[第三話 紅葉、舞う]

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No.03  秋の足音

「俺が泣かしちゃったんじゃないよ。俺がわざわざ菊乃を泣かせるわけないだろー」
「そうなのか?」
 軽く首を傾げて、菊乃を見やる。無口で不器用な少年が見せた優しさに、涙をひっこめて菊乃は肯いた。
「うん。菊乃ね、将斗くんが今年で卒業しちゃうって思ったら、悲しくなっちゃったの」
「悲しい?」
「だって、一緒の校舎に居られなくなっちゃうから」
 ぐすん、と再び溜まりそうになった涙を抑える。雄夜はひどく真面目な顔で、将斗を見やった。
「学校が終わってから、待ち合わせをしろ」
「待ち合わせ?」
「同じ白鳳の生徒なら、中等部にも高等部にも、こうやって入れる」
「そっかぁ。菊乃が会いにくればいいんだっ!」
 きらきらと目が輝き始める
「じゃあ、将斗君。中等部にいっても、高等部にいっても、ウワキしないでね」
「う、浮気!?」
「そう。ウワキ」
 ひどく真面目な表情で、菊乃が将斗に返事を求める。本当に意味分かってるのかーと叫びたいのだが、雄夜にまで真剣な眼差しを向けられて、将斗は負けた。
「しません。絶対にしません」
「約束ね! 指きり」
 差し出された小指に小指を絡めて、ゆびきりげんまん、と元気良くやる。何故か雄夜は満足そうに、将斗の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「時々雄夜兄ちゃんって分かんない。あ、さっき静夜兄ちゃんには言ったんだけど、今日は菊乃ん家に泊まることになったんだ」
「分かった」
「じゃあ、またねっ。雄夜お兄ちゃん!」
 踊るように元気な声と共に、二人は再び駆けだす。それを見送りながら、雄夜は「すぐ壊れそうだ」と、呟いていた。
「おーい、雄夜っ!」
 剣道場へと戻ろうとして、雄夜が足を止める。振り向けば、真剣な表情の宇都宮亮が走ってくるのが見えた。
「どうした?」
「ちょっと手を貸してくれ。わっけわかんないんだけどな、突然喧嘩だよ」
「うちのクラスで喧嘩?」
「そうなんだよ。しかも殴りあいになりそうなんだ。今は北条がなだめてる」
「なぜ北条が喧嘩を止める? 助けを求める役割が亮なんだ?」
「――ん? い、言われてみれば北条は女だった。しかもいきりたってる奴らに口でなんかいうと」
「……北条のほうが殴られる可能性だってある」
 鋭く言い放つと、雄夜は素早く走りだした。亮も慌てて後を追う。
 高等部の昇降口に飛びこむと、雄夜は室内履に履きかえるのも面倒だとばかりに、下駄を脱ぎ捨てて裸足になり、軽々と階段を駆けあがる。クラスが近づくにつれて喧騒が大きくなり、ついに罵声が雄夜の耳に届いた。
 階段を終えて、廊下に飛びでて走ったところで、細い悲鳴とともに教室から少女がよろけ出てきた。
 転びそうな体を、雄夜が受け止める。
「秋山か」
「……え? ゆ、雄夜くんっ!」
「何があったか分かるか?」
「それが……。私も今、教室に戻ってきたばかりだったの。で、入ろうと思ったら突然突き飛ばされて」
「女を突きとばす?」
 雄夜の声が危険をはらむ。
 一見の鋭さと無愛想さの為に、雄夜は冷たい人間だと思われがちだが、その実は案外優しい。特に女子供には優しかった。
「秋山はここにいろ」
「え、あ、はい」
 体をそっと押されて、梓は教室の扉から離れる。中に入っていこうとする雄夜の後ろ姿を、梓は熱病にでも冒されたようなうるんだ瞳で見つめた。
「か……かっこいい……。雄夜くんに助けてもらっちゃった。う、受け止められちゃった!!」
 クラスの緊張など忘れ果て、梓は一人真っ赤になって幸せにひたる。室内履きに丁寧に履き変えて遅れた宇都宮亮が辿りついたときも、梓はまだ、幸せに浸っていた。
 雄夜が入った教室内は、一種、異常な熱気に包まれている。入り口のある前後に生徒がかたまり、ホワイトボードの前に女生徒たちが集まっている。前には北条桜と、なんと大江静夜が立っていた。
「静夜っ!?」
 どちらかといえば低い声が、緊張に打ち震える室内に響く。桜を庇って立つ静夜が顔をあげた。
「――雄夜。良いところに」 
「なにがあった?」
「良く分からない。助けに呼ばれて来たばかりだから」
 どこかのんびりと静夜は首を傾げる。
 静夜と桜を盾にして、女子生徒達が震えていた。二年A組は口達者な少女が多いのだが、今は誰も口を開かなかった。
 一人毅然とした態度を守って、学級委員長の桜が口を開く。
「板が落ちたの」
 硬い声がこぼれ落ちる。
「学園祭、昔の街道沿いの茶屋にしようって決めたでしょう。大掛かりになるけど、室内に茶屋そのものを再現したらどうだろうって話しになったの」
「それは面白そうだね」
「うん。じゃあ、次は静夜君も手伝ってね」
「それはいいけど」
 一旦言葉を切り、静夜は軽く視線を興奮状態にある男子生徒達に投げる。観察すればすぐ分かるが、特定の人間同士が争っているのではなかった。近くに居る相手を、生徒たちは攻撃しあっている。
 普通の光景ではなかった。
 桜は首を振り、思いだすようにこめかみを指で押さえた。
「特別なことなんて一つもなかったわ。さっきもいったけど、板が落ちただけ」
「茶屋に使う板?」
「そう。しかも、技術の授業みたいだって笑いながら作業してたのよ。なのに、板が落ちた音がして。振り向いたら」
 学園祭前の特有な雰囲気に包まれていた室内。不意に響いた音。振り向いた先にあった、恐ろしい顔、顔、顔。見なれていたはずのクラスメイトが、遠く感じられる瞬間。がたん!と響いた音と、続けて転がった鋸の鈍い色。
「止めようと声をあげる前に体が動いて、落ちた鋸を拾ったの。後は、誰か呼んで来てって叫んだ気がする。そうだ、先生を呼んできてもらえば良かったんだ! 私ったら」
「北条の判断は正しかったと思うけど?」
「え?」
 不意に与えられた静かな言葉に、桜は顔をあげる。静夜の背は高いほうでなく、桜は逆に平均より高い。二人の視線は殆どずれずに、真正面でぶつかった。
 一瞬、桜が困ったような顔になる。それには気付かずに、静夜は委員長が握ったままの鋸を受け取った。
 刃物を軽く右手に持ち、静夜は教室内を見渡す。
 作業スペースの確保の為に、机は後ろに集められていた。「大丈夫かな」と小さく囁く。
「静夜君?」
 桜の問いかけに答えずに、静夜は方割を見やった。
「雄夜っ」
「どうする?」
「机、あっちだし。まだ大丈夫みたいだからね」
「やるか?」
 凄みを宿す雄夜の返答に静夜が笑う。続けて学級委員長に顔を向けた。
「北条っ」
「え?」
「許可を」
「許可って……一体なにの?」
「北条の承認。危ないことはしないから」
 男性らしさには程遠い、柔らかい笑みを静夜が浮かべる。桜は混乱しつつも「危なくないのね」と念を押して「許可しますっ」と鋭く言い放った。
 いきなり雄夜が教室を飛びだす。様子を外から伺っていた秋山梓と、中に入るタイミングを失っていた宇都宮亮が「ぎゃあ」と声をあげた。雄夜は亮の襟首を掴み、梓の背を押して、さらに廊下を進む。
 壁に隔たれた廊下で、雄夜、亮、梓があげる物音に桜は瞬きを繰り返す。静夜は桜を促して歩き出し、入り口の扉前に立つと、女生徒たちに廊下に出るように示した。
「私、残るから」
 最後の一人が扉から出るのを見届けて、桜が反論を許さぬ声をあげる。静夜は子供っぽい仕草で彼女を見やり、「そう言うと思ったよ」と笑った。
 北条桜は、りりしいと形容される性格の持ち主であるが故に、かよわい少女にすぎないことを誰からも忘れさられている娘だった。
 そんな桜が、異変に充ちた教室から避難するわけがない。
 静夜は桜に下がれとは言わず、ただ黙って彼女の前に立つ。同時に廊下で再び大きな音が響き、入り口からは宇都宮亮が、後ろからは大江雄夜と秋山梓が入ってきた。
「亮、貸してっ」
 入って来たタイミングを逃さずに、静夜が軽やかな声をあげて手を伸ばす。袴姿の静夜は可憐そのものだが、亮が持ってきた物を奪い取る様子は凛々しさがあった。
 雄夜が突然に走り出た。とっくみ合いの喧嘩に発展した生徒めがけて、手にしてたものを思いきりぶちまける。
 差し込む夕日の中で、男子生徒達の頭上に水がきらめく。一拍遅れて、次々と声があがった。
「なにしやが……っ!」
 文句を叫ぼうとした声が驚きに途切れる。目の前でにっこりと綺麗に微笑んだ静夜が、雄夜と同じようにソレを持ち上げた。
 勢い良く持ちあがるバケツ。なみなみと満たされた清らかな水。
「つめてーーーっ」
「落ち着いたかな?」
 前髪を伝ってぽたぽたと落ちる水滴が生徒達の視界をいっぱいに支配する中で、静夜が暢気な声をかける。なごやかな返事がでる状況ではなく、いきり立った生徒が飛びだそうとする。
 瞬間、ついっと静夜が手をあげた。
「もう一歩さ」
 踏み出そうとした生徒の足が、不意に固まる。
「もう一歩進んでごらんよ。笑いごとなんかじゃ、すまさない」
 少女のような面ざしから笑みを全て消して一同を見渡す姿には、凄まじいほどの冷たさが存在していた。
「静、夜……?」
 男子生徒の一人が、乾いた声をあげる。
 気圧された少年達に向かって、一歩、雄夜が足をすすめた。普段の無表情さが嘘のように、はっきりと分かる好戦的な色が瞳に浮かんでいる。
 北条桜、秋山梓、宇都宮亮の三人までもが、二人の豹変に息を呑んだ、刹那。
 高い拍手の音が、教室内で響いた。
 張りつめていた緊張が突然にほどけて、全員が同時にはっと息を呑む。
「吃驚した? はったりだったんだけどな。僕と雄夜の演技も悪いもんじゃないかもね」
 睨みつけていた瞳を今は細めて、普段と同じように笑ってみせる。雄夜は目を閉じて、一歩下がった。
「し、静夜君? 今の、演技だったの?」
 誰よりも早く立ち直った桜が、静夜の腕を掴む。教室の隅では、梓が思いだしたように赤面して「雄夜君、素敵」と呟いた。
 宇都宮亮だけが、信じられないという眼差しで、双子を交互に見やっている。向けられる視線を感じながら、静夜は一つの動揺も見せずに、桜の前で肩をすくめた。
「そりゃあね。いくらなんでも、こんなに大人数相手に大立ち回りなんて無理だよ」
「吃驚した!! もう、私、ちょっとだけ静夜君が怖いって思っちゃったよ!」
「演劇部の北条まで騙せたんなら、僕はいっそ部活を変えたほうがいいのかな」
「歓迎するわ。演劇部って男子が少ないから、どうしても女の子ばっかりの劇になっちゃうのよね。やっぱり男手も欲しいよ」
「じゃあ、考えておきましょう。でも男手が欲しいなら、僕より雄夜がいいんじゃない?」
「どうして?」
 きょとんと首を傾げられて、静夜は苦笑する。
「僕は女顔だってみんなに言われてるしね」
「まぁ、たしかに静夜君は女の子っぽい顔をしてるけど。でも、やっぱり男の子だよ。私は静夜君を同性だと思ったことはないな」
「それは光栄だね」
 ありがとうと続けて少し笑う。
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