[第二話 灼熱を逃れて]

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No.02 現か真か


 川中将斗の激した声に触れても、クラスメイト達はただ唖然として佇んでいるだけだった。異常な事態が、彼等のなかで危険に結びつかないのだ。ぽかんとして、入り口が消えていく光景を眺めている。
 逆に、将斗は目の前の異常が危険だということを認識していた。
 菊乃を外に押しやって、忙しく周囲を確認する。入り口が消えるということは、何かを閉じ込める意思が働いたとしか考えられなかった。同時に、校門までもが消え始めているのが目に入る。
 グラウンドが歪な様相を呈し始めていた。
 炎の形をした陽炎。ぐにゃりと傾いだ鉄棒は、まるで溶けだした硝子のようだ。
「早く、外に出ろっていってるだろーっ!」
 菊乃に絶対に動くなと叫んで、将斗は校庭に駆け込んでクラスメイトの背を叩いた。逼迫した事態をようやく悟ったクラスメイト達が、顔を見合わせて走り出す。
 同じように、将斗も再び門を目指した。
 門は立ち上る靄に包まれようとしていく。
 上から、下から。白い靄は門を浸食し、勢い良くソレは消え行こうとしていた。
 ――間に合わない?
 クラスメイトがなんとか外に飛び出していく。まろび出た一人と、立ちすくむ菊乃がぶつかった。
 菊乃は、声を、聞いていた。
 ”きくえちゃん”と呼ぶ声。
 慕わしげに。懐かしげに。狂おしいほどの、慕情が込められた声。
 きくえちゃん、と声は呼んでくる。
 あまりにも恐ろしくて、菊乃は凍えそうだった。だからこそ周囲が目に入っていなかったのだ。
 我に返って、将斗が目の前から消えていく光景に菊乃は凍りつく。
「……将斗君、将斗くんっ!」
 呼び声への恐怖を忘れて、金切り声を菊乃はあげた。動くなと言われたのを忘れて、菊乃は前に走り出る。
「来るな、きちゃダメだ、菊乃っ!」
 菊乃のオレンジ色のスカートが揺れるのを、将斗ははっきりと認めた。
 背に、ぞわりと這い上がってくる寒さが走る
 歓喜。
 誰かが抱いた歓喜の塊。
「菊乃ーーっ!」
 絶叫する。飛び込んできた菊乃を、将斗は腕の中に抱き込んで守った。
 ――見せてはいけない、奪わせてはいけない。
 理由はないのに、奪わせてはいけないと思うのだ。
 歓喜の意思が怒りに転じる。
 激しい熱。巧を焼き尽くそうとした熱だ。
 ぐっと口を噛み締め、とにかく菊乃を守ろうと腕の力を強めた。遠くを見れるだけで、なんの攻撃能力も防御能力も持たぬ自分を、今、はっきりと将斗は呪った。
 不意に、りぃん、という音。
 全てが歪んだ世界には似合わぬ、やけに涼しげで清らかな音がする。
 現実が遠ざかる中で、現実に食い止めるために響いた、高らかな鈴の音のように将斗には聞こえた。
 背後まで迫った怒りを宿す熱が、急激に遠ざかっていく。同時に鈴の音色は激しい雨の音に転じた。透明な雨が降り注いできて、二人の子供を瞬く間に濡らして行く。
「将斗くん、門がっ!」
 腕の中で身じろぎした菊乃が、姿を消したはずの門を見つけて注意を促した。
 門が再び現れていた。あたかも、降り注ぐ雨が全てを浄化し、門を消した存在を吹き飛ばしたかのように。
「菊乃、走れっ!」
 抱き上げて走るほどの力は将斗にはなく、再び現れた門へとむかって二人は走り出す。
『きくえちゃん!!』
 ――また、声。
 まるで、断末魔の悲鳴のような……。



「な、なあ。今の、なんだったんだよ」
 茫然自失としたクラスメイト達を無視して、将斗は眼鏡をはずして上下に振った。将斗の仕草に菊乃がハンカチを出す。けれどそれは完全に濡れていて、眼鏡を拭くのに役立ちそうはなかった。
「帰ろう」
 全員を見渡して、将斗は強く言った。濡れたまま菊乃の手を引く。
「ま、将斗。だってさ」
「俺達に、何か出来るとは思えないよ」
「将斗?」
 肺腑から搾り出されたような悲痛な声に、クラスメイト達は面食らった。彼等が知っている川中将斗は、物事を楽観視する傾向がある子供だった。時々大人びた目をして不思議なことを口走るのは、きまって中島巧だったはずだ。
 けれど今の将斗には、子供には似合わぬ影がある。
 悔しがると同時に憤り、悲しんでも居るような、複雑な影だ。
「――なあ、どうしたんだよ?」
「いいから。帰るんだよっ!」
 将斗は吐き捨てると、菊乃の手を取って歩き出した。
 取り残されたクラスメイト達も、門が消えた炎鳳館に壁をよじ登って入るわけにもいかない。結局、顔を見合わせて一言、二言、言葉を交わしてから、散っていく。
 空では夕焼けが始まっていた。 
 差し込んでくる赤い日差しに、伸びた影法師がくっきりと地面に映る。
 地面をついてくる影法師の動きの速さを見つめながら、菊乃は口をヘの字に結んだ。将斗の歩く速度はあまりにも速く、駆け足にならなければ付いてゆけない。
 呼びかけて、わざと将斗に置いていかれたことはある。だが、こうして一緒に歩いているときに、小走りにならなければいけなかった覚えは菊乃にはない。
 両足に力を込めて思い切り立ち止まった。引いていた手に重みがかかって、将斗がふりむく。
 夕日に照らされた将斗の顔は、菊乃には泣いているように見えた。
「菊乃?」
「将斗くん、なんで泣いてるの? 菊乃のせい?」
「泣いてる?」
 何言ってんだよ、と疲れた声を出して将斗は笑う。菊乃は首を左右に振った。
「だって。だって、将斗くん泣いてるもの。菊乃には分かるよ。なんで? 菊乃が、将斗くんの言葉を破って中に入ったから? 怒ってるの?」
「違うよ。そんなんで、怒んない」
「じゃあ、なんで? なんでそんなに、将斗くん悔しそうで、悲しそうなの?」
 分からないよ、と菊乃が何度も首を振る。
「……俺さー、もう少しで菊乃のことまで巻き込むトコだったんだよ」
 背にかかってきた、あの歓喜の意思。
 あの邪気は菊乃を狙っていた。教室まで追いかけてきた菊乃を、邪気が見た瞬間に、執着は始まっていたような気がする。
「ああいう変なことって、実は何回か経験があんのな。でさ、俺は多分、本当はあれに対処する術を持っているはずなんだよ」
 邪気に囚われる寸前、響いた清浄な音色と雨を思いだす。
 何が起きたのかなど、誰にも分からなかっただろう。けれど将斗には分かっていた。あれが大江静夜の遠くから結界のなせる技であるのだと。
 ――ただ守られていただけ。
「俺はさぁ、持ってるんだよ。使えてないだけで。それが嫌なんだ。なんだってああいう時に、使えないんだろ。狙われてるのが誰かが分かったのに、なんでかが分かんないんだ。考えても、考えても、わかんねーんだ」
 強く、何度も首を振る。それが菊乃には痛々しく思えた。
「将斗くん。菊乃、良く分かんないんだけど。でも、将斗くんが側にいてくれて、良かったぁって菊乃は思ってるよ」
「なんでっ! 俺は、なんにもしてないのにっ! 出来なかったのに!」
 感情のやり場を失って、ついに将斗は大声をあげた。けれど大声をあげた直後に、菊乃にあたっている自分に気付き、情けなくて惨めな気持ちになる。
 惨めだ。側にいる女の子一人、充分に庇えないのはあまりに惨めだ。
 ――能力はあるはずなのに。
 あっても使うことが出来ない。それがこんなにも悔しいことなのだと、将斗は初めて思い知らされていた。
「だって、菊乃、将斗くんがいなかったら怖くて泣いてたよ。将斗くんがいなかったら、きっと、菊乃は行っちゃっていたよ」
「……行っちゃっていた?」
 将斗の瞳に強い光が宿る。菊乃はこっくりと頷いた。
「あのね、声が聞こえるの。きくえちゃん、きくえちゃんって。ずっとずっと、耳元で聞こえるの。やっと見つけた、って言ってくるの」
 変だよね、と呟いて。菊乃は怖さを紛らわせるように深呼吸をした。
「怖いの。でも、怖いのと同時に悲しくなるの。声がするほうに行かなくちゃいけない、って思っちゃうの。でもね、将斗くんがいるとね、菊乃は行きたくない!って思えるよ。手を握っててくれるとね、菊乃は、きくえじゃないよーって思えるの。だから、将斗くんのおかげ」
 はにかんで、菊乃が笑う。
 慰めようとしていっている事には間違いないが、菊乃の言葉が意味することの深刻さに、将斗は背が凍りつく思いだった。
「なあ、菊乃。それって、何時?」
「何時って? あのね、本当をいうとね、誰かに呼ばれているなぁって感じがしていたのは、前からなの。うーんと、学校でクーラーとかが壊れ始めたねぇ、って言っていたころから。はっきりと、きくえちゃんって聞こえたのは、今日が初めてだったけど」
「クーラーが壊れ始めた頃、から?」
 冷や汗がどっと噴出してくる。それは、邪気が現れてから菊乃に興味を持ったのではなく、菊乃に興味を持っている邪気が現れた可能性があるということではないだろうか。
「菊乃、帰ろう」
 特殊能力を持つ静夜たちがいる内藤医院に戻ったほうが良いのだが、内藤医院に戻るには、炎鳳館の横を通り過ぎることになる。それは今は怖かった。
「将斗くんも、一緒にきてくれる?」
「――一緒にって、菊乃の家に?」
「うん。お姉ちゃん、いつでも将斗くんに来てもらってね、っていうから大丈夫」
「そう、だな。うん、行く」
「本当? 本当に、来てくれるの?」
 菊乃の顔に笑顔が戻った。実は今まで、家に遊びにきてと何度も将斗を誘って、断られてきたのだ。怖い目にはあったが、家に将斗が来てくれるというのは、菊乃にとってはひどく嬉しいことに思える。じゃあ行くか、と言いかけた将斗の背に、素っ頓狂な声がかかった。
「将斗? お前、どうしたんだよそんなずぶ濡れで」
 最近では聞きなれた暢気な声。
 勢いを付けて振り向くと、スーパーの買い物袋を片手にした織田久樹が呆れ顔で立っていた。気が抜けるほどに、日常的な姿をして佇んでいる。何故か、ふっと肩の力が抜けた。
「……久樹兄ちゃん」
「なんだ? ほら、早く戻って風呂入ったほうがいいぞ。風邪引くしな。そっちの女の子って、もしかして菊乃ちゃんか?」
「――? はい。でも、どうして?」
「俺は、君の姉さんの友達なんだよ。織田久樹。サチの奴、昼に帰ってこないって、心配してたよ」
「あっ!……。お姉ちゃん、怒ってました?」
 一歩後退して、助けを求めるように将斗の背後に隠れる。久樹はからりと笑った。
「いや、別に。ただお腹すかせてるんじゃないかって言ってたな。沢山作るって言い出して。折角だから、今日は一緒に食べようってことになったのさ。おかげで俺は買出し部隊だ」
「じゃあ、菊乃の家に爽子姉ちゃんもいるのかー?」
「ああ。居るぞ。折角だから一緒に行こう。サチだったら、将斗にも風呂貸してくれるさ。でも着替えがないよなぁ」
 呟きながら、久樹は二人の子供の背を押した。


 影が伸びる。
 夕焼けに染められた、大地の上に。
 ”彼”はゆっくりと佇む。夕日に染めらながら、去っていく人の背を見送って。
 その足元に。
 ――影は、なかった。

竹原湊 湖底廃園
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