[第四話 凍土]

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No.01  異邦人

 ざく、ざく、と、降り積もった雪を踏み分けるブーツがたてる、こもるような音が響く。
 頭上に厚い雲の翼を広げる空が、しんしんと雪を降ろしていた。
 音をたてて、ゆっくりと歩く斎藤爽子は一人だった。幼馴染みの織田久樹とは、途中で別れている。
 旅行鞄を雪の上に無造作に置き、ガードレールに腰掛けて、声をかけてきた青年がいたのだ。
 長い髪を結び、前髪の幾束かを緋色に染めている印象的な青年を、爽子は知らない。
 ただ、傍らの久樹は違った。
 目を見開き、続けて懐かしそうに笑ったのだ。
「松永弘毅(まつなが こうき)っていってたよね」
 雪を踏んで進む足を止め、爽子は軽く顎を上げて中天を睨む。


 大江康太と内藤町子の結婚式の二次会の招待状が届いたのは、一ヶ月前の正月休みだった。
 会場は白鳳学園のある伏巳区のカフェで、”ミストラル”という。学園近くにあるケーキ屋の姉妹店で、康太が週に三度は通うお気に入りの店なのだ。
 当日の力フェは、まるでお菓子の家だった。
 テーブルを所狭しと占拠するのは、飾りの花よりも色数の多いデザートの山と、色とりどりの力クテルとジュース。
「すっごい。康太先生、趣味を暴走させたよね」
 ぽかんと目を丸くする爽子の隣で、久樹は知り合いを探してぐるりと視線をめぐらせる。
 知らない人々に囲まれていると緊張してしまうので、早いところ知り合いと合流したかったのだ。
「いないなあ」
 ケーキに目を奪われている爽子をおいて、手っ取り早く受付に尋ねてみる。
 主役の大江康太・内藤町子はまだだが、康太の甥っ子であり、久樹たちの友人である大江静夜・雄夜の双子は既に来ていることが分かった。
「頬みがあるんだ、爽子」
「なに、久樹?」
「双子どこにいるかなって。もう来てるらしいんだ。ケーキの種類数えるついでに探してくれよ」
「ついで?」
「本当のことだろ? どうも人探しって苦手でさ」
 頼むよと笑われて、爽子は「もう」と唇を尖らせる。
「えっと。あ、あそこ!」
 飴とグミが飾られた観葉植物に隠れるようにして、誰かと喋っている双子の姿があった。
 揃いの服を着ているのだが、体型も顔も似ていないせいか、印象は全く異なっている。
 隣には秦智帆の姿もあった。
 爽子は智帆のことを、誰にも縛られない孤高さを持つ少年だと思っている。
 けれど目の前にいる智帆は、まるで別人だった。双子の前にいる中年の男女から、優しい眼差しを向けられるたびにひどく困惑している。
「爽子」
 低い声に囁かれて、爽子は久樹のこげ茶色の瞳を見上げた。
「あの二人って、静夜と雄夜の両親だろ?」
「多分ね、なんとなく雰囲気似てるもの。すっごく暖かそうな人たちね」
「だな。特に、あの仲良し夫婦って感じがいいな」
 本気で羨ましそうにする久樹の素直さに、爽子はくすりと笑う。
 久樹ならば、優しい夫となり父親になるだろう。
 考えて、ふっと爽子は冷静になった。
 ――誰なのだろう?
 そう、思ったのだ。久樹と共に歩いて家族を育む、その女性は誰なのかと。
 冷水を頭から掛けられたような衝撃に震えた爽子の肩に、久樹の手が置かれた。
 驚いて息が止まりそうになる。久樹は爽子の様子に気付かず、ただむずかしい顔をしていた。
「なあ、智帆と静夜、様子がなんか変じゃないか?」
「え?」
 静夜は智帆を隠すようにしていた。彼の両親と思われる二人の視線から。
「……智帆くんを庇ってるように見えるわね」
「自分の親から友人を庇うって、ありか? 雰囲気だって、いかにもあったかそうなのにさ」
「智帆くんがそれに何かを感じるなら、静夜くんなら庇うかも」
 友人を傷つけたくないと願う意識を、彼が強く持っていることに爽子は最近気付き始めている。
 でも一体どうして?と疑問に思ったところで、当の本人である静夜が二人に気付いた。爽子がこっそりと羨ましいと思っている、紅茶色の美しい双眸がぱちりと開かれる。
「久樹さん、爽子さんっ!」
 明るい声とともに、静夜は軽く手を振った。
 二人は顔を見合わせ、すぐに駆け足になる。雄夜と智帆も体を斜めにし、双子の母親らしき人物も驚いた顔で振り向いた。
 二人を前にして、細い首を傾げると優しく微笑む。
「はじめまして。織田さんと、斎藤さんですね? いつもこの子達がお世話になっているみたいで、ありがとうございます」
 ゆっくりと頭を下げられて、二人は慌てて首を振った。
「世話だなんてとんでもないです。私たち、友達ですから。色々一緒にやるのは、当たり前だし、楽しいですし、助けても貰ってますし」
 実際、爽子と久樹は、高校生達の助けを得たことで、乗り越えられたことが山ほどある。――世話になっているのは、むしろ自分たちの方かもしれないのだ。
「食事させていただいているのは事実ですもの。この子達ったら中々帰ってこないし、電話も手紙も元気の一言で済ませようとするんですよ。このお正月に帰省してきて初めて、あなた方のことを話したというわけなんです。だからお礼が遅れてしまって」
 情けなさそうに首を振って、彼女はさりげなく双子を睨んだ。
 育ち盛りの二人が、よそ様のお嬢さんの世話になり、金銭的な負担までかけていたことは、彼女にとって許せることではない。父親も、双子の頭を軽く小突いた。
 双子は肩をすくめると、悪戯小僧のようにぺろっと舌を出す。
「まったくこいつらときたら礼儀を知らなくて。我々は育て方を間違いました。康太にもいったんだが、知らなかったんだ? とのんびり笑われましてね。お礼は、後ほどさせてください」
 聞こえの良い低音と共に、父親も丁寧に頭を下げてくる。
 ただただ困りきって、爽子はひたすらに首を振った。
「材料費は、ちゃんと全員で割ってるんです。それに、私が一人で作ってるんじゃなくって、みんな手伝ってくれますし。静夜くんは、とっても料理上手ですよ」
「この子達が手伝ってる? 静夜が料理?」
 本当に驚いた顔をして、母親は双子に向き直った。
「雄夜、静夜、どうして家では手伝ってくれないの?」
「俺が手伝ったら卒倒するだろうから」
「やっぱり母さんの手料理食べたかったしね」
 とびっきり甘えた表情で、めいめい笑顔になる。これにはどうも弱いらしく、「もう」と子供のように母親は頬を膨らませた。
「わたしだって、息子の手料理食べたかった。ねえ、翔太も食べたかったでしょう?」
 翔太というのが康太の兄で双子の父の名前で、母親の名前は鞠子という。
「次に帰ってきたときは、作ってくれよ。私も鞠子も楽しみにしてるから。織田さんと斎藤さん、こいつらがなにかやらかしたら、遠慮なく私たちに言ってください」
 言って、翔太は手を伸ばして双子の頭を下げさせる。ふてくされた顔で、父親の手からすり抜けて静夜は両手で頭を押さえた。
「小さい頃から、他人様に迷惑なんてそんなにかけてこなかったけど。手が掛からなくっていい子だって、言い続けてきたくせに」
 わざと怒った声で言う。鞠子は目を丸くし、ふわりと笑った。
「そうね、静夜は本当に全然手がかからなかったものね。勿論、手はとっても掛かっているけれど、雄夜だっていい子よ」
 背伸びをして、鞠子は背の高い雄夜の頭をなでる。雄夜の頬は僅かに赤くなり、静夜はやれやれと肩をすくめた。
 智帆はまだ、一言も口にしようとしない。
 静夜はちらりと智帆の様子を確認してから、久樹と爽子に向き直った。
「母さん達に、僕らがどんな感じか語ってやってよ。というわけで、智帆、ちょっといいかな」
 ぐいと手を引き、歩き出す。
 静止が間にあわぬ素早さに、大江夫妻は目を丸くした。
「どうしたんだ、静夜は。ところで雄夜、あの秦くんという子はおとなしい性格なのかい?」
「智帆がおとなしかったら、静夜はおとなしすぎるってことになる」
「じゃあ、人見知りしていたのかな。なにかひどく辛そうにみえたから、気になったんだが」
 心配そうな翔太の言葉に、全員なんとなく、どこかに歩いていく二人の背を目で追った。
 静夜と智帆は、普段は席待ちの客が順番を待つ入り口脇のホールまで出て、おいてあった椅子に腰掛けていた。
 智帆は軽く手を持ち上げて伸びをし、少し照れた笑みを浮かべる。
「悪かったな」
「なにが?」
 ようやく息が付けたといった様子の智帆に、静夜は来る途中で器用に取ってきたグラスを渡す。カラン、と氷の音を立てるウーロン茶が涼やかで、不思議と人の心を落ち着かせた。
「俺の態度、悪かったからな。適当にあしらうなんぞ簡単だから、大丈夫だと思ってたんだけどな。雰囲気がお前らに似てるせいか、どうも調子がでなくてさ。さてどうするかって考えている内に固ってたよ」
 智帆は異能力を持つが故に親にうとまれ、愛情を受けずに育ってきている。
 その為か、深い部分で他人との距離をどうやって取ればいいのかが分かっていないところがある。他人を突き放した雰囲気を持つのも、そのためだった。
 静夜に本音をもらすようになったのは、秋の事件以降のこと。二人は周りを驚かせるほどの喧嘩をあれから何度も繰り返し、互いの距離をつかんでいったのだ。
「しかしあれだな、分かったことも一つある。どうやら俺の考えは甘かったらしい」
「固まったことが?」
「違うさ。家族から異端視されていないのに、親元から離れようしたのは変だと思っていたことさ。積極的に情報を集めたとは思えないが、情報を聞いて白鳳に行くことにしたのは変なことでもなかったんだと思ってさ」
 友人の口上に、静夜はすうっと目を細める。そのまま背もたれに体重を預けると、手にしたグラスの中身が揺れて、わずかな滴を白い手の甲に飛ばした。
 ゆっくりと目を上げてくる。まるで試すかのような視線を、智帆は上から覗き込むようにして受け止めた。
「お前さ、親に遠慮があるだろ」
「なんでそう思う?」
「静夜が親の前で、自分を作ってるのに気付いたからだな」
「それ、気付かれたの初めてだよ」
 深海を横たわる海溝に似た重さを宿して、静夜は苦笑する。
「俺の目は節穴じゃなくってね。……しかしなんだってそうなったんだ? 最近のことじゃないだろ」
「全部お見通しなら、理由までどうぞ」
「それは無理だな。俺には、”異能力”を受け入れた親ってのが理解できないし、受け入れられているのに自分を作る必要があるっていうのも分からないからさ」
「受け入れられる状態を保つには、いろいろと条件があってね」
「無条件じゃないってわけか」
 前屈して顔を覗き込んできている智帆の胸を押して、静夜は体を起こす。
「そう。それにね、全部を知っているわけでもないよ。父さんたちが理解しているのは、とにかく雄夜の傍では何かが壊れたり、心がささくれだつような気になるってことだけだったから」
「それじゃあ、雄夜の力だけってことになるだろ」
「――そうだよ」
「静夜?」
 怪訝そうな智帆の問いに、静夜は紅茶色の目を細めて長い睫毛を伏せる。濃い影が苦悩を宿すかのようで、眼鏡の下の目をわずかに細めた。
「式神っていうのはさ、主を持たなければ、邪気に等しい存在なんだよね。だから不思議なことがおきたし、心があれることにもなったんだ」
「そりゃそうだな。――いや、待てよ。ひとつおかしくないか?」
 眼鏡のレンズの下にある、どちらかといえば垂れ気味の目を細める。次第にその眼光は強くなり、最後は睨むようにして静夜を見やった。
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