[第二話 灼熱を逃れて]

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No.03 陽炎立つ

 大きなつり目を爽子に向けて、巧は首を傾げてみせる。
「ところでさ、爽子さん。大学部ってもう夏休みにはいってるんだよな?」
「うん。そうよ」
 駆け去っていく幸恵の後姿を見送りながら、爽子は軽く答えた。巧は偉そうな仕草で腕を組むと、下から強く久樹を睨みつける。
「だったらさぁ、なんでこいつ居るの? 実家に帰んないのかよ」
 寮生の多くは、大型休暇に入ると同時に実家に帰る。
 斎藤爽子も、白鳳学園から電車で一時間半のところにある自宅に戻っていた。とはいえ生活能力が欠乏している少年達が心配なのか、頻繁に寮に顔を見せている。
 一方織田久樹の実家は、新幹線を利用せねば帰れない遠距離にある。夏休みに実家に帰れば、しばらくは不愉快な思いをしないですむと巧は思っていたのだが、久樹が帰る気配はなかった。
「帰るのも金がかかるしな。だったらいっそ、こっちに居た方が得だし。バイトもあるしな」
 片手に持つ参考書を肩の上にあげて、久樹は目を細めた。
 彼に家庭教師を頼んできた中学生がいたのだ。なんでこいつにと巧が絶句すると、「結構教え上手なのよ」と爽子が笑ったものだ。
 夏休みは、受験生にとっては大きな山場だろう。それを見捨てて実家に帰るのも冷たいかな、と久樹は思っている。
 理由を言う前から、少年の顔は不機嫌そうに歪んだ。それが面白くて、「ま、冷房もいかれて暑いからな。爽子のおばさん達がうちにくれば?っていうから、寮にいないことも多いかもしれないけどな」と付け加えて爽子の肩を抱く。
 犬のような低い唸り声を巧があげた。
「……。俺、今、すっげぇあんたが嫌いになったっ!」
「なんだ、それって前々からだろ」
 にやにや笑いながら久樹は澄まして答えた。爽子はやめなさいよと声を尖らせると同時に、暑いよと久樹の腕を外させる。
 そういえば、と爽子は上半身を折って目線を巧と合わせた。
「巧君も帰らないんだって? 春休みも帰らなかったのに、どうして?」
「え? 俺?」
 突然の爽子の問いに、巧は心底困った顔を浮かべる。
 巧を含む五人は、自分自身についてを語ろうとはしない。問われても上手くはぐらかして、聞かれないようにするのだ。それでも不意をつかれることはあるらしく、年相応の動揺を見せた巧に、久樹はすぅっと目を細める。
 気になっていることが久樹にはあった。
 春先に、彼と爽子は、考えたこともないほど不可思議な事件に出会っている。
 常識で理解できるような範疇の出来事ではなかった。
 人が残した負の感情が滞留し、集まり、そこから”邪気”が生まれる。だがそう説明されて、はいそうですかと納得できる者が何人いるだろうか。
 久樹と爽子が理解し得たのは、邪気が引き起こしたとてつもない事件を目の当たりにしたからであり――事件の当事者になったからでもある。
 織田久樹は、邪気の力を増幅させると同時に、邪気を滅する”炎”の能力の持ち主だった。斎藤爽子の力はまだ発現していないので不明だが、能力があるのは確かだ。なにせ彼女は、能力を持つものしか見えぬはずの光景を見ている。
 事件が終わった後、原因不明の症状で倒れることが子供の頃から良くあったことを久樹は話した。秦智帆と大江静夜は顔を見合わせ「能力の大きさに、体がついていかなかったんじゃないかな」と静かに答えている。
 目の前に佇む子供――中島巧も、特殊能力の持ち主の一人だ。
 コントロールに不安が残るが、大地の力を操る。
「なぁ、巧。一つ聞いてもいいか?」
 何故帰らないのかという質問に答えられない巧に、久樹が口を挟む。嫌いな久樹からの問いかけだが、質問に困っていたので巧は顔を上げた。
「なんだよ?」
「お前達ってさ、四年生の夏休みから白鳳に来たって言ってたよな。確か」
「そうだよ。それが何か問題あるか?」
 攻撃的に答えるて、巧はくるりと背を向ける。続く問いを拒絶する態度だが、久樹は気づかないふりをして、子供の両肩に手を置いた。
「雄夜と静夜。そして智帆はいつから白鳳に居るのか、知ってるか?」
「そんなの、本人に聞けばいいじゃんか」
 あっけらかんと声は答えているが、質問を投げた瞬間、巧の肩は震えた。
「……。ま、そりゃそうだ。よし、じゃあ今度聞いてみるか。だけどさ、巧。なんとなく思うんだけど、あいつらも二年前くらいじゃないか?」
「なんでそう思うんだよ」
 肩に置かれた久樹の手を払って、向き直ると、巧は毅然とした態度で彼を睨む。
 突然の成り行きに爽子は驚いていた。だが口を挟むのは躊躇われて、二人に交互に視線を投げている。
「いや、なんとなく。俺がこっちに居たとき、お前たちの話って聞かなかったからな。結構目立ってるんだ、お前ら」
「目立つ?」
「そうそう。大学でも噂になってるよ。顔は良いけど性格に難がありそうな高等部三人組とか。いつも走り回ってるお前らとか。な、爽子」
「そういえばそうね。なんか、ファンがいるみたいよ。三人をみてね、可愛いって叫んでる子もいたし」
「可愛いなのか。雄夜も含めて?」
「うん。可愛いっていってたわよ。でも私も可愛いと思うけど」
「女の判断って、よく分かんねぇな」
 肩を竦めた久樹と、笑っている爽子をみやって、巧は首を振る。
「大学生って、変なことに興味あんのな。じゃ、俺行くから」
「巧くん?」
「なんかさ、変なことが起きてるんだよ。初等部のほうで、変な陽炎をみたって奴が多くってさ。しかも陽炎が出た場所は、後で必ず電気系統のトラブルが起きるんだよ。だから、それが本当かどうか調べに行ってくるのさ」
 早口で言い立てると、そのまま巧は二人に背を向けて走り出す。
「暑いのに、元気ね。やっぱり小学生ってああいう感じじゃないとね」
 くすりと笑った爽子の背後で、対照的に久樹は眉をしかめていた。
 長期休暇中も、決して実家に帰ろうとしない中島巧と川中将斗。高等部に属する三人組もだ。そして彼らは全員、どうも自分が白鳳学園を去ってから後に、編入してきている節がある。
「なんだろうなぁ?」
 何かが引っかかっていた。
「それにしても。なんでまた、邪気の気配だ? 俺は何もしてないぞ」
 無実を主張するように、久樹は両手をあげてひらひらと振った。



 織田久樹と斎藤爽子の姿が見えなくなった場所で、中島巧は立ち止まって大きく息を吐いた。心臓が大きく飛び跳ねていて、手で左胸の上を押さえる。
「あー、吃驚した」
 眉をしかめ、鋭い視線で背後を睨んだ。
「なんで帰らないの? なんてさ。爽子さんも、ポロっと怖いこと言うんだもんなぁ」
 鼓動を続ける心臓をなだめる為に、巧は深呼吸を繰り返した。それからそっと空を仰いで見る。
 巧と将斗の両親が、外国に行っているというのは事実だった。
 けれど英語が喋れないし日本脱出が嫌だから残ったという理由には、偽りがある。
 ――怖がられていたのを、巧は知っている。
 両親は特殊な能力など持って居なかったが、巧と将斗がいる場所で、奇妙なことが起きる事は知っていた。
 たとえば、一箇所だけに起きる地震だとか。
 たとえば、遠くにいるはずの父親の危機を叫ぶことがあるとかだ。
 力がコントロールできるようになる前に、能力は目覚めていた。だからこそ、周囲に不気味な印象を受け取っていたのだ。
 それでも自分の子供なのだから、受け入れて愛せるようにと必死になる両親の姿が辛かった。ならばいっそ、離れてしまえば良いと思ったのだ。
 離れれば、不気味な出来事は遠ざかる。寮に入っている息子の身を遠くから思えば良いだけだ。
 寮に入ってから始めた手紙や電話のやりとりは、巧と将斗に安心を与えた。微妙な平穏を崩したくなくて、二人は長期休暇に入っても両親の元には行こうとしない。
「力、か。力といえば、あの男の力も変だよなぁ」
 春先に覚醒した織田久樹の”炎”は、一度は表面化したのだが、再び成りを潜めていた。普通ならば、一度覚醒したものが再び沈静化するなどという話は聞いたことがない。
 奇妙な話だ。
「あいつもさ、鈍感な奴だって思ってたのに、結構鋭いトコあんだよな」
 気をつけなくちゃなと小声で呟き、巧は帽子のつばを治す。
「とりあえず、目標は学校っ! 出発っ!」
 勢いの良い掛け声をかけて、巧は再び走り出した。
 白鳳学園は、それだけで一つの町を形作ってしまうほどに大きな学園都市だ。
 中島巧が目指すのは自らが通う初等部炎鳳館だ。すでに授業が終わった炎鳳館は、校庭で遊んでいる一部の子供がいるだけで、ひどく閑散としている。
 巧は迷わずに昇降口に駆け込んで、下駄箱に自分の靴を入れ、室内履きをつっかけた。六年生の教室は四階にある。大学部にはエスカレーターがあるが、初等部から高等部までは付いていなかった。
 駆け足で階段を上る。
 五階には図書室があり、そこに従兄弟の川中将斗と、女友達の立花菊乃がいるはずだった。呼びにいくつもりはない。二人を邪魔をするのは、無粋なことだろうと巧は思う。
「でも、菊乃ちゃんってなんで将斗が好きなんだろ」
 巧の知る将斗は、勉強が嫌いで、ゲームが好きで、活字が嫌いで、漫画が好きな普通の子供だ。女の子が夢見る理想の男の子には程遠いはず。
「……。ま、いい奴っていったら、いい奴かな」
 無理矢理納得した所で、巧は四階に辿り着いた。六年C組は、階段から三つ先にある。一学期をまるまる通えば慣れたもので、閑散とした廊下を走って教室の扉に手をかけた。
 からりという音と共に、扉は開く。
 一歩足を踏み入れて、巧は異変に気づいて息を呑んだ。
「なんだ、これ」
 ゆらぐ。
 目の前にある、見慣れたはずの教室がゆらいで、知らない世界を作っていた。
 蜃気楼。
 尋常ではない暑さが、教室内を蹂躙して、現実を幻に変じめている。
 室内がさらに揺らぐ。熱が生み出した陽炎が、強く現実をあおっている。
「な……んだ、これ……」
 呟く側から、じっとりと汗が噴き出してきた。一歩下がり、入ってきた扉から外に出ようする。服を濡らしたはずの汗は、熱によって見る間に乾き、乾いて白い粉となった塩分が、日に焼けた肌に張り付いていった。
 目が、暑くて、焼けてしまいそうで開けていられない。
 口腔内が乾ききって、唇を舐めても湿り気が訪れない。
 ――暑い。
「ちく……しょ……」
 水分を失って出した声は、からからだった。
 あと一歩。一歩下がれば、先程あけた扉から外に出るはず。気力を振り絞って後退し、あることに気づいて巧は愕然とした。
 足に、遮蔽物があたっている。
 閉ざした覚えのない扉が、閉ざされて彼を阻んでいるのだ。
 暑さの為に遠ざかりそうな意識を必死に繋ぎとめ、巧は必死に振り向く。閉じた扉に手をかけて、なんとか開けようとした。
『ねぇ』
 ――声。
『暑いよね』
 ――また、声。
 この尋常ではない暑さの中、巧は背筋を走った冷気に震えた。
 分かる。間違いない。邪気だ。
『知らない?』
 ――巧とそう変わらない年齢だろう、少年の声。
 声を放つ邪気の気配が、近づいて来る。
 がた、がた、と音を立てて扉に手をかけ、巧は必死に扉を開けようと試みた。今、この状態で邪気と対して、何か出来るとは思えなかった。
 邪気と対峙するに必要な高い能力を持つのは、雄夜、智帆、静夜の三名だ。そして彼らはここにいない。――巧は一人だ。
 邪気かもしれないと思った。
 思ったにもかかわらず、一人で行動したことのうかつさに、巧は奥歯をかみ締める。
『暑いよね』
 真後ろで声。
 邪気の腕であるのだろうソレが、伸ばされてきて、巧を背後から抱きすくめる。
 ――熱。
 まるで炎そのものに抱きしめられたような熱。
 音にならない絶叫をこぼして、巧はその場に倒れこんだ。
『知らないんだ?』
 ゆらりと、彼は佇む。
 視線は教室内をさまよい、また、『知らない?』と呟く。

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