[第三話 紅葉、舞う]

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No.04  秋の足音

「そうそう、話しは戻るけどさ。いくら雄夜が一緒でも、あれだけの人数を相手にしようとは思わないよ。それに、危険なことはしないって条件で、水ぶちまけ大作戦の承認を貰ったんだし」
「そうね。うん。ありがとう、静夜君」
 二人が日常を取り戻した感のある穏やかな会話をしている間中、静夜と雄夜の気迫に負けた男子生徒達は困惑している。
 双子の片割れが事情を説明しているのを確認して、雄夜は固まっている男子生徒の前まで歩く。そのまま無理やり、梓が持ってきたバケツの中に入っていた乾いた雑巾を、各自に押しつけた。
「――は?」
「掃除」
「へ?」
「水びたしじゃ、担任に怒られる」
 ぶっきらぼうに言って、雄夜は男子生徒達を一睨みする。
 放心状態で判断力が落ちた生徒達は、子供のように雑巾を見つめた後、めいめい座り込んで床を拭き始めた。
 雄夜は肯いて、静夜の隣に佇む。
 方割れを見上げて、静夜は軽く肩をすくめた。
「雄夜、打ちのめしてやっても良かったなぁ、なんて顔しないことだよ。竹刀なんて使ったら、過剰防衛もいいところだ」
「別に、そんなことやろうと思ってないさ」
「そうかな。しかし、一体どんな心理が働いたんだろうね。板が落ちただけだったんだろう、北条?」
 声を向けられて、廊下に出された女生徒達を呼び戻すべく声をあげていた桜が振り向く。
「うん。それだけよ」
「これは本人に聞くしかないかな。――えっと……」
 無心に拭き掃除を行う生徒たちを見渡して、静夜は冷静さを取り戻しかけている人間を探す。教室の端で首を傾げながら床を拭く生徒を見つけて、静夜が名前を呼んだ。
「――あん?」
 振り向いた生徒を、静夜は手で招く。女子生徒を教室に呼び戻し終えた桜が、慌てて静夜の隣に駆けよる。事態の収拾に動くのは、委員長としては当然の役目だと自然に受け止める、桜らしい態度だった。
「ねえっ。一体何があったか覚えてる?」
「えー? なにがって、なんだっけ」
「なにがって……もの忘れ激しすぎよ。さっき突然喧嘩になったでしょ? どうしてああなったのか、覚えてない?」
 尋ねながら、桜はハンカチで男子生徒の唇の端を押さえてやる。殴られたかして、切ったのだろう。傷を刺激されて、彼は今起きたかのように、目を丸くした。
「まだ寝ぼけ顔だね」
 呆れた静夜の声に、桜が無言で肯く。雄夜は黙って一同を見守っていた。
「静夜? ……委員長?」
「起きた? 悪いけど、モーニングコーヒーはないよ」
「期待してねぇよ。ってー」
 傷の痛みに遅れた悲鳴を彼が上げる。桜はハンカチを押しつけたまま「あとで保健室にいって」と言い、続けて厳しい表情になった。
「委員長、怖い顔すんなよ」
 緊張を壊そうと、彼はすねたような声をあげる。けれど桜は静かに首を振った。
「話して。――私、覚えてるわ。鋸を落としたの、貴方だった」
「ノコギリ?」
「あれよ」
 静夜の手にある鋸を桜が見やり、視線の動きを追った男子生徒の目が見開かれる。
「あれ? 俺、板切ってたんだっけ」
「そうだよ。北条が言うには、お前が鋸が落とした音が合図になったみたいに、言い争いが始まったんだ」
「落ちた、音……?」
 眉を寄せて、彼は必死に考える。少し遅れて「あっ!」と彼は声をあげた。
「光が見えたんだよっ」
「――光?」
 だんまりを決め込んでいた雄夜が低く呟く。強く肯くと、彼は大きく肩をすくめた。
「信じられないかもしれないけどさ、木を切ってたら、突然目の前がチカチカしたんだよ。うっかり太陽を直視したあとってさ、なんか光の粒がまぶたの裏で飛びはねるだろ。あれが、もっと派手になって飛び跳ねた感じ」
 それでな、と言葉を繋いで、彼は広げた手を縮めて今度は腕を組んだ。
「チカチカしてる光をなんとなく見てたら、何故だか腹が立ってきてさ。大体なんでこんなこと俺がしてんだよ!って思ったところで、板押さえてた奴と目があった。――で、あった目がさ」
 血走ってたんだよ、と彼は言う。
「やたらと腹を立てて、八つ当たりする相手を探してるって感じの目だった。もうたまらなく腹がたってさ、で、気付いたら口が動いてた。色々叫んだような気がするし、手も動いた気が……」
 一旦言葉をきると、彼は自分自身のこぶしを見やる。うっすらと赤くなった手は、どうみても何かを強い力で殴った跡で、彼は天を仰いだ。
「動いてたみたい」
「うん。馬乗りになって殴ってたよ」
「えええ!? 本当かよっ!」
「嘘。――流石にそこまではしてなかったけど、殴ってたのは事実だよね。雄夜も見たろ?」
「ああ。見た」
「それにしても何だろうね。チカチカしてる光があって、それを見たら腹が立ってきた、だなんてさ」
「静夜!? お前、俺のこと信じてくれるのかっ!?」
 天の助けとばかりにすがり付いてこようとする生徒をひらりとかわし、静夜は委員長の北条桜の肩を軽く叩く。
「いきなりの乱闘騒ぎを、生徒同士が不仲なための喧嘩って考えるよりは信憑性があるかなって。北条はどう思う?」
 考え込んだ体勢のまま、目を細めていた桜は隣を見やって首を振る。
「正直、良く分からないかな。分かるのは、こんなことがばれたら先生に大目玉を食らうって事よね。学園祭の出し物を変えろとも言われかねないし。よしっ」
 パンパンッと、桜は手を高く打ち鳴らせた。双子は軽く目を見張り、うっとりと雄夜を見つめていた梓が顔をあげ、宇都宮亮が委員長の隣に走りよる。
「全員注目っ!」
 涼やかな桜の声が教室内に響く。ノコギリの音が男子生徒達に険悪さをもたらせたのなら、桜の声は日常を呼び戻す号令だった。
 活発さを取り戻した二年A組の少女達が、座り込んでいる男子生徒達の側にめいめい駆けよって声を掛ける。そうしている間に全員我に返り、クラスメ全員が立ちあがった。
「男子は、あとで何でこんなことになったのか、私に教えて。原因は教えてもらってから考えるわ。とにかく今はカモフラージュ大作戦よ。床は全部拭けてるから、顔を殴られてる人は顔を冷やして。明日、顔にくっきり跡が残ってたら喧嘩したってばれて大事よ。もし明日になって青あざになってたら、演劇部の道具で化粧しちゃうからね」
「け、化粧!?」
「嫌だったらとっとと冷やしに走る! 女子の半分は、跡形付けをお願い。残りは、外に出て言いふらして来て。家を作ってたんだけど、図面がまずくて、いきなり壊れちゃったのよ!って。凄い騒ぎだったとも付け加えてねっ!」
 軽やかに指示が飛ぶ。
 宇都宮亮が「我が相棒ったら、ごまかし名人だよ」と呟いたので、桜は得意げに笑んでみせた。
「無事だった男子は、実際に何か壊れたみたいにみえる状況を作っておいて。それが終わったら、私が先生に言ってくるから。こういう騒ぎがありました、ってね!」
「俺は?」
 滑らかな指示を飛ばす北条桜に、ぽつりと雄夜が尋ねる。口数こそ少ないものの、この状況を楽しんでいる色がはっきりとあって、桜は笑った。
「そうね。うーん、突然のことに助けを求めに走った梓が雄夜君を呼んできた、でどう?」
「えっ!? 私がっ!?」
 教室の端で、雄夜を見つめる乙女な気持ちを満喫していた梓が、突然名前を出されて仰天した声をあげる。雄夜はそのまま不思議そうに梓を見たあと、亮を見やった。
「俺は亮に呼ばれた」
「あ、そうなんだ。だったら、静夜君が梓に呼ばれたことにすれば良いかな」
「別にいいけど」
「よしっ。じゃあ、全員、口裏あわせするよっ! とにかく喧嘩なんてなかった。それでいいよね?」
「賛成っ!」
 女子生徒達の賑やかな声があがり、それに男子生徒達の声が唱和する。
 口裏あわせをしてでっち上げた出来事のほうが、いっそ真実であったと思えるほどに、それは仲の良いクラスの姿だった。
 
 
 巨大な学園都市を形成する白鳳学園の中には、生徒達が住まう寮もそびえたつ。寮は、一見すると分譲マンションのような建物だった。
 寮の一角にある扉を開いて、立花幸恵が軽やかな声をあげる。買い物帰りのために、手下げ袋がぶらさがっていた。
「ただいまっ。ねぇねぇ、聞いて、さっちゃん、久くん!」
 ぱたぱたと軽やかな音を立てながら部屋に入って、幸恵はリビングに向かった。幸恵の家では、居間のテーブルが、ダイニングテーブルと勉強机の両方をかねている。
 その机に、一組の男女が腰かけていた。女は額を机に押しつけ、男は天を仰いでいる。
「あれ、どうしたの? 二人とも」
「サーチー」
 突然、天を仰いでいた織田久樹が恨めしげな声をあげる。幸恵は首を傾げた。
「なあに?」
「教えてくれ。どうやったら、丹羽教授にレポート受け取ってもらえるんだっ」
「えー? 別に特別なことなんてしてないけど。もしかして、久くんとさっちゃん、また付き返されたの?」
 三時間ほど前、これなら大丈夫なはずだと胸を張って、二人はレポートを提出するべく出かけていったのだ。夕方になれば、妹の菊乃が将斗を連れてくる。なら全員で夕食を囲めば楽しいだろうと、幸恵は買い物に行って帰ってきたところだった。
「日本語で書けと言ったはずだって付き返された。俺は自慢じゃないが、日本語しか出来ないぞ……」
 目の上で鳥が三匹ほど飛んでいそうな眼差しで久樹がうめく。机につっぷす爽子のほうは「論文じゃなくて小説だって言われたの」と微かな声をあげている。
 幸恵は首を傾げ、うーんと悩むそぶりを見せた。
「私、普通に書いただけなんだけどな。二人とも、一体どんな文章書いたのよ?」
 至極まっとうな質問に、半分ゾンビのようになった二人は交互に声を絞りだす。
「普通に」
「書いたつもり」
「――そうなんだ。とりあえず、気分転換してみたら? ハーブティいれてあげるよ」
 買ってきた品物をてきぱきとしまいながら、軽やかな声を二人に投げる。「幸恵、お嫁さんになる〜?」と、爽子が戯れ言を口にした。
 のっそりと久樹が上体を起こす。
「爽子が嫁を貰ったら、俺はどうなるんだ?」
「大丈夫、夫の位置はあいたままだから」
「なるほど」
「二人とも、なに壊れた状態で将来の約束してるの?」
 ハーブティ用の硝子の急須と葉を持ってきて、幸恵が呆れた声を向ける。二人はただただ、「もう駄目」と繰り返した。
 元気付けようがないと幸恵が溜息を吐いたところで、玄関のドアが開く音がする。続けて「ただいまっ」と明るい声が響き、「お邪魔します」という声が唱和した。
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竹原湊 湖底廃園
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