に首を振り「なんでもねぇや」と言った。
「まあとにかくさ。俺ら、日本食のない生活なんて考えられなかったんだよ。英語も喋れないし」
 言語道断だよなぁと呟きながら大袈裟に体を震わせる。久樹は巧が切った言葉の先が気になったが、口を割りそうもないので適当に「耐えられないかもな」と相槌を打った。
「だろ」
 神妙に肯いて、巧は久樹の側を離れた。その背を見送りながら、腑に落ちないものを感じて首をかしぐ。
 外国に行くのが嫌だ、というのは分からないでもない。だが、嫌だというだけで親が子供を残すだろうか。
 考え込む久樹に、爽子が声をかける。
「久樹。内藤医院に行こうよ」
「あ? ああ、そうだな」
 歩き出したが、まだ久樹は考えていた。
 ――嫌だというだけで、残るのが許されるのか? 
「俺は高校生になるってのに、一人暮らしなんて駄目だって許されなかった。寮があったとしたって、多分、駄目だったはずだよな」
 親に電話してみようかと、久樹は思う。
 もし三年前に寮があったら。そこに入って残ることを許したかどうかを確かめてみたかった。
 
 
 本多里奈は、特別に白鳳学園が好きだったわけではない。
 ただ、一般企業に就職をしている自分が想像できなかった。しっくりこないと思っている間に時間は過ぎて、もうどの会社も採用試験は終わっていた。
 どうしようかと途方にくれていた時、助け舟を出してくれた教授がいた。課題がやけに難しくて、生徒から嫌われていた、丹羽という名前の教授だ。
 里奈は、皆が嫌うこの教授の授業が好きだった。内容が好きだったのではなくて、丹羽教授の声が好きだった。友人には変わってると笑われたものだ。
 その丹羽教授が、卒業を控えて途方にくれていた里奈に、白鳳学園の職員になるつもりがあるなら、職員採用試験を受けられるように口をきいてやっても良い、と言ったのだ。
 それも良いかもしれないと、里奈は思った。
 学園に勤めるなら、環境の変化を心配する必要はない。経営難に苦しんでいるようには見えないから、安くとも安定した収入を得ることも出来るだろう。
 それにずっと教授の声を聞くことが出来る。
 里奈はそれだけ考えて、教授の前でこっくりと肯いたのだ。
 その里奈が必死の形相で走っているのを、何冊も本を抱えて歩いていた丹羽教授が見つけた。学園には巨大な図書館があり、蔵書は全てデータベース化されている。パソコンで全て簡単に検索・閲覧が可能なのだが、丹羽は画面を見る行為が苦手だった。
 紙をめくる感触があるからこそ、本の知識は頭に入ってくるのだと丹羽は硬く信じている。
「本多君」
 里奈が凄い形相をしているので声をかける。走っていた里奈は驚いて顔を上げ、足を止めた。
「教授」
「なにかあったのかね?」
 はぁはぁと肩で息をする元教え子に、丹羽は抑揚の少ない声で尋ねた。体の底から沸きあがってくる恐怖に冷静さを失っていた里奈は、教授の声を聞いて、少し落ち着きを取り戻す。
 まばたきを何度も繰り返し、激しく鼓動を打つ胸の上に手を置く。里奈の様子を確認して、丹羽は本を揺すって持ちなおすと、軽く顎をしゃくった。
「本多君。来るかね? コーヒーくらいなら私にも出せる」
「え? あ、でも」
 教授の声が耳に入って来る度に、里奈の中の落ちつきは増した。休憩に出てからどれくらい経過したのかが気になって、腕時計に視線をやる。
 丁度三十分経過していた。
「戻る時間だったかね?」
「いえ。あと、三十分くらいは大丈夫みたいです」
「なら来るといい」
 ぶっきらぼうに言って、丹羽は本を抱えたまま歩き出す。
「教授、あの」
「まだなにか問題があるのか?」
「私、その、休憩の目的をまだ果たしてないんです」
 恐怖が大分薄れてくると、里奈の気持ちも明るくなる。おずおずと悪戯な台詞を告げた。丹羽は目をすがめる。
「カップラーメンくらいしかないな」
「ご馳走になれます?」
「良かろう」
 僅かに笑った教授に、里奈は心底ほっとした。歩き出してから、丹羽教授の研究室が水鳳館にあったの思い出す。
 怖かった場所だ。
 体の奥底を貫くような恐怖に逃げ出してきた場所。
 水鳳館に行く事になって、忘れていた恐怖が鎌首をもたげる。里奈は呼吸が早くなるのを感じた。丹羽の足は早い。待って下さいと言えず、足を引きずるようにして、里奈は角を曲がった。
 黒く焼け焦げた桜。
「あれ?」
 特別な感情は、特に沸いてこなかった。
 どうしようもない恐怖を確かに覚えたのに、何の感慨もない。拍子抜けした気分になる。
 己をいぶかしむ里奈の隣で、丹羽教授が「調べる必要があるな」と呟いた。
 ――本当に何が起きたのだろう?
「教授。私、なにか見たような気がするんです」
 人気が殆どない水鳳館に再び歩き出した丹羽を追って、その背に声を投げる。なんとなく話していたい気分だった。丹羽は驚いた様子もみせずに、無感動な言葉を返してきた。
「何かを見るのは簡単だ。私が意識せずに見ている風景も、何かの一つだからな」
「そうなんですけれど。そういう何かではなくて、もっとインパクトのあるものを。奇妙な光景を見たような気がするんです」
「そうか」
 階段を上りきった。教授の研究室が見えて、里奈は本を抱えている丹羽の為に扉をあけようと早足になる。ノブを回して「はい」と里奈は言った。
「ならば何を見たのかを思い出す努力をするんだな」
「やっぱり、思い出さないと駄目でしょうか」
「駄目だろう」
 開けた部屋の中は雑然としている。
 学生時代に訪れた研究室は綺麗だった。里奈の沈黙を呆れていると取って、丹羽が息を付く。
「助手が休暇中だ」
 パイプ椅子を出して座ってろと言い置いて、丹羽は横にある部屋に消えた。ビニール袋をあさる音がする。何をしているのだろうと里奈が思っていると、「とんこつ味しかないぞ」という声が聞こえた。
 どうやら本当にカップラーメンを出すつもりらしい。
 手伝おうと立ちあがった拍子に、机の上に積んであった本の角に里奈の肘がぶつかった。
「あっ」
 大きな音と共に本が床に転がり落ちていく。片付けようとして、パイプ椅子に足が引っかかってしまった。前のめりに倒れる。足に激しい痛みが走った。
「いたっ!」
 倒れたパイプ椅子は、側にあった鉢植えを押しつぶしていた。床に湿った土が散乱する。
 ――どうして?
 さんざんな光景が、目に痛い。
 ――こんな所に。
 ズキズキと足が痛い。本当に痛い。
 ――こんな物があるのが悪いのだ。
 涙が浮かんで歪んだ視界に映る、散々な状況。
 ――だから。
「腹立つ」
 低く、抑揚を欠いた冷たい声を吐きだす。
「痛い。なんでこんな目に会うの。腹立つ。腹が立つのよ」
「本多君?」
 丹羽が顔を覗かせた。散乱した本と、倒れたパイプ椅子と鉢植えが目に映る。うつむいて、ぶつぶつと呟いているのは里奈だ。
 近寄ろうとして、丹羽は目を見張った。
 ――緋色。
 包まれる。
 突如、部屋の中が緋色に支配された。
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