[第三話 紅葉、舞う]

前頁 | 目次 | 次頁
No.05  不調和

「物思い中?」
 凛とした響きを持つ声が耳に響いて、大江静夜は頬杖をやめて顔をあげた。
 かあ、かあ、とどこか物悲しい烏の声と夕日を従えて、ウェーブの髪を三つ編みにした眼鏡のクラス委員長が静夜を見下ろしている。
「ちょっとね」
 言葉短かに答える静夜に珍しさを覚えて、北条桜は隣の椅子に腰掛ける。
「なにかあったの? 昨日は具合悪そうだったし、今日は沈んでるみたいだし」
 心配を宿す澄んだ桜の瞳に見つめられたまま、静夜は先ほどまでしていたように、昨晩の出来事に思いを向けた。
 ――白梅館の部屋から、風鳳館を見つめたのだ。
 風と光が生み出したスクリーンには、おびただしい数の光玉が映っていた。二年A組の教室などは、箱型の室内をぎっしりと埋め尽くす邪気の光に占領されていて、怪しくも美しくも感じるほどだったのだ。外から見れば、月の光が反射している程度にしか見えないというのに。
 数えきれないほどの邪気の光玉を、一つずつ潰すのは骨が折れた。けれど明確な意思を持つ邪気は最後まで現れることなく、結局単純作業の繰り返しで終わってしまった。
 静夜はそれが気になる。
 あまりに簡単すぎた。まだ何かある、何かが解決していないと考えるが、友人の智帆とは意見が食い違った。
『終わりだろ』
 智帆は冷たい眼差しでそう言う。
 風鳳館のどこを探しても、たしかに邪気の気配はない。けれど今回の邪気は、時に完全に気配を消すことが出来るのだ。――まだ安心は出来ないと言葉を重ねるが、智帆は最後まで同意しなかった。
 だから学園祭の準備の為に行われる、夜の居残り準備を始めた教室に智帆の姿はない。
 静夜の物思いにふける瞳に、二日前の突然の喧嘩を心配しているのだと察しをつけて、励まそうと桜が顔を近づけた。
「昨日は何もなかったし。今日も今のところ、なにも起きてないからきっと大丈夫よ。心配なのは分かるけど」
「僕が心配性になるとらしくない?」
「そうだね。だって、静夜くんって良い方向に物事を考えようとするから、一緒に居ると安心する。――大丈夫って思える」
「大丈夫だって思わないと、なんか辛くなるし。案外さ、悲観主義な人のほうが強いのかもしれないよ。なにせ、辛い、苦しい、怖いって思い続けていても生きていけるんだからさ」
 くすくすと笑って、静夜は立ち上がる。桜も追いかけると、強く「大丈夫よ」と言葉を重ねた。
「本当にそう思う?」
 しん、と。張り詰める冬の朝に似た空気をまとって、尋ねる。
「――静夜くん?」
 静夜が言葉に潜ませた硬質な響きに、桜の声が震えを帯びた。それに気付いて、静夜は一転して明るい笑顔を作ってみせる。
「なにかあったら、学園祭中止になっちゃうだろ。そんなことになったら、高等部全体に恨まれかねないなと思うと恐ろしくってね」
 大袈裟に体を震わせる。桜は「なんだ」と言ってから、笑い出した。
 利発な委員長を見つめながら、静夜は瞳に浮かべた真剣さを揺らす。
 ――本当に終っているのだろうか?
 終わってるとの判断が、智帆の本気だろうか?
「智帆の奴、なんなんだよ」
 桜にも聞こえぬ呟きを落とすと、教室の端に立っていた雄夜が振りむいた。静夜もつられるように視線を向けて、双子の視線がぶつかりあう。
 雄夜は頷いた。
 大丈夫だというかのように。自分は静夜の意見を信じるというかのように。
 静夜はずっと、双子でありながら雄夜と対等な立場を築けないことを悔しく思ってきた。今は対等であると感じられることが、なによりも嬉しい。
 気負っていたものが少し消えた気がして、静夜はほっと息をついた。クラス委員長の肩を軽く叩く。
「起きるかもしれないことを心配する前に、準備不足で参加不可能になる状態を防がなくちゃだ。北条、僕は何をすれば?」
「静夜くんは、茶屋の内装部分を手伝って。外形はなんとか取り繕えそうなんだけど、小物の準備が出来ないの。手先器用でしょ?」
「まあ、それなりに。――亮よりは確実に」
 すまして答えると、副委員長の陽気なバスケットボール部員の宇都宮亮が顔をあげる。口に三本ほどくわえていた釘を外すと「勝手なこと言ってるなよ〜」と声をあげた。
「そういえばさ、美人の爽子さんがいってた差し入れって、今日も有効なのか?」
「あれ、どうだろ? 今日に延期になったとは言ったけど。あの日は丁度料理作りたい日にぶつかったから、差し入れするって言ってただけかもしれないし」
「えー!? なんだ、そうなのか、残念」
 大げさに天を仰ぐ亮の態度に、クラス中から笑い声が起こる。雄夜の隣を陣取っていた恋する少女秋山梓は、買い込んできたスナック菓子を雄夜に手渡すチャンスをうかがっていた。
 作業はまだ始まったばかりで、いきなりお菓子っていうのも変かなと梓が考えたところで、暢気な声があがった。
「頑張ってるのかな?」
 がらりと扉が開いて、驚いた生徒達の瞳が一箇所に集まる。片手を軽く挙げた形で、にこにこと笑う男と、穏やかに微笑む女がいた。
「あ、康太先生と町子先生っ」
 昼休みに喧嘩を起こしてしまった、クラスの漫才担当の生徒が声をあげる。統括保健医の大江康太と、指定病院の医師である内藤町子は、生徒の間で最も知名度の高い部類の大人たちだ。
「今日、二年A組が居残りで作業やるから、ケーキを差し入れようと思っているんだと町子さんに話したらね。甘いものだけじゃダメでしょうって言うんで、一緒に来たんだよ」
「育ち盛りなのに、夜にケーキだけだなんて絶対にダメ。おにぎりとサンドイッチを持ってきたの。ケーキは、康太さんのお手製ね」
「ええ!? 康太兄さんの!?」
 ぎょっとした顔で、静夜が一歩下がる。隣の桜が目を丸くした。
「大変なこと?」
「歯が痛くなるくらい甘いんだよ……」
「そ、それは……キツイかも」
 静夜と共に震えて、桜はさりげなく町子が立っているほうに身体を寄せる。
 大股で雄夜は進むと、内藤医院の女医の前で手を出した。
「俺と、静夜と、北条と、亮と、秋山の分」
 どうやら隣にくっつく梓を、今日の作業のパートナーなのだろうと雄夜は考えたらしい。梓が嬉しそうに顔を真っ赤にした。
「雄夜って、実は女たらしだったりしてね」
「無意識の?」
「そうそう。あんな態度取られたら、余計好きになるよね」
 しみじみと呟きながら、静夜は雄夜が夜食を貰って戻る場所を確保する。梓を呼び、亮を呼んで集めてから、廊下に出た。
 水道の隣には、冷温水機がある。それを使ってティーパックでお茶を飲む生徒も多く、静夜もその一人だった。
 お湯をデカンタに入れながら、ふっと顔をあげる。
 廊下を照らし出す蛍光灯が、瞬いた気がしたのだ。
「――あれ?」
 じっと蛍光灯を見つめていると、階段よりの蛍光灯の一つが再び激しく瞬いて、音と共に消えた。
「電球が切れただけか」
 ほっとした声を落とし、静夜は教室に戻る。
 その、背後で。
 消えたはずの蛍光灯が、光を再び放っていた。
 

 織田久樹の家に行こうと廊下に出た所で、斎藤爽子は目を丸くした。
「智帆くん? あれ、居残りもう終わったの? 静夜くんたちは?」
 首を傾げて、爽子は周囲を探す。
 智帆の属す高等部二年A組の生徒達は、学園祭の準備の為に今日の八時まで居残り作業をしている。――当然、智帆も参加していると爽子は思っていた。
「俺は参加してないからさ。あと一時間はかかるんじゃないか?」
「え?」
「そんな不思議そうな顔しなくても」
 爽子がぽかんとした顔を、智帆は呆れ顔で見やる。
「あ、ごめん。ちょっと意外だったから。昨日の今日だし、智帆くんは絶対に行ってると思って」
 爽子の目が少し泳ぐ。ぴんと来て、智帆は目を細めた。
「様子見に行こうと思いたった所だったわけだ」
「昨日ので、邪気は全部浄化されたって言った智帆くんを疑うわけじゃないけど。でも、ほら……」
「気になるのが普通かな。でも大丈夫だよ。今日の昼に、風鳳館を全部確認してみたけど、変な気配は一つもなかった」
「あ、確認してたんだ?」
「そりゃあな。そうでもしなけりゃ、静夜たちを置いてけないよ」
「良かった」
 爽子があからさまに安堵するので、智帆は溜息を落とす。
「なんだか誤解されてるみたいだから言っておくけど。俺は俺なりに考えてるし、奴らのことも心配しているよ」
「智帆くん、優しいものね」
「――はあ?」
「優しいわよ。智帆くんも、静夜くんも、雄夜くんも」
 悪戯っぽく笑って、爽子は智帆の腕をするりと取る。
「久樹を誘って、やっぱり風鳳館に行こうよ。智帆くんも一諸に! だって気になるって顔してるよ」
「ちょ、ちょっと!」
「いいから!」
 爽子は強引に久樹の家の前まで、智帆を引っ張っていく。指がインターフォンに触れる直前、子供の悲鳴と共にすぐ近くの扉が開いた。
 爽子が息を呑む先で、二人まろび出てきた。一人はすぐに廊下に手をつき、口を抑えている。もう一人が、助けを求めて顔をあげた。
 視線がぶつかる。爽子ではなく、彼女の隣に立つココアブラウンの瞳と。
「智帆にぃっ!」
 恐怖をそのまま封じた表情で、中島巧は従兄弟の川中将斗を支えたまま、悲鳴じみた叫びを続けた。
「風鳳館がっ!」
 叫ぶ巧はパニック状態だった。
 片思いの相手の爽子の姿さえ目に入っていない。助けを求め得る相手だけを見つめていた。
 川中将斗は光さす場所を見る。
 ――大切に思う相手が危険に晒されたとき、この力は強く発揮されて来た。
「静夜にぃと、雄夜にぃがっ! 天井が落ちてきてっ!! それでっ!」
 将斗と同じものを共に見ている巧が、全身を震わせて叫ぶ。打たれたように智帆は走り出し、騒ぎに出てきた学生寮の住人をかき分けた。
 ――風鳳館で何かが起きている。
 智帆が去るのを確認しながら、爽子は子供らを抱きしめた。飛び出してきた久樹に二人を託すと、集まった野次馬に状況を取り繕う。人が立ち去ってから、爽子は久樹の家に入った。
「爽子、外は?」
「大丈夫。久樹、巧くんたちは?」
「将斗は別のところをみてる。巧も同調したままだな。何を見てるんだ?」
「風鳳館で、静夜くんと雄夜くんが危険な目にあってるみたい」
 低く爽子が囁く声に、巧が反応を示した。瞳孔が開いていきそうな危うい瞳をあげて、赤茶色の眼差しが周囲をさまよう。
「巧っ!」
 慌てて近寄り、久樹は子供の華奢な肩を掴んだ。軽くゆさぶると、巧はしっかりと久樹の手を掴む。
「風鳳館に。……行かないとっ! 智帆にぃだけじゃダメだっ!」
「智帆だけじゃ、駄目?」
「中が……あれは、違う。同じだけど、同じじゃない。将斗が見てる風鳳館、あれはっ!」
 語尾を詰まらせて、巧は手を離して自分自身の頭を抑えた。――恐怖に負けている。久樹は少しばかり強く子供の頬を叩いた。
「巧っ!」
「久樹、にぃ?」
「智帆だけじゃ駄目なら、俺達がいる。あの双子なら、そう簡単に邪気にやられたりしないさ。時間はある。俺達は助けられる。違うか?」
「助けられる?」
「全員がいれば必ず。巧、将斗を正気に戻してくれ。冷静になって貰わなけりゃ手も打てやしない。そうだろ? 何か出来る、俺達にだって出来るんだっ」
 久樹が放った声に巧は瞠目した。まじまじと相手をみやる。
 子供の瞳が急速に冷静さを取り戻し始めているのを確認して、久樹は頷いた。
「出来る。うん、そうだよ。ありがとう、久樹にぃ。将斗!」
 将斗の隣ににじり寄る。一卵性双生児でもないのに、そうであるかのように強い精神同調をはたす従兄弟同士は目を見合わせた。
 将斗の表情が落ち着き、子供達は立ち上がる。
「久樹兄ちゃん、爽子姉ちゃん。行こう。風鳳館に行って、智帆兄ちゃんに教えなくちゃ。静夜兄ちゃんたちが居る風鳳館は、ここじゃないってことを」
「ここではないって?」
 震える声で爽子は尋ねる。
「夏のとき、炎鳳館が違う場所みたいに見えたよなー。でもさ、あれは幻覚みたいなもので、実際に教室がなくなってたわけじゃなかった。でもさ、今見えたのは全然違ってたんだよ」
 泣きそうに声を詰まらせた将斗の背を、巧が支える。
「あるけど違ってる。そういうことなんだ」
「あるのに違う? 待ってくれ、俺には意味がわからない。爽子は分かるか?」
「私もちょっと……」
 困惑する二人以上に、子供たちは困った顔をしている。「えっと」と巧はロを開けた。
「あのさ、静夜にぃ達二年A組の生徒達が居るのは、俺達が知ってる風鳳館じゃないんだ。なんだろう、ほら、小説とかでよくあるじゃん。同じなのに、同じじゃない。別の……」
「別の世界?」
 呆然とした爽子の声に「そうな感じだよ」と肯く。
 不意に顔をあげると、将斗は真っ直ぐな瞳で二人を据えた。
「繋がってる場所はある。静夜兄ちゃん達との繋がりが切れたわけじゃないよ。誰かが中に入って、探しに行って、外に誘導しないと。でもどうやって道を伝えればいいのか。俺さー、まだ、完全には力を使えこなせないよ」
 有効な能力を使いこなせないと口にするのが、辛いことだと痛いほど知っているので、久樹は将斗の頭を撫でていた。
「俺達みんな半人前だ。でもな、ここで止まってたって意味はない。智帆が良い方法を知ってるかもしれない。だから、まずは行こう。いいな?」
「うん」
 頷いた子供達が走り出した後、爽子は久樹の手を掴んだ。
「久樹。私にも何か、出来ると思う?」
「爽子?」
 彼の目を覗き込んでくる、漆黒の瞳が今にも泣き出しそうで、久樹は驚くと同時に理解した。
 ――爽子にも自分達と同じ能力がある。けれどそれが発揮されないことが、どれほど辛いことなのか。
「出来るさ」
 強く答える。
 久樹の言葉は嘘りの慰めではなく、本気で思っているからこその強さがあった。爽子はすがるように身体を近づける。
「なにが出来ているの?」
「爽子が居てくれれば、俺は頑張れる。爽子が居なかったら、俺は取り乱してたよ。いつだって、俺達に冷静さを取り戻させてくれるだろ? 俺達全員の人間関係についても、考えてくれてるだろ? それがあるから、まとまれたんだ。爽子が俺達を繋いだんだ」
「私が……繋いでいる?」
「自信もてって」
 将斗と巧の呼ぶ声が響いたので、久樹は顔をあげる。その横を通り過ぎて、爽子は笑った。
「久樹、ありがとう。行こうっ」
「ああ」
 強く笑って見せた爽子の心が、久樹には誇らしい。
 四人は先に走り出した智帆を追って、白梅館を飛びだした。
 


 前頁 | 目次 | 次頁

竹原湊 湖底廃園
Copyright Minato Takehara All Rights Reserved.