[第二話 灼熱を逃れて]

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No.05 屍のない死


 炎鳳館は、爽子や久樹の初等部時代の思い出を一つも喚起させない、異質な空間と成り果てていた。
 ごうと音を立てる風が、熱をはらんで侵入者に吹き付けてくる。
 まさに熱風と評するに相応しい熱さだった。夏のことで、剥き出しになる肌が多い。それらが一気に赤くそめられ、ひりひりとした痛みに爽子は声を上げた。
「な、何これっ!」
 驚く間にも、熱を宿す風は容赦なく吹き付けてくる。久樹は目を庇うために手を持ち上げ、風を防いだ。
「爽子、目、細めてろっ!」
 口腔内に開けた空洞を狙い、熱風は体内に潜む熱と同化を試みてくる。喉は干上がり、食道の中までもが干からびていくような錯覚を久樹は覚えた。
「――邪気の力の核は、熱か」
 前を走る、雄夜の唇が鋭い声を放つ。彼と巧の周囲は、淡く輝くきらめきに包まれていた。遠くから情報を伝えてくる静夜の水と同調するために、水の式神である蒼花が姿を現し、彼らを熱風から守っているのだ。
 水中にあるのではないが、水中にあるモノのように大気を泳いで渡る姿は、あくまで優美で、憎らしいほどに涼しげだ。
「――雄夜っ! お前らだけ楽してんのかよっ!」
 目も開けられなくなった爽子の肩を抱き、熱風から庇いこんで久樹は走るが、涼しげな姿の先導者には腹が立つ。自然怒りを含んだ声を背に向けられて、雄夜が振り向いた。
 切れ長の眼差しは見開かれ、二度ばかり連続してまばたきをする。
「雄夜?」
 驚いている雄夜に久樹が面食らうよりも早く、雄夜は眉を寄せて口を開いた。
「何をやっているんだ? 炎は熱を支配できる。お前は、自分が危機の状態だったら、能力を使えるんだろ?」
「はあ?」
 なんとも理不尽な雄夜の返答に、久樹は爽子を抱きかかえたまま溜息を落とした。不当な言葉に反論をしない久樹に、爽子が変わりに言い返そうと口をあけたが、それよりも早く雄夜が二の句を継いだ。
「お前の能力は、なぜか分からないが封じられている状態にあると静夜が言った。それは並大抵のことで砕ける封じではない、ともな。封じを瞬時に砕けさせるに有効な手段は簡単だ。命の危険にかられること、激情に揺さぶられること」
 途中、雄夜の眼差しが空を泳いだ。ふと、彼の中に蘇ってくる言葉がある。
『でも何が久樹さんの能力を封じてるっていうんだろう。炎の能力っていうのは、風に次いで、縛られることを嫌う能力なのにさ』
 春先の事件が終った後、体力温存を口実にベッドに潜り込んで出てこなくなった静夜が、静かに呟いていた声。
『悪いものじゃあないんだと思う。なにせ、どうしようもない程に危険なことになったら、能力は発動するんだからさ。久樹さんに危害を加えようと思ってるものじゃないのは確かだよ。でも、なんだかな。久樹さんが無意識に自分で封じてるわけじゃないような気がするのが、引っかかるんだよね』
 語るときの、やけに懸念に満ちた静夜の顔を雄夜は覚えている。けれどそれ以上に、命の危険がある時と感情が激した時には能力が発動するという言葉が、彼の脳裏には焼きついていた。
「……ほっといたわけでも、どうでも良いって思ったんじゃなくて、俺がどうにか出来ると思ったわけな」
 はぁ、と久樹は息をつく。腕の中に庇いこんだ爽子が、何か言いたげに唇を開いた気配に気づいて、久樹は目配せをして沈黙を依頼した。
「出来るだろう? お前なら」
「もしかして――雄夜って意外と俺を信用してるのか?」
「……?」
 精悍な印象だけは崩さずに、雄夜は不思議そうな顔をする。何故そんな質問をされるのかが分かっていない顔だった。確かに雄夜は久樹を足手まといなだけの人間とは思っていないことに、初めて気づく。
 息をつき、久樹は皮肉な態度で肩をすくめた。
「なんか、そうみたいだ。分かった。俺だけはどうにかしてみせるから、爽子ぐらいは守ってやってくれよ」
「――そうして欲しいのか? 恋人っていうのは、恋人が守るものだろう?」
 無口な少年の爆弾発言に、久樹と爽子はのけぞった。邪気の気配を探ろうとしていた中島巧も足を滑らせる。
「雄夜にぃ!? 爽子さんは、あいつの恋人なんかじゃねーぞっ!」
「……!? ……い……いや、俺と爽子は恋人同士ってわけじゃ……」
 巧と久樹が同時に声を上げた。不思議そうな顔のままの雄夜と、真っ赤になった爽子だけが沈黙を守る。目に入る全てが不気味な様相を呈して熱風に吹かれている環境下では、ひどく似合わぬ一瞬だった。
「……ま、まあ、その話はまた今度にしよう。とにかく、今の俺じゃあ爽子を守ってやれないから、頼むよ」
 咳払いを一つし、庇いこんだ爽子の体を久樹は前に押し出す。慌てたように爽子が手を伸ばし、久樹の手を取ってしまったので、距離は離れなかった。二人の様子に雄夜は更に首を傾げたが、今度は何も言わずに顎を引く。
「蒼花」
 主の声に、蒼く輝く美しい瞳を持つ式神は光を躍動させることで応える。降り注ぐ雨のように細く蒼い光は、久樹の訴えを正確に取り入れて、二人の体を包む。
「雄夜?」
 ありがとうと言いかけて、久樹の顔がこわばった。
 雄夜が巧に「もっと危機じゃないと駄目だな」と言ったのが、聞こえてしまったのだ。
「まったく――あいつらときたら」
 目に見える全ては灼熱の地獄のままだが、蒼花の守りのおかげで体は一息ついた。おかげで楽な気分でぼやく久樹を見上げて、爽子が微妙な笑みを向ける。
「久樹」
「ん?」
「――その、ね。私は……」
「私は?」
 こげ茶色の眼差しを向けられて、爽子は漆黒の眼差しを泳がせた。口にしようと思った言葉は、目を見ると途端に消えてしまう。「いいや」と言葉を濁し、再び走り出した雄夜たちの背を見やった。
「ごめん。はぐれる前に、行こうっ」
 手を取ったまま、走り出す。雄夜は巧が追いつける速度で走っていたので、はぐれることはなかった。焔の形をそのまま固形化したような不気味な壁は、次第に道幅を狭くしている。このままでは行き止まりになると誰もが思った瞬間、今まで静まっていた周囲に、けたたましい音が響き渡った。
 低く、うなるような音。人の心を不安に掻き立てるような音だ。
 ――消防車のサイレンに、良く似ている。
「なに!?」
 途端に、熱風が激しさを増す。蒼花の守りによって熱量は感じないですむが、吹き付けてくる風はそのまま一同の体をあおる。雄夜が即座に巧を庇い、鋭い眼差しを周囲に向けた。
 影が降りてくる。
 細く、狭く続く通路とは対照的に、見上げる天井はやけに高かった。室内にいるとは思えない。まるで空がそこにあるかのようだ。
「燃える? それに、なんだ――あの影は」
 空と呼べる、天井に走る影。サイレンの音。同時に、地響きのような爆発音が響く。
「お、俺じゃないぞっ!」
 慌てて久樹は無実を訴えるべく手を振った。朱花が出ていない今、雄夜も、巧も、炎の能力者を疑うのが当然の成行きだと思ったのだが、二人はぽかんと口を開けて空を見上げている。
 空ほどに高い位置に、煙にまかれて黒くすすけた雲が現れている。雲の合間から時折姿を見せて飛ぶモノこそが、影の正体であり、爆音の主だ。
「な――んだよ、あれ?」
「――戦闘機……か」
 掠れた声を上げた巧の声に、雄夜の声がかぶさる。
 テレビで、写真で、資料で、映画で。現実の姿を見ることはなくとも、それを見る機会は持っていた。
 低いうなり声を上げて、空を覆う影は塊を投下し続ける。その度に響く爆発音と、炎の吹き上がる音。サーチライトらしい光が、空を照らし出す。照らし出された空に向かって吼えるのは、高射砲の音だ。
「このサイレンは。ようするに……」
「空襲警報?」
 現実味がなさすぎる。けれど容赦ない恐怖を与える光景を拒絶する前に、彼らの足は震えた。爽子も怯えて、久樹に縋りついている。
「なんだよ!! 俺たち、タイムトラベルでもしたか!?」
 久樹が爽子を守りながら、裏返った声を上げる。雄夜は即座に首を振った。
「違う。これは幻覚だ。現実なら、ここはもっと悲惨なはずだ」
「なら――これを作ってるのがっ!?」
「立花菊乃を連れて行った、邪気だ」
 雄夜が幻覚に立ち向かうように仁王立ちになって、断言する。周囲の光景に呆気に取られていた巧が、不意に「もしかして」と呟いた。
「どうした?」
「もしかして、もしかして、この邪気ってっ!」
「心当たりがあるのか?」
「あるかもしれない。どうしよう、雄夜にぃ、これって俺らが思いっきり関係してるかも!」
 真っ青になって、巧は雄夜の腕に縋りつく。
「もし関係してたら――菊乃ちゃん、無茶苦茶危ないかもしれないっ!」
「巧!?」
 叫び終えると、巧は脱兎のごとく走り出した。ぴたりと寄り添っていた大地の橙花も走り出す。雄夜が追いかけるよりも早い。前方に続く道は細く、狭い。巧がようやく通り抜けられる程度しか、隙間はなかった。狭められた道を、巧は器用に抜けて全速力で駆けていく。
「巧っ!?」
 雄夜と、久樹が同時に叫ぶ。けれど巧は振り向きもしなかった。
「何に気づいた?」
『雄夜っ!』
 蒼花が、双子の片割れの声を届かせる。水と水の力の同調が完了したのだ。
「静夜。巧が一人で走り出した」
『そっちの光景と、邪気が出現する詳しい場所を聞いて、将斗も震え始めた。この邪気、二人になにか原因があるんだよ。菊乃ちゃんの位置は今からすぐに誘導する。巧が行った道が一番の近道だったんだ。だから、どうしたって巧が一人で邪気と対峙してしまう。雄夜、急げっ』
「巧は、立花菊乃の位置が分かるのか?」
『――巧と将斗は、たった今、独力でつながったよ。将斗が巧に位置を教える』
「つながった?」
『そう。一時的だとは思うけど、二人の能力が完璧に解放されたんだよ。あの二人は兄弟同様に育ってきた従兄弟同士だからね。感応しあう力は元々強い。お互いがお互いの力を、引き出しあうことが出来るんだ』
「……将斗は今、どうなってる?」
『半分意識があって、半分ない状態だよ。意識が体から離れすぎないように、智帆が今食い止めてる。とにかく、今は急ぐんだ、雄夜っ』
「分かった」
 会話を止め、雄夜は意識を蒼花に集中させる。周囲でうなり声を上げるサイレン、熱風を吹き付けてくる風、空を翔る忌まわしき鉄の塊。それら全てを意識から排除すると、静夜が見ているものが雄夜の中になだれ込んできた。
「こっちだ!」
 僅かに振り向き、雄夜は久樹と爽子を促す。巧が消えていった方角を久樹は見つめていたが、少年の声に宿る切羽詰った響きに打たれて振り向き、「分かった」と短い言葉を返した。傍らの爽子を促そうとして、ぎょっと息を飲む。
「爽子?」
 熱にうなされる時のような、潤んだ漆黒の瞳に、久樹は狼狽した。
「なに? なんなの、これ」
 爽子は久樹の狼狽に気づかず、握り続けていた手を離して、細い自分自身の体を抱きしめている。体の奥底から湧き上がった何かを恐れるような爽子の仕草に、久樹は息をのんだ。
「なにか力を感じたのか!?」
「分からない。分からないの。でも、なんだか今、凄く熱くて。何かが私の中から駆け上がって行った気がしてっ!!」
「爽子っ!!」
 しっかりしろと叫び、肩を揺さぶる。焦れた眼差しで、雄夜がこちらを睨んでいることが、久樹には痛いほどに分かっていた。
「頼む、今は忘れてくれ、爽子っ。爽子だって、巧がどうかなるのは嫌だろっ!」
「――巧、くん?」
「そうだよっ! 爽子、弟みたいに可愛いって思ってんだろっ!」
 声に打たれるほどに、爽子の瞳に理性の光が戻ってくる。大丈夫、大丈夫だと馬鹿の一つ覚えのように久樹が繰り返すと、こくん、と幼馴染の娘はうなずいた。
「ごめん。私だって、行ける」
 両足に力を込め、体から湧き上がってきた熱を忘れる。久樹は雄夜に大丈夫だと合図を送った。
 ――炎がうねっている。
 灰燼の中に全てを抱きすくめようとするように。
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竹原湊 湖底廃園
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