[第四話 凍土]

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No.02  異邦人

「なんでその程度の影響ですんでいた? 静夜、前に言ったよな。能力に目覚めたのは、雄夜が式神を操るようになってからだって」
「ずっとそう思ってたんだけどね。白鳳に来てからいろいろあったから、考えてみるとさ」
「――違っていたかも、と?」
「無意識にね。それだったら、影響が少なかった理由も納得できるし。父さんたちの理解はこうだよ。”雄夜の傍では異変が起きる。静夜が傍にいれば、異変は起きにくい。だから一緒にいさせよう”ってね。これだと、全部を受け入れてるってことにはならないだろう? 僕だって、コントロールできずに力を暴走させたことがある。でも父さんたちは、それを僕が原因だとは思わないんだよね。雄夜が起こした異変のひとつだと思ってる」
 静夜の白い歯が薄紅色の下唇を激しく噛んだので、智帆は軽く友人の肩を叩いた。
「異変は雄夜のせいになり、穏やかになるのは静夜のせいだと思われている?」
「親は、ね。周囲は”双子”が異変を呼ぶと考えたよ」
 不可思議な現象によって物が壊れ、心も苛立つ。傍に必ず大江兄弟の姿があるならば、異変は双子のせいだと周囲が考えるのは当然の結果だった。
 ――噂は、こうやって始まる。
 噂が立てば、次にどうなるのかを智帆は知っている。首を振って自らの忌まわしい記憶を振り払い、彼は友人の目をじっと見つめた。
「父さんたちの誤解を解いちゃいけないって思ったんだ。僕がいれば雄夜は大丈夫なんだって考えているのに、それを壊したら大変なことになるって。――父さんたちは、雄夜のことだったらなんだって許容できたから。僕のことで負荷をかけるわけにはいかないって」
「ちょっと待て、その考え方はなんだ?」
「雄夜って、体が丈夫じゃなかったんだよね。生き死に関わることはなかったけど、突然の高熱とかしょっちゅうで、無理がきかなくて」
「それで?」
 遠慮なく続きを促す声に、静夜は手を伸ばして友人の腕をつかんだ。
「体を強く産んでやれなかったことを、母さんは良く泣いてた。父さんはお前のせいじゃないって必死に慰めててね。雄夜に申し訳なくてたまらなくて、可哀想だって、苦しんでた。自分たちのせいで苦しんでいる雄夜を、悪く思うなんてとんでもない!って思ってたみたいで」
 それでも、恐ろしい、怖い、不気味だと考えてしまう瞬間は、確かに存在していたことを、静夜は知っている。――異変が起きたときの一瞬の表情を見れば、痛いほど伝わってくるのだ。
「父さんも、母さんも、雄夜を否定しそうになった自分を許せなくて、不安定になって、いっぱいいっぱいになってたよ。あと少しで、本当に壊れてしまいそうだった」
 静夜の幼い頃の思い出は、雄夜が苦しんでいるベッドの横におかれた椅子から見える光景が占めている。両親が混乱し、動揺する有様を、痛いほど繰り返して見てきたのだ。
「父さんと母さんが雄夜にかかりっきりになるのは仕方ないって思ったよ。同時に、僕がいればなんとかなるんだって信じていることを否定しちゃいけないとも思った。僕に手がかかっちゃいけない。僕は大丈夫じゃないといけない。そうじゃないと、父さんも母さんも壊れてしまうからって」
 寂しくないといえば嘘になる。我侭をいいたいこともあったし、良い子でいるのに疲れることもあった。第一、自分のせいで起きたことさえも、雄夜が起こしたと思われるのも辛かった。なにか自分だけ、安全圏に逃げているような気がして。
 けれど、だ。かろうじて保たれている平穏を守るためには、飲み込むしかなかった。
「雄夜は僕が守るんだって思うことで、自分の気持ちに折り合いをつけてきたんだ……」
「でも、それも壊れたんだろ?」
 ぽつりと落とされた智帆の声に、泣き笑いのような顔をした。
「式神を認めたことで破壊衝動に支配され、僕を殺しかけたあの事件でね。最初から対等なんかじゃなかった僕たちの関係は、逆になってしまった。親は雄夜を守る僕を願ってる。雄夜は僕を守る対象にしてしまった。――もう、どうしていいか分かんなくなって、気づいたら態度を演じるようになってた」
 空気が張り詰める。
 静寂が二人の間に訪れて、まるで重さを持ったかのように圧し掛かった。二人は同時に苦しげに息をつき、首を振る。
「お互い、色々なわけだ」
「まあね。いろいろだよ。改善しなくちゃいけないことも山ほどある。いつか、さ」
「静夜と雄夜の関係は改善されてきたわけだ。なんとかなるさ」
「智帆だって、変わってきたわけだしね。少なくとも僕には本音を言えるようになってきたと思ってるけど」
「否定はしない。ま、変われるっていい証拠だ。――時間さえあればな」
 智帆の声が凍る。すっと、眼差しに鋭さを取り戻して、静夜はうなずいた。
「邪気がこれ以上、ひんぱんに出現しなければね。これ以上事件がおきたら、必ず名指しでの噂が始まってしまう。そしたらもう、同じことの繰り返しだよ」
「すでに噂は始まってるからな。――と、康太先生だ」
 ミストラルの店内がざわめいたので、そちらに顔を向けた智帆が目を細める。来客に配るものの手配に席をはずしていた主役の二人が、戻ってきたのだ。
「裏口から入ってきたのか、あの人たちは。それはそうと、なんだって突然結婚話が進んだんだ? 町子先生、康太先生が全然プロポーズしてくれないって嘆いてたろ?」
「それがねぇ、康太兄さんらしいといえばらしいんだけど」
 肩をすくめる。静夜の言葉を待つ智帆の視線が、「もうね、信じられないんだけどね」と花嫁が唇を動かしたのを捕らえた。
 大江康太の長年の恋人であり、妻となった内藤町子は、爽子の前で首を振っている。
「一緒にね、ヨーロッパの紀行番組を見てたのよ。丁度結婚式の様子が流れていたの。とっても綺麗でね。私は神前結婚が好きだけど、こういうのも素敵ね。新婚旅行とかでいけたら楽しいでしょうね、って言ったのよ」
 どちらかといえば童顔の丸い頬のラインを膨らませて、町子は隣の康太を軽く睨む。照れたように新郎は頭をおさえた。
「そしたらね。康太さんったらこう言ったの。『じゃあ、新婚旅行はヨーロッパにしようかって』って!! もう信じられないでしょう、プロポーズもされてなかったのに」
「ええ!?」
 町子の前で真剣に話を聞いていた爽子がのけぞる。久樹も目をぱちくりとした。
 全員の視線にさらされて、康太は「だってね」と珍しく小さくなる。
「プロポーズしたつもりだったんだよね。町子さんは答えてくれなくって、ああまだダメなのかなぁって思ってたんだよ。だから新婚旅行の話が出たときはドキドキでね。もしかしたら!ってさり気なく言ったつもりだったんだよ。そしたら町子さん、それってプロポーズなの?って不思議そうにしててね」
「こ、康太先生、どうしてプロポーズ済みって思ったんです?」
 おそるおそる尋ねると、康太は町子の両肩に手を置いて、何故か彼女の背に回る。
「どうやらね、夢だったみたいなんだよね。こうね、草原が全部お菓子で出来てるところでね。空の雲も綿菓子で、そりゃあとっても素晴らしいところだったんだよ!」
「本当だって思いようもないくらい、夢じゃないですかっ!!」
「あれ、爽子ちゃんはそう思う? 私はてっきり本当だと思ってて、あそこにまた行きたいなぁって探してたんだよね。見つからないな、不思議だなって」
 あはは、と形容したくなる笑みを康太は浮かべる。兄である翔太はやれやれと首を振り、町子の前に向き直った。
「本当にこんな弟でいいんでしょうか。町子さんが結婚を決意してくださって、私としてはとても嬉しいんですけれど」
「いいんです」
 幸せからくる自信を瞳にきらきらと輝かせて、町子はきっぱりと言う。
「康太さんだから、結婚したいんです」
「そうですか」
 父親代わりに弟を育ててきた兄は目を細めた。
 そっと妻の鞠子を抱き寄せて、彼の視線は弟に向かう。
「二人で頑張っていけよ。世界中の誰よりも、自分を理解してくれるのはお互いだと思い続けていけるように。あと、名前を間違えないようにな」
 二人で新しい戸籍を作るときに、大江康太は内藤姓を名乗ることを選択したのだ。
 両親の横で立っていた雄夜が、不思議そうに叔父をみやる。康太はにこやかに笑った。
「あのね、苗字は内藤姓を名乗ろうかと思ってね。町子さんの苗字が変わるより、そっちのほうが混乱する人が少ないかなぁって思ったんだよ。あ、でも安心していいよ、ユウ君。学校では大江のままにするから」
「元々、康太兄さんとしか呼んでない」
「そっかぁ! そうだね、混乱することないねぇ」
 からりと笑い出した康太を前に、久樹もおかしそうに笑い出す。
 爽子は幼馴染みの横顔を見上げ、目を伏せた。胸が何故だかキリリと痛む。
 ――変わらずに続いていた現実は、こうやって変わっていくのだ。
「爽子、どうした? 具合悪いのか?」
 久樹の声。
 心配そうに投げられるこの声も、いつかは変わってしまうのかもしれない。
 胸がまた痛んで、爽子は泣きたくなった。
「……ううん、なんでもない」
「なんでもないって顔か? 悩みでもあるんだったら、俺に言えよ」
「ありがと、久樹」
「そう思うならさ、言えよ」
「……子供の項、なんでも言ってなんでもぶつかるのが当然だったよね。でも今はどうなんだろう。私達……」
「爽子?」
「時々、分からなくなるの。私達は幼馴染みで、よく一諸にいて。でも」
 きゅっと唇を噛む。これ以上、言葉にするのは恐かった。顔を上げれば真剣な表情の久樹を見付けて、慌てて笑顔で取り繕う。
 ――言うのも、聞くのも、恐い。
「なんてね! ちょっと康太先生たちにあてられちゃっただけ。それより久樹、折角だもの、料理も食べよう。そろそろイベントも始まるみたい」
 彼の手を取り、司会に呼ばれて中央に進む新郎新婦のあとを追う。久樹は何も言えず、ただ爽子の態度に混乱していた。
 声をかけたいが、なにを言えば良いのか分からない。爽子は何もなかったような顔で笑うばかりで、先ほどの話題に戻すことも出来なかった。
 二次会も終わりの時間にさしかかると、康太と町子が参加者一人一人に挨拶を始める。久樹の前まで来て「あっ!」と声を上げた。
「忘れてたよ! あのねえ、お友達が外で待ってるよ」
「へ? 友達ですか? ここを知ってるっていうと、将斗か巧?」
「やだなあ。たっくんと、まあくんだったら、中に入ってもらうよ」
「じゃあ誰です?」
 久樹と共に、爽子まで首を傾げた。誰だったかなと悩む康太の隣で、新妻は指をロ元に当てて上目遣いになる。
「松永って言っていなかった?」
「あ! そうだよ町子さん、それそれ」 
 流石だねと康太は喜ぶ。
 久樹は怪訝な顔をした。
「松永って、まさかなあ」
「私は知らないわ」
「俺の高校の時の友達に、松永っているんだけどな。でもあいつがここにいるわけが」
 変だよなあと頭をかきながら、久樹は爽子を促すと外に出た。
 からん、音を立てて扉が開く。白く染められた世界の先に、ガードレールに腰かけた青年がいた。
 流く伸ばした髪を一つにしばり、前髪の幾束かを緋色にそめている。長い手足を、窮屈そうに折りたたんで小さくなっていた。
「こ……弘毅!?」
 仰天した久樹の声を受けて、彼はひょいとガードレールから降りる。手を持ち上げると、「やあ」と笑った。
 爽子が知らない久樹の時間を共有している青年。
 彼は名前を松永弘毅といった。
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