[第二話 灼熱を逃れて]

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No.03 灼熱を逃れて


 廊下を支配する静寂を切り裂く足音が響く。
 熱さを訴えて倒れこんだ幼馴染の傍らに腰掛けていた織田久樹は、耳を澄まして足音の数を確認した。どちらかといえば軽い足音が二つ。巧が菊乃を連れて戻ってきたと判断し、上体を起こす。
「爽子、ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢してくれよな」
 つい先ほどまでは保たせていた意識を、完全に手放してしまった爽子に声をかけ、久樹は幼馴染を両手で抱えあげた。意識のない人間の体は、骨の存在を疑いたくなる程にぐにゃりとしている。頼りない上に、抱えにくい。しかもやたらと重く感じた。
「とはいえ、背負って走るのは無理そうだしなぁ」
 背負い紐でもあれば良かったんだけどな、などと考えたところで、廊下の奥から足音の主が姿を見せた。橙色の暖かな光が、駆け寄ってくる巧と菊乃の体を包んでいる。――前を睨む、少年の眼差しをもだ。
 久樹は剣呑な眼差しで眉をひそめる。熱さを訴えて倒れる寸前、爽子の瞳も金色に変化したことを思い出したのだ。
 何が起きているのかと考えて、久樹は更に眉をしかめる。春先に起きた事件では、瞳の色が変わるなどといった事態は起きなかったのだ。ひどく嫌な予感がする。
「あっ!」
 廊下に飛び出した巧も、人の気配に気づいて声を上げた。久樹が爽子を抱き上げていることに気づき、すぐさま顔色を変える。
「……お前っ、爽子さんになんかしたなっ!」
 異常事態の只中でも、爽子のことで大声を上げる巧の一途さに久樹は頭が下がる。とはいえ詳しい説明をする暇はなく、「熱さにやられたんだ」と言葉を濁し、久樹も走り出した。
 正常さを保つ通路を越え、赤黒い塊に覆われた不気味な空間へと飛び込んだ瞬間、とてつもない熱量が彼らを襲った。
「――あうっ!!」
 熱だ。
 炎鳳館を多い尽くすほどまで膨れ上がった、邪気の力がもたらす凶暴な熱。
 今までは、雄夜が使役する水の蒼花が彼らを守っていた為、熱の脅威に晒されずにすんでいた。だが、今、蒼花は主の元に戻って邪気本体と対峙している。
 巧は呻き声を上げつつ、己が宿している大地の力でなんとか熱を防ごうとした。だが、迫り来る炎に対して防壁は作れたとしても、形のない熱に対する術はない。
 体内に宿る水分を沸騰へと導くような熱。
 暴力的すぎるソレに、巧の足がとまった。顔に感情の色がよぎることもないまま、立花菊乃の膝が崩れる。わずかに遅れて熱に支配された空間に飛び込んだ久樹も、あまりの熱さに声を上げた。
「……い……」
 僅かな距離が、永遠の距離になり、戻ることも出来なくなる。
 久樹は力を振り絞り、腕に抱いていた爽子を飛び出してきた通路へと突き飛ばした。彼自身はそのまま熱の中に足を進め、倒れこんだ子供たちの方へと手を伸ばす。
 間断なく襲いくるのは熱。
 邪気が抱く怒りに比例したかのごとく、凄まじい熱だった。
 伸ばす手が届かない。前に踏み出す足も、距離を稼げない。その間にも久樹の視界は急速ににごり、力は更に奪われて動けなくなっていく。
「駄目、なの……か?」
 子供たちを救えずに、このまま熱に全てを奪われるのだろうかと、久樹は自問する。消えゆこうとする意識を手放すまいと努力しながら、子供たちへと懸命に手を伸ばした。
 久樹の背後で、彼女が動いた。
 廊下を滑らせるように放られた体勢のまま、白い指先が、ほんの僅かに動く。
「だ……め……」 
 掠れて、どこか哀れみをこうているような声。指はさらに動き、動く指を追いかけて光が舞う。
 光だ。まだ色に染められていない、ただただ純粋な光。


 悲鳴があがった。


 白鳳学園に通う生徒たちの為に立てられた、学生寮である白梅館の門前。先程まで、呼吸までも控えるような静けさで佇んでいた大江静夜の上げた悲鳴だった。
 頭が割られそうなほどの疼痛と、焼き焦がされてでもいるような激痛。右手で胸元を、左手で額を押さえつけて首を振る。
「……あ、あぁっ!」
 少女のように可憐な容貌が、苦痛に歪む。川中将斗の精神を守っていた智帆が、突然の異変に顔を上げた。慌てて立ち上がり、手を伸ばす。その両手に、崩れた静夜の身体が倒れこんで来た。
「静夜っ!」
 透き通るような白い肌が、今は蒼白になっている。額には脂汗が浮かび、唇は絶え間ない苦悶の悲鳴を上げていた。
「静夜っ! 静夜、何があったっ!」
 どちらかといえば皮肉屋で、冷静な態度を崩さぬ智帆の声が裏返る。静夜は友人の誰何にこたえることが出来ず、ただ、懸命に手を伸ばした。
「な……んで、こ……ん……」
 最後の声は言葉にならず、悲鳴にとって変わられる。智帆は静夜が伸ばしてきた手を握り締めて、更に声を上げた。
「静夜っ!」
「……力、が……誰か、に……」
「誰か?」
 切れ切れの声が訴える言葉に秘められた重大な意味に、智帆の顔色が代わる。友人の唇がまだ微かに動いているのを見て取って、彼は静夜に顔を寄せた。
「なっ!」
 瞳が再び変化を見せていた。
 色が変わった程度ではない。現実を求めて開かれていた静夜の瞼から覗くのは、蒼く光る焔のような色だ。
 まるで、水の力を呼び寄せた瞬間にまとう青い光が、そのまま瞳に凝縮したかのような激しさだ。
「智帆、誰かが……なんで……、あぅ!」
 瞳に青く燃える焔を灯したまま、大きな瞳が更に大きく見開かれる。白い喉がそって、最後の悲鳴を発した後、静夜の身体から力が抜けた。
 刹那、智帆は見た。
 腕の中で意識を手放した静夜から、とてつもない量の”水の力”が、ある方向に向かって伸びたのを。
「炎鳳館?」
 一体何が起きているのだと、智帆は唇を噛む。


 光が舞い降りる。
 青い光は冷気となり、雫となり、活力となって、人々の体に降り注ぐ。
「――なんだ?」
 かろうじて意識を保っていた久樹は、起き上がって青い光が舞い降りる光景を見上げた。朝露に太陽の光が反射する光に似たソレが、熱を吸収し、鎮めていく。
「静夜が俺たちを助けたのか?」
 彼らの体を包み込む青く清らかな光は、大江静夜の力に間違いないように久樹には思える。
 そろそろと立ち上がり、体に痛みが走る場所がないことを確認した。廊下側に滑らせた爽子の様子に変わりはなく、先に倒れた巧と菊乃の側に駆けよる。
 少年と少女は固く目を閉じていた。
 外傷はないが、熱にやられた事を考えれば安心は出来ない。巧を抱き起こし、頬を軽く叩いた。ううん、と少年が声を上げる。
「大丈夫か?」
 ほっと息をついて、久樹が静かに問いかけた。巧は自分が置かれている状況が分からずに、覗き込んでくる顔をただ漠然と見返す。だが、すぐに眼を見開くと、久樹を押しのけて跳ね起きた。
「菊乃ちゃん!?」
 慌てて手を伸ばす。少女の体はぐったりとしており、意識が戻っている気配はなかった。抱き起こし、頬に手をやる。軽く体を揺さぶると、菊乃は眉をしかめ、どこか苦しげな声をこぼした。
『菊乃っ!! 菊乃ーっ!』
 巧の瞳を通して、この現実を見つめる将斗の悲痛な声が響いた。
 途端、菊乃の表情に宿る苦悩の色が濃くなる。
「なんだ?」
 邪気に操られていた時には、全く変化を見せなかった菊乃の表情が動いている。
「もしかしたら、菊乃に影響する邪気の力が弱まったのかもしんねぇ! 今、雄夜にぃか静夜にぃがいたら、菊乃を元に戻せるかもしんねぇのにっ!」
「俺たちを助けた、静夜の水の力に触れたからか?」
「多分そうだよ。静夜にぃは、邪気の力を鎮め抑えることが出来る。ってことは、菊乃に干渉する邪気の力を抑えることも出来るんだ。消すのは炎でも、治めるのは水だしさ」
「――だったら」
 久樹が唾を飲み込む。
「菊乃ちゃん! しっかりしろ、菊乃ちゃんっ!」
 悲痛に叫ぶ巧の声に、遠くからこちらを見守っている将斗の声が重なる。少年達の声を受けて眠り続ける少女の顔には、感情を伴って目覚めようとする意志が感じられた。
「ちょっと待てよ。静夜か、雄夜ってことは……」
 ――邪気からの干渉をはじくことが出来れば、菊乃は目覚めることが出来るのだ。
 叫ぶ巧を見下ろして、久樹は唇を噛む。
「炎」
 久樹が秘めている力こそが炎だ。
 邪気に力を与える存在でありながら、邪気を浄化へと導く力を持つ能力。
 春先に使えるようになった炎は、再び久樹の中でなりを静めてしまった。今では、炎がどこにあるのさえ久樹には分からない。けれど、炎を安らぎだと感じたことは覚えていた。
 炎は、久樹にとっては恐れるものではない。
 そっと目を閉ざし、久樹は意識を研ぎ澄ませた。 
 春先の事件で、怪我をして倒れていった少年たちの姿が思い出される。菊乃を守ることも出来ないと嘆いた将斗の姿が浮かび、最後に懸命に少女に呼びかけている巧を見やる。
 ――助けたい。
 誰かの助けではなく、自分が助けてやりたい。
「炎っ!!」
 久樹は呟きを、叫びに変えた。
 強い意志を宿す突然の叫びに、巧が振り向いて息を呑んだ。少年が大きく見開かせた目に、ゆれる影を見つけて久樹は目を細める。
 炎が揺らめいていたのだ。巧の眼差しの中で、久樹が再び呼び起こした炎が輝いたのだ。
 取り戻してみれば、それがない状況こそが異質であったのだと久樹は痛感する。
「あんたさ……なんで、今?」
 巧の質問は、久樹の問いでもあった。何故か隠れている炎の能力は、命の危機にさらされた時、命と同じ価値をもつ相手が死にかけた時にだけ顕現する。
 だが、今は久樹も爽子も死の危険に晒されていなかった。晒されていたのは、熱に襲われて静夜の水の力に救われた時のほうだ。
「悪い、分からない。とりあえず良しとしておこう。俺が炎を使えるのは、悪いことじゃない」
「――そりゃそうだけど」
「俺に助けられたくないのは分かるさ。でも背に腹は変えられないだろ?」
 唇を噛み、巧は少し悩む顔になる。久樹が発する炎の浄化が、菊乃の覚醒を促すには最高の方法だと理解していたので、彼はこっくりと頷いた。
「分かった。――久樹さんさ、炎の浄化を強めてくれよ」
「……へ?」
「だから、浄化の力がたりねぇって言ってるんだよ!」
「いや、それじゃなくってさ」
「なんだよっ! こんな時に、他になんの質問があるってんだよっ!」
 巧の剣幕に、久樹は両手を上げた。本当は、あんただとか、お前だとかしか言わなかった巧が、「久樹さん」と言ったことに驚いたのだ。
「あー、まぁ、いっか。分かった」
 己の中にある炎に意識を向け、浄化をと願ってみる。炎はすぐさまそれに応え、光が少女の身体を包み込んだ。

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