[第三話 紅葉、舞う]

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No.01  距離の問題

 なにもかもが白濁している。
 ぼんやりと思ったところで、激しく喉がむせた。
 「なんだ?」と声を出そうと開いた口を狙って、さらに細かな粒子が入り込んでくる。床を滑らせた手は灰がかった粉に埋められ、静夜は周囲の異常さに驚いた。
 白い粉末が空気中を漂っている。
 机が散乱し、椅子が転がり、モスグリーンのラインの入った制服を着た生徒達が倒れている。天井の一角は破壊され、コンクリートの中から無骨な鉄骨がはみ出ていた。
 窓ガラスにはひびが入っている。飛散防止のシートが役立ったんだと、混乱しかけた頭で思った。――雄夜はどこにいるんだろう?とも。
 ポケットのハンカチを口に当て、空中を舞った埃と破壊されたコンクリートの粉末をなんとか防ごうとする。そろりと上体を起こすと、隣りの生徒の腕に足があたった。
「北条?」
 体をずらして、倒れている少女の名前を呼ぶ。両手で体を起こすようにすると「う、ん……」と声を漏らし、勝気なクラス委員長の目が僅かに開いた。
 途端に、彼女も激しく咳き込みだす。慌ててハンカチを渡そうとすると、桜は首を振った。スカートから自分のを取り出して、なんとか立ち上がろうとする。
「一体……なにが……」
 桜の声が呆然としている。「揺れたよね」と静夜が答えた。
 差し入れの軽食を口にした後、作業の最後の詰めを行おうと全員が意気込んでいた。その途中に停電が起き、直後激震が生徒達を襲ったのだ。
「地震だよね。……雄夜、どこだろう」
 濁りのために透明度が下がる視界の中、静夜は双子の方割れを探す。途中で倒れている生徒には声をかけながら、広いわけでもない教室を探しきったところで、静夜は呆然とした。
「雄夜?」
 激震が襲ってきたとき、雄夜は確かに教室内に居た。嬉しそうに顔をほころばせて、彼を手伝っていた秋山梓と共に居たのだ。
 教室の窓側の隅には、崩れた天井の一部と、ホワイトボードが倒れていた。椅子と机も折り重なるようになっている。――たしか雄夜は、あそこに居なかっただろうか?
 血液が音を立てて下がり、体中から消えてなくなるような衝撃に静夜は震えた。
 桜に起こされた宇都宮亮が、友人の異変に気付いて「どうした?」と声をかける。方々で意識を取り戻した生徒達が起こす軽いパニックの喧騒の中で、静夜の凍りついた様子はひどく目立った。細い肩に手を置くと、操られでもしたように顔を上げる。
「雄夜が……それに、秋山も……」
 紅茶色の瞳が見つめるのは、折り重なった瓦礫の山。
 慌てて亮もクラス中を見渡して、無事を確かめ合う生徒の中に、雄夜と梓がいないことを知る。
 喉につまらせるように亮が息を飲んだ。静夜が駆け出す。
「雄夜っ!」 
 切羽詰った声と共に、手に触れる瓦礫や机などを避けていく。ホワイトボードはひどく重かったが、なんとかずらすことは可能だった。慌てて亮と桜も加勢し、他の生徒達もそれに続く。
 雄夜になにかあったらと焦る気持ちが、血液が氷にでもなったように、静夜を震えさせた。障害物をどけるたびに、大丈夫だと信じる気持ちと、もしかしたらと怯える気持ちが衝突する。
 電気の切れた教室内は暗く、瓦礫の奥に埋もれているかもしれない人影を捕らえることが出来ない。煌々と闇を照らす月の光は、捜索にはあまりにか細かった。
「静夜っ! 中に空洞が見える! きっと何かがつっかえ棒になったんだ」
 亮が静夜の手を引く。
 慌ててそちらに体を寄せると、確かに空洞が見て取れた。同時に静夜は泣きたくなった。他の誰にもわからぬだろうが、静夜には光が見える。大地の式神、橙花の放つ光だった。
「雄夜っ!」
 おそらく雄夜は気を失っている。のそりと橙花は出てくると、膝をつく静夜の足に鼻面を押し付けた。言葉で伝えて静夜が声で返事をしないように、橙花は仕草で無事を知らせたのだ。
 赤に近い金の瞳に見つめられて、静夜は落ち着きを取り戻す。主である雄夜の命の危機に、橙花は召喚なしで出現している。早々に正式な召喚が必要だった。
「雄夜」と再び名を呼ぶ。この声はひどく冷静で、彼を見守っていた亮や桜などのクラスメイトたちは驚いた。
 何度目かの呼びかけで、中から雄夜のうめくような返事があった。
「雄夜、秋山は?」
「静夜? ……秋山は、いる」
 主の声に橙花がするりと中に戻っていく。召喚をかけずに姿を現した橙花に驚いた気配が生まれ、すぐに正式な召喚の光がほとばしった。
 橙花の力によって支えられている空間は、かまくら状になっており、意外と広い。雄夜は式神の光を頼りに倒れている少女の肩を掴み、一見しての怪我がないことにほっとした。
「秋山」
 低く呼ぶと、何故か意識のない梓が幸せそうに笑う。それが大量のケーキを前に至福の笑みを浮かべる康太のようで、雄夜は怪訝そうにした。
「秋山?」
「う……ん、雄夜くん……」
「なんだ」
 幸せな夢の終わりに、幸せの相手の声がして、彼女はがばりと上体を起こした。ぶっつりと切り揃えられた黒髪の揺れる頭が、覗き込む雄夜の顎を直撃する。あまりのことに悲鳴をあげそうになって、雄夜は切れ長の眼差しをぎゅっと閉じた。
「え……え? ええ? 雄夜くん!?」
 雄夜の顎に強打した方も当然痛い。それでも、梓は体を引いた雄夜ににじり寄った。
「もしかして私の頭とぶつかったの!? ごめん、ごめんなさいっ! 痛かった!? ハンカチどこだろう……って、ここなに!?」
 瓦礫に生まれた不思議な空洞に、梓は目を丸くする。異能力を持たぬ者にも見えるように、外からのものに見せかけて僅かな光を発生させていた。その為に梓でも状況を知ったのだ。
 外からは笑い声が響いてくる。梓はそちらを見やり、人一人分くらいはなんとか通り抜けることが出来そうな穴に気付いた。笑い声もそこから入って来ている。
「秋山、先に出ろ」
「え?」
「俺が後に出る。早く出ろ」
 厳しい眼差しが梓をじっと捕らえる。普段の彼女ならば、嬉しさに舞い上がっただろうが、今は違っていた。雄夜の真剣さを受け取って、梓も厳しい表情になる。
 ふわふわと浮くシャボン玉のような印象の梓が見せた凛とした表情に、雄夜は驚いた。クラスメイトの女子生徒の一人とだけ捕らえていた雄夜が、初めて、”秋山梓”という少女を個別認識したのだ。
 梓はすぐに頭を低くすると這い出し始めた。入り口に居た静夜は体をずらし、かわりに友人の桜が前に出る。
「梓、大丈夫?」
「あ、桜っ。大丈夫、それより何が……っ!?」
 あったのと続けようとした”あ”の形を保って、梓はぽかんとした。
 教室の中がめちゃめちゃになっている。椅子が倒れ、机も倒れ、足元には灰白い粉末が雪のようにたまっていた。居残り作業をしていた十五人ほどの生徒達が、制服を埃まみれにしながらも、心配そうに見つめている。
「桜……変だよ」
 外に出きって、梓は教室中を見回して呟いた。
 続けて雄夜が出る。静夜が「橙花に感謝だよ」と小声で囁いた時、梓が困惑しきった顔を片思いの相手に向けた。
「大道具、どこにいっちゃったの? 作ってた小物もなにもないよ」
 雄夜は目を見張った。静夜は慌てて教室を見渡す。顔を見合わせた正副委員長コンビも周りを見やって「え?」と声を上げた。
 月明かりに照らされる教室の中は、閑散としている。
 作っていたはずの大道具も、合わせていた衣装も、飾り用の小道具も、何一つ転がっていない。
「最近……変なことがよく起きてるって、噂あったよね」
 女生徒の一人が、ぽつりと言った。
 パニックを起こす寸前の微妙な均衡を保っていた生徒達の心が、氷柱のように突き立てられた恐怖に震えていく。
「落ち着いてっ! 大丈夫よ、外に出ればなんてことないよ。ほら、外は静かだもの。地震があって、ちょっと停電がおきただけよっ!」
 冷静さを保たせようと声を励ます桜を見やり、”変なことが”と口にした女生徒が腕を持ち上げた。
「ねえ、外の街灯は電気ついてるよ。電気消えてるの、ここだけ。そんなの変だよ」
 関節のきしんだ人形のように、ぎこちなく桜は背後を見やる。
「ここだけなんだよ」
 外の道路を照らす街灯は、赤々とした光を放っていた。
 街路樹は柔らかな静寂の中で眠っている。校舎の一部が破壊されるほどの、地震が起きた後とは思えなかった。
 全員の認識が更に恐怖に傾ぐ。
 これではいけない、冷静にさせなければいけないと思う桜の心まで、恐怖に凍り始める。
 静夜はクラス委員長の肩を掴んだ。同じように雄夜も、隣りの梓の肩を叩く。
「外に出よう。ここだけが変なら出ればいいだけだ。走らないで。ゆっくり。硝子が飛散してる場所もあるかもしれないから、上履きは絶対に履いて。雄夜と亮はみんなを先導する。僕は後ろを見てるから」
「静夜くん?」
「大丈夫だよ北条。怖いけど、逆に外が平気そうならそのほうがいいだろ? 出てしまえば、問題ないんだからさ」
「そ、そうだね」
 頷いて、全員に声をかけようとしたところで、桜はまぶしさに手を上げた。
 まるで突然のフラッシュの雨に巻き込まれたかのように、光が降り注いできたのだ。
「懐中電灯を、誰か持ってたの?」
 めまぐるしい点灯を、光は繰り返している。
「誰? 折角あったなら、宇都宮に……。――え?」
 確かに懐中電灯はそこにあった。
 けれど光の持ち主は居ないのだ。
「懐中電灯が……浮いて……」
 狂ったような光の点滅を、誰もが一斉に見つめる。ひゅう、と。悲鳴になりきれない呼気が喉をかすめ、遅れて誰かの悲鳴がほとばしった。
 入り口近くに居た生徒が、飛びつくように扉に手をかける。ぎしぎしと鳴る音と共にそこは開き、我先にと生徒達が飛び出していった。
「雄夜っ!」
 方割れの名を叫ぶが、先導する為に入り口近くにいた雄夜の体は、波に押されるように外へと流れて見えなくなる。静夜自身も恐怖にかられた誰かに腕を掴まれて、教室から押し出されそうになっていた。桜も同じように押されているのが見える。
 廊下を抜け、階段を目指し進む生徒達の目の前で、再び空中にふらふらと漂う光のフラッシュが襲いかかった。どこかで誰かが怒鳴り声を発し、近くの誰かが腕を振りかぶる。二日前に起きた突然の喧嘩が、再び目の前でおき掛けていた。
「雄夜っ!!」
 静夜が緊張に打ち震えた声を張り上げる。
 姿が見えぬ代わりに、前方から閃光が走った。竜の形をした式神、水の蒼花が出現したのだ。静夜もまた意識を集中し、能力によって生み出した光を一息に溢れさせる。
 波の音がこだまする。――能力を持たぬ者の耳には、可聴音として届かぬけれど、心には響くさざめきが。
 男子生徒たちが殺気だって振りかぶった腕が止まり、目の前の相手の顔を凝視し、拳を握り締めたままの己の腕を呆然と見やった。
「な、んだ? ……今の……」
 前回に起きた喧嘩には参加していなかった、副委員長の亮の呆然とした声。クラスメイトに暴力を振るおうとした現実に、打ちのめされている声だった。
 暴動になる寸前で興奮を鎮火させられた為か、生徒達は呆然としている。強引に行動を指示するには丁度よいと、掴まれていた腕を解きながら静夜は声を出した。「静かに。とにかく外に出よう」と言えば、雄夜と亮の「分かった」という返答が響く。
 静夜は違和感に首を傾げた。
「なにか……」
 なにかが奇妙だった。散々な様子のクラスメイトを一人ずつ確認していって、はっと静夜は息を飲む。
 


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