[第三話 紅葉、舞う]

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No.01  遠き言葉

「寮で近所なんだ。その関係で、仲が良くなった」
「――え?」
 尻餅をついたまま、梓は耳を疑った。憧れの雄夜が今、自分の疑問に答えて話しかけてきている?
 理解と同時に顔いっぱいに赤みがさしてきて、梓は恥ずかしく思いながらも笑顔になった。
「ありがとう、雄夜くん」
「――?」
 何故か不機嫌になる雄夜に、梓は困る。
「雄夜くん?」
「秋山、風邪なら早く帰って寝ろ。代わりにやっといてやるから」
「代わり? 私の代わり」
 頬にさす赤みがさらに強くなり、雄夜はますます不機嫌そうに唇を引き結ぶ。踏み台から素早く降りると、梓が握っていた雑巾を奪い取った。
「早く帰れ」
「え? あ、違うのよ、雄夜くん! わたし元気よ!」
 慌てて高い声で否定する梓の声に、廊下まで出てきた静夜と談笑していた久樹が顔を上げる。彼女の鞄を探して歩き出す雄夜と、誤解を解こうと頑張る少女に、微笑んで爽子の腕を取った。
「なに、久樹?」 
「あの子、雄夜のことが好きなんだなって思わないか?」
 秘密を共有する子供達のように顔を寄せて二人は囁く。静夜が子猫のように笑った。
「一目で分かることなんだよね、やっぱり。なのに雄夜だけが気付いてない」
「え?」
「気付いてない?」
 あんなあからさまな態度を取られているのに、と続く質問を顔いっぱいに現して、二人はきょとんとする。
 袴姿の静夜は、さらに笑いを深めて肯いた。
「そう。どうも雄夜は、自分が恋愛対象に成り得るとは考えたことがないらしくてね。秋山はあんなに露骨なのに」
「そうなの。大変ね、そんなに気付いて貰えないんじゃ。あ! 本人だけが気付かないって例、私も見たことあるわ」
 爽子がぽんと手を打つ。久樹は首をひねった。
「そんなん、あったか? あ、高校の頃か」
「違うわよ。私たちが中等部の頃」
「中等部?」
「毎日ね、迎えに来ていた女の子がいたのよ。方向一緒なんだもの、一緒に行きましょう!ってね。目当ての男子生徒は気付かなかったけど、その女の子の家は近所でもなんでもなかった。彼女にとって辛かったのは、目当ての男子生徒は、すでにいつも一緒に学校に行く幼馴染みがいたってことだったの」
 澄ました顔の爽子の前で、ぴんときた静夜が笑い出す。二人の態度に、え?と久樹は間抜けな声を上げた。
「俺?」
「そうよ。やっぱり気付いてなかったんだ。あの子、いっつも私を恨めしそうに睨んでたんだから。男って、自分に向けられる気持ちには疎いのかしら。静夜くんも気をつけなさいね」
「僕のことを好きな子? いないと思うけど、気をつけてみるよ。でもね、僕も気付かない例なら知ってるよ。しかも、両方が揃って気付いてない例。身近すぎて、気付けないみたいなんだよね」
「ええ?」
 二人は同時に声を上げる。
「本当、自分のことには気付けないってわけだね。それにしてもさ、本多さんは僕等を疑ってここまできたわけ?」
 ふっとトーンを落とす。そうすると、学級委員長の北条桜に問いかける里奈の声が耳にクリアに飛び込んできた。
「本当に、喧嘩はなかったの?」
 里奈は少し硬質な態度を取っている。桜は逆に穏やかな表情をしていた。
「喧嘩なんて起きていません。茶屋をやるなら、ちょっとした喧騒も演出したほうがいいと思って、大きな声は出しましたけど。それで誤解されてしまったのかもですね」
「演出? 随分とこってるのね」
「私、演劇部なので。そういうことも気になるんです」
「演劇部」
「なにか?」
 突然に里奈の顔色を変わって、桜は怪訝そうにする。
 様子を見守っていた久樹たちには、演劇に過敏に反応する里奈の気持ちが良く分かる。いたましく思いながらも、声を低めて静夜に顔を寄せた。
「完全に疑ってる。仲が良いって評判のクラスで喧嘩があり、それがお前達の二年A組だと知って、わざわざ確認することにした程だから」
「静夜くん、本当のところ何かあったの?」
 交互に囁かれて、静夜はくすぐったそうに目を細める。けれど視線は、どこか鋭さを宿して里奈を捕えていた。
「ちょっと気になることはあったよ。智帆を捕まえて話さないとなって思ってる」
「あったの!?」
 爽子が目を見張ったところで、里奈がきびすを返した。内緒話の三人に気付いて、少し怒ったふうになる。
「一体なんの相談? やっぱり何かあった?」
 里奈の硬い声に、桜が目を丸くする。
「私の話しに納得してくれたんじゃなかったんですか?」
 声には抗議と怒りがある。学級委員長の彼女にとって、自分のクラスの人間が不当に責められるなど許せなかった。
 桜の静かな怒りに目を見張り、慌てて里奈は取り繕う。
「そういうつもりじゃなかったの。私は行きますね。斎藤さん待たせてごめんなさい。えっと、レポートだったわよね」
 早口になる里奈に肯いて、爽子は久樹と二人歩き出す。途中気付かれないように視線を流すと、静夜にまた後でと唇だけで言った。
 教室にほっとした空気が流れる。
 クラスというものは閉鎖された空間で、部外者が入ってくると、異分子に侵入されたように感じるものだった。隠しごとまであったのだから、ほっとするのも当たり前だ。
「先生達は煙にまけたのに、まさか学生課の人が来るなんてね。まいったな」
 溜息の桜に、静夜は肩をすくめてみせる。
「しばらく、おとなしくしているしかないね。そういえば、亮は?」
 事があれば桜と共に動く副委員長の宇都宮亮の姿がなかったのだ。
「白鳳館の保健室。怪我したみんなを連れていく前に、康太先生買収計画を実行中」
「ああ、なるほど」
 高等部の保健医の元に行けば、殴りあいの喧嘩が露見してしまう。ならば生徒達の悪企みにすぐ参加する、統括保健医の大江康太を味方にするのが得策というものだった。
 彼をつるなら、ケーキに限る。
「あ、でも康太兄さんは寮の方の保健室にいるかもしれないな。今、入院生徒がいるから」
「そうなの? じゃあ、宇都宮に連絡しておく」
 即座に肯いて、桜は携帯電話を取りだす。細い指が短縮ダイヤルを押すのをみながら、静夜は康太の元に居る生徒――中島巧のことを考えた。
 
 
 中島巧は、大きなくしゃみをした。
 慌ててティッシュを手にして鼻にあてる。赤くなった鼻の下はひりひりとして、保健医の康太が買ってきてくれた柔らかいティッシュでも、当てると痛くなってしまった。
「あうう」
 巧が風邪をひいてから、すでに三日。今日になってようやく熱は下がり始めたが、体の重さは取れていない。それでも関節の痛みに唸るしかなかった昨日よりはとても楽で、俺死んじゃうかも、とはもう考えていない。
 少し楽になれば、お風呂に入りたいだとか、アイスが食べたいだとかも思えてくる。巧は枕を支えに体を上げようとした。
「たっくん! 駄目だよ、まだ起きたら」
 間髪いれずに声が飛んでくる。
 視線を流せば、ベッドが並ぶ部屋の一部に、畳の引かれた一角が見えた。そこには小さなシステムキッチンに、テーブルと本棚とテレビとパソコンがあり、ちょっとした部屋の体裁を整えている。
 白梅館に住まう寮生を、統括保健医の康太が看病する為の部屋だった。巧は初等部の生徒で、同室者も初等部の生徒だ。おかげで、風邪が悪化する前からこの部屋に連れてこられている。
 やわらかい笑顔と、どこかずれた言動が一応魅力的な康太は立ちあがって、冷凍庫から小さな器を取りだして巧の側に寄った。
「少し元気が出てきたなら、ご飯を食べないと駄目だよ。昨日爽子ちゃんがお見舞いに持ってきた、手作りのアイスは食べれそうかな?」
「爽子さん、来てたの?」」
「うん。とても心配そうだったよ。早くレポートを終わらせて、看病に来るからって言ってた。本当はここじゃなくって、自分の部屋で看病していたいんだけどってね、言っていたよ」
「爽子さんが、俺を看病」
 どことなく夢見がちな呟きをききながら、そのままスプーンにアイスをすくった所で、ドアをノックする音が響いた。
「あれぇ? 誰か来たみたいだね」
 困った声を上げる康太の手から、爽子手作りのアイスを受け取る。康太は巧が自力で食べられると判断して、ゆっくり立ち上がった。
「康太先生、ちょっと治療してやって下さいっ」
 男子生徒の声に、康太は少し急いで扉を開ける。唐突に目の前に現れた箱を条件反射的に受け取った。
「あっ! ミストラルのケーキだねっ!」
 お気に入りのケーキ屋の名前を叫んで、にこにこと箱を大事そうにした。それから初めて、ノックして来た生徒の背後にいる大量の怪我人に目を丸くする。
「どうしたんだい? なんだか喧嘩でもしてきたみたいだねぇ」
 康太の目の前で、引率してきた生徒――二年A組の宇都宮亮は手を合わせた。
「事情は聞かないで、とにかく手当てしてもらえませんか? あざが明日目立つようじゃ困るんですよ」
「あれ、私には言えないことなのかい? でもねぇ、言えないってだけで、何かあったって白状しているようなものだよ?」
「まあ、そうなんですけれど。でも……」
「んー。とりあえず、クラスの中だけのことなんだね? 特別誰かがひどい怪我をしたわけでもなくって、納得済みの結果なんだね?」
「それは保証します」
 真面目そうに深く肯いた亮と、渡されたケーキの箱を見比べる。
「買収されてしまおうかなぁ。二年A組の生徒ならユウ君としーちゃんのクラスだし」
「されて下さい。是非!」
「他の先生には内緒だよ? じゃ、中に入って。風邪を引いて寝こんでる子がいるから、騒いじゃ駄目だよ」
 にこにこと笑って、康太は一歩体を引く。先生は物分かりが良くて大好きですと亮は言い、全員でぞろぞろと中に入った。
 連れてきた生徒以外は、揃って打撲傷らしきものを拵えている。喧嘩があったとしか思えなかった。
「智帆にぃたちのクラスで、喧嘩?」
 巧は、智帆たちのクラスがとても仲が良いことを知っている。まだ調子を取り戻していない頭でも、それはひどく不思議に思えて、首を傾いだ。
 拍子に、がんがんと頭が痛んだ。まだ食べ物をそれほど欲しなかった体を無視してアイスを喉に流し込み、ずるずると布団の中に戻る。
 元気になったら何があったのか聞かなくちゃ、と思ったところで、巧は再び眠りに落ちていった。


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