[第二話 灼熱を逃れて]

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No.01 陽炎立つ

 高い空から、蝉の鳴き声が落ちてくる。
 みーん、みーん、と規則的に続く蝉の声は、聴覚で暑さを実感させようと、蝉が企んでいるようだった。
 梅雨が終わり、七月に入って以来気温が急激に上昇している。
 四角い箱に似た学校の建物の中で、子供たちが明るい顔で騒いでいる。
 三日後、学校は夏休みに入る。もっとも騒ぐ教室は六年生のもので、初等部で迎える最後の夏休みに、それぞれ大きな期待を胸に抱いていた。
 生徒たちの中には、中等部にあがる前に泳げるようになるぞと、決意を燃やしている者もいる。
「こら、まだ授業は二日もあるんだ。今から夏休み気分でいるんじゃないぞ」
 ざわついた空気の中で、ただ一人の大人が声をあげた。初等部六年C組の担任教諭で、高橋という。とんとんとプリントの束を教卓で揃えながら、収まらないざわめきに、「まだ騒ぐなら、宿題を増やすぞ」と言った。
 一度大きくざわついてから、教室が静まる。高橋はニヤリと笑った。
「よしよし、静かに出来るな。じゃあ、今日はこれで終わりだ。各自気をつけて帰るように」
 高橋の声に被さって、教室背後の扉が開く音がした。静まっていたせいもあって、クラス全員の視線が小さな物音に集中する。扉からひょっこりと覗かせた栗色の髪の持ち主は、思いがけない視線を受けて、きゃっと小さい声を出してすぐに頭を引っ込めた。
「川中、可愛い彼女が迎えにきているぞ」
 教師の高橋が、からかった声を後列中央の生徒に向ける。どっと笑いが沸き起こり、ちゃかす声が方々から上がった。名指しされた川中将斗は反論が出来ず、ただ頬を膨らませて机に突っ伏す。
 教室を覗いたのは、三年C組の生徒で、立花菊乃という名前の女子児童だった。
 白鳳学園では、同じアルファベットのクラスが集まって一つのチームを組み、文化祭や運動会などを競い合う。当然ながら、一年から六年までのC組の生徒は交流が深くなるのだ。
 立花菊乃は、昨年の運動会で将斗と知り合った。
 菊乃が借り物競争に出場した時、電話帳三冊と書いてあったのだ。重くて困っている時、手助けをしたのが将斗で、それから縁が始まっている。
 以来、菊乃は将斗にべったりと懐いていた。本人は、恋人同士なのだと言い張っている。
 将斗は別に悪い気はしていないし、菊乃のことを嫌っているわけではなかった。だがとにかく恥ずかしくて仕方がない。特に、授業が終わるのを廊下で待っていられると、恥ずかしすぎて泣き出したくなるほどだ。
 高橋がまた明日なと言って部屋から出て行く。再び大騒ぎになった教室内で、将斗は一人机に突っ伏しつづけていた。
「あー、もー」
「うめいてねぇで、早く行ってやれよ」
 ぽんと肩を叩かれて顔をあげれば、従兄弟の中島巧がお気に入りの帽子を被りながら帰る準備をして、廊下を見やっている。何を見ているかなど、確認する必要もなかった。
「巧、あのさー」
「菊乃ちゃんに、教室の前で待ち伏せするのはよしてくれ、ってお願いすんなら自分でしろよ。俺は嫌だかんな」
「意地悪だなぁ」
「いいじゃん。別に。困ってんじゃないだろ?」
 顔を上げたが、両肘をついて頬杖をする川中将斗を、赤みのある茶色の目で中島巧が覗き込む。整った顔立ちをしている巧だが、悪童のイメージだけが強いのは、目に輝くような生気が宿っているからだろう。
 返事に窮して将斗が黙り込むと、巧は顔を上げて手を招いた。
「入ってきなよ、菊乃ちゃん」
「いいの?」
 声が、扉の奥の廊下から聞こえてくる。
「いいよ。別に」
「うん」
 ひょこ、と再び栗色の髪が覗いた。
 ふわふわとした髪は、生まれつきの癖毛だった。くるりとした大きな目をしている菊乃には似合っているのだが、本人はさらさらで長い黒髪に憧れているらしい。理想の女性像である菊乃の姉が、そういう髪の持ち主なのだ。
「あのね、将斗くん」
 背伸びした声を出して、菊乃は教室内に入ってくる。子供たちにしてみれば、別のクラスに入るのはかなり勇気が居ることだろう。それが上級生のクラスなら尚更だ。
 将斗は潔く振り向き、席を立って菊乃の隣に進んだ。
「今日ね、図書委員の当番なの。でも一緒の人がお休みで。高い棚の本を整理することになってたんだけど、菊乃、一人だとちょっと怖いの」
 困った声を出しながら、じっと将斗の顔を見上げる。
 本人は恋人気取りの甘えた表情のつもりだろうが、隣で見ている巧の目には、妹が兄にすがっているようにしか見えない。それでもむず痒い気分になって、巧は自分のランドセルを片手に持つと、ひらりと手を振って走り出した。
「ま、あんま遅くなるなよなっ」
 声を残して教室を飛び出す。将斗が返事をする暇もなかった。とはいえ時間があっても、じっと見つめてくる菊乃の言葉に返答しないまま、従兄弟を追いかけられるはずもない。
「……わーかった。手伝うよ」
「うんっ! 将斗くんが手伝ってくれるなら、すぐに終わるね。そしたら一緒に帰ろうね」
「はいはい」
 うきうきと笑顔になる菊乃の背を軽く叩く。
 菊乃も将斗と同じく、白梅館の寮生だ。菊乃は大のお姉ちゃん子で、どうしてもお姉ちゃんと一緒に居たいと親に我侭を言ったらしい。菊乃の姉は幸恵(さちえ)といって、大学部一年に在籍していた。
「菊乃は、何日に家に帰ることなってる?」
「お姉ちゃんの大学はもう休みに入ってるからね。菊乃たちが夏休みに入ったら、すぐに帰るって言ってた」
「じゃ、終業式のすぐあとかー」
「うん。あのね、将斗くん。菊乃はね、夏休みの間、本当はこっちに居たいの」
「なんで? お母さんに会いたいって時々泣くじゃんか」
「あ、ひどいっ。そんなの時々よ。菊乃、子供じゃないんだから」
 ぷっと頬を膨らませて、将斗の手をつねる。いててとぼやきながら、将斗は肩をすくめた。
「だって、寂しいんだろ?」
「でも、アイは離れちゃいけないって言うでしょ?」
「愛?」
「うん。アイ」
 大真面目に頷く菊乃の小さな頭を見下ろして、意味が分かって言っているのかな、と将斗は考える。
 将斗と菊乃を置いて教室を飛び出した中島巧は、校門のところで同級生たちに追いついていた。
「巧ー、将斗に捨てられたのかぁ?」
 ふざけた言葉に、笑い声が唱和する。巧は唇を尖らせて、「俺が捨てたんだよっ」と減らず口を返した。さらに笑い声が起こり、同級生たちは巧が側にくるまで足を止める。
「もう一年になるだろ。何時やめんのかなぁって思ってたけど、よく続いてるよな。菊乃っていったっけ?」
 短髪の少年が、両手を頭の上に乗せて尋ねてくる。巧は肩を竦めて見せた。
「そうだよ。女の子ってませてるよなぁ」
「そんなことよりさ、巧。なんかここんとこ、変なこと起きすぎだよな」
「変?」
 短髪の少年を見やってから、巧はぐるりと一同を見渡す。巧を含めて五名の男子生徒がおり、めいめいが珍しく真面目な表情をしていた。
「電気が変になったの以外にも、なんかあったか?」
 心当たりがないので、巧は首をかしげる。「なんだ、本当に知らないのか」と、今度は眼鏡の子供が声を挟んできた。
 電気が変になったというのは、一週間前から突然、白鳳学園内の施設の電気を使用する機械が突然壊れ始めたことを指している。
 最初におかしくなったのは、巧たちのクラス六年C組のプロジェクターだった。次におかしくなったのが、学食の電気、体育館の電気、学生課のパソコン、そして――白梅館十階の空調だ。
 今年は猛暑で、空調が壊れた十階の寮生はかなりの被害を受けていた。
 だが、これは近頃話題沸騰のネタなので、今更しみじみと語ってくるわけがない。だからこそ巧は、電気系統が壊れていることは検討から外したのだ。
 眼鏡の少年は真顔になって声を低めると、巧を手招きする。
「あのさ、最近、変な陽炎が立ち上るのを見たって奴が急増してんだよ」
「陽炎? ヤカンが沸騰したときにでる、もやもやした奴?」
「そうそう。しかもさ、話によると、その陽炎が出るとさ。その後、すぐに何かの機械が壊れるらしいんだぜ」
「へぇ」
 ふっと、巧の目が同級生たちに気取られぬ程度に、鋭くなる。
 突然現れる陽炎。――そして、続けて壊れてしまう機械。
 その奇妙な現象は、”邪気”の仕業だと考えられなくもないのだ。
「巧?」
 考え込んだ巧が、同級生たちの目に少し奇妙に映ったらしい。慌てて明るい笑みを浮かべて、夏の白く厚い雲を見上げてみせた。
「たしかに変な話ばっかだよな。春先にも、桜が異常開花したってのがあったばっかだし」
 変な話もなにも、巧は桜が異常開花した原因を知っている。当事者だ。
 けれど何も知らないフリを完璧にしているので、同級生たちは巧が桜の開花に関わっていたとは思ってもいなかった。
 めいめいに、変だよな、奇妙だよなと、言い合っている。
「ごめん、俺用事あるからさ。先帰るな。その陽炎が見えたって話、続報があったらまた教えてくれよなっ」
 あくまで屈託のない声を出して、巧は走り出した。


 
 空調がいかれてしまった白梅館十階とは、中島巧が目指す自宅のある階だったりする。
 家の鍵をあけてランドセルを玄関に放り投げると、巧はきびすを返して1001号室の智帆の家を目指した。高等部が期末試験に入っているため、帰ってきているはずだった。だがいくらチャイムを押しても返事がない。巧は拗ねた顔をしてから、気を取り直して1003号室を目指した。
「静夜にぃっ!」
 今度はチャイムではなく、乱暴に拳で扉を叩く。
 しばらく続けると、内部で音がした。鍵が開く音と共に扉が開く。ぬっと顔を出したのは、やけに生気のない顔をした大江雄夜だった。
「静夜なら出かけてるぞ」
 生気の抜けた顔に、気力の抜けた声を雄夜が出す。
 普段は切れ長の眼差しに、剣呑なまでに強い光が宿っているのだが、今の雄夜にはそれがない。まるでテレビに出てくる、貧乏な浪人侍のようだ。
「雄夜にぃ、生きてる?」
「ああ」
「テスト、明後日まで?」
「ああ」
 返事までもが暗い。よく見れば、見慣れた智帆の字で”これだけは覚えておけ”と書いてあるノートを握り締めている。
 大江雄夜、大江静夜の双子と、秦智帆の三名は、文理合同クラスである二年A組に属していた。三人のうち、静夜と智帆は成績優秀だ。だが、雄夜の成績はそれほど良くない。彼が常に真中より僅かに上の位置を保っているのは、ひとえに静夜と智帆の努力のたまものだった。
 とはいえ、静夜と智帆の家庭教師ぶりはかなり恐ろしいらしい。
 おかげで、試験期間中の雄夜は人間らしさを失ってしまうのだ。
 巧は溜息をついた。今の彼には、相談しても時間の無駄になるだけだろう。
「どこ行ったか、知らねぇかな?」
「区立図書館」
 思いがけずちゃんとした言葉が返ってきたので、巧は首をかしげて雄夜を見上げる。
「図書館?」
「暑いからな」
「あ、そっか」
 秦智帆と、大江静夜は、暑さが天敵だ。
 おそらくは二人とも、前世はペンギンか白クマだったのだろう。やたらめっぽう寒さに強いが、暑さにはとことん弱い。正反対の体質を保持しているのが雄夜だ。
 空調が原因不明の状態で壊れたので、いまだに治っていない。おかげで、夜でも平均して三十三度もの気温が一週間も続いているのだ。暑さに弱い智帆と静夜が、昼間は涼しい図書館に逃げていても――無理はなかった。
「俺、図書館に行ってみる」
「ああ」
 雄夜が答えて、扉を閉めようとする。のっそりとした生気のない仕草を振り返って見て、巧はニヤリと笑った。
「雄夜にぃ、勉強頑張ってなーっ!」
 背後で大きな物音がした。
 もしかしたら、雄夜が巧の言葉に足でもぶつけたのかもしれなかった。
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