[第四話 凍土]

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No.05  異邦人

 朝食の準備をしようかと冷蔵庫を開けたところで、ポケットの携帯電話が震えて、大江静夜は驚いていた。
 白梅館に住む生徒たちは、通学時間がかかっても十分という利便を享受して、朝の七時半あたりから活動を開始している。
 現在の時刻は六時半。――あまり電話に相応しい時間ではなかった。携帯電話を取りだすと、液晶に表示された久樹の名前に首を傾げる。
「久樹さんから?」
 一体どうしてと思いながら電話に出た。
『静夜? こんな時間に悪い、ちょっと相談があってさ』
「別にいいけど、何かあった?」
『あ、危険を伴うようなことが起きたんじゃないんだ。もっとくだらない用事』
「くだらない?」
『あのさ、本当に悪いんだけどさ、材料費は勿論出すから朝飯に二人便乗させてくれないか?』
「朝って、久樹さん毎日爽子さん家で食べてるんじゃないの?」
『色々あってさ、頼めなかったんだ』
「今日は中国粥だけど、それでもいいの?」
『いい! 出してくれるものに文句なんて言わないよ。それにしてもさ、静夜って本当に料理うまくなったよな!』
「おだてても、食後のデザートは人数分だけだよ」
『……静夜ん家、朝にデザート付くのか』
「最近智帆がみかんにはまって、応募した懸賞があたってダンボール一箱届いたの覚えてるよね? あれの処理の一環」
『食いきれんって配られてきたアレか。智帆って、もうずっとそっちでメシ食べてんの?』
「うん。学園祭終わったあたりからだったかな。雄夜が何故か今日の朝ご飯とかいって智帆に語るもんだから、あの朝寝坊の智帆も朝食べてみたくなったらしいよ」
『なるほど。じゃあ、あとで行くから。えっとさ、もう一人って静夜たちの知らない奴なんだよ。悪い奴じゃないから、入れてやってくれ』
「巧から聞いてる奴なんだと検討は付くけどね。じゃあ、また……えっと、七時十分くらいに来てよ」
『さんきゅ』
 久樹は言って携帯電話を切る。大きく溜息を付き、ベッドで丸まっている友人を睨みつけた。
「弘毅、寝るなよっ。朝飯食べさせてくれなくちゃ泣く!だなんて、中途半端な時間に起こしてきて騒いだくせに! 朝飯、確保できたからな。ちょっとは感謝しろよ」
「うん〜感謝、感謝……ぐぅ」
「こいつ……もしかして寝ぼけてるだけなのか?」
 久樹は溜息を付いて額を押さえる。
 昨晩、立花幸恵宅での食事会が終わってからも、久樹は弘毅に振り回されっぱなしだった。爽子と話したい事などもあったのだが、歯ブラシがない、好きな銘柄のシャンプーじゃないなどと言いだして、夜でしかも雪の中コンビニエンスストアに走る羽目に陥っている。早朝になれば「俺は朝ご飯を要求するゾ〜」などと久樹を揺り動かして起こすので、静夜に電話する羽目になったのだ。
 二度寝する気にもなれない。
 久樹は立ちあがると、窓を覆っているカーテンをつかんだ。一晩中しんしんとふりしきった雪が、早朝の白鳳学園内を神秘に染めあげている。積雪はかなりのものがあるようで、久樹は休講になる可能性もあるなとふと思った。
 パイプ椅子を持ちだして、窓辺に座る。
 久樹には、ここのところずっと考えていることがあった。
 自分の力のこと、そして爽子の力のことだ。
 秋の文化祭での出来事と、夏の出来事との間に、久樹は”瞳の色が変わる”という現象を何度も目撃している。それは自分たちにだけ現れたのではなく、爽子自身にも起きていた変化の一つだったのだ。
「目の色が変わるっていうのは、どんな意味があるんだ?」
 何度考えたのかも分からない、堂々巡りの疑問。
「俺は炎を拒絶していないのに、炎の能力はいつも使えない状態になってしまっている。解放されるのは、いつだって切羽詰まった状態だった。俺たちの命が危なかったり、邪気にとらわれて心を支配されていたりしたんだよな。……でも」
 秋の事件は、”今までと違って”いた。
 危機はあった。高等部風鳳館の中に雄夜と静夜が閉じ込められ、助けださなければならなかったのだから、切羽詰まっていたのは事実。――だが。
『爽子さん、教えてくれ。本気で静夜を救いたいって思っているのか否かをっ!』
 あの時、智帆は久樹にではなく爽子に訴えたのだ。敵と対するかのような、ひどく鋭い眼光で見据えながら。
「心の底から助けたいって、爽子は答えた。そしたらあいつの瞳に焔が宿り、俺の炎は解放された」
 奇妙だと思う。
 爽子の意思と、自分が秘める炎の力とに、なにか因果関係があるのだろうかと考えもする。
 ――だが、これ以上はなにも分からなかった。
「智帆も静夜も教えてくれないしな。っと、そろそろ着替えないとダメか」
 パイプ椅子から立ちあがり、久樹は洗面台に向かった。肌を切るように冷たい水で顔を洗い、歯を磨いて服を着る。起きた時に暖房をいれておいたので、寒さで震えることはない。
「今日は雪だしめちゃ寒いだろうなぁ。学校休みになっても、寮生は雪かきかな」
 呟きながら、布団に潜りこんで寝ている友人の元に向かう。久樹が起きるまでは一応は遠慮している様子で寝ていたのだが、今の弘毅はシングルのベッドを占領していた。
「客用の布団ないから仕方ないけどな、一緒のベッドに寝る気まんまんだった弘毅って変な奴だよなぁ」
 べろっと少し布団をはいでみる。温まった布団の中より低い空気が侵入して、弘毅は逃げるように更に潜りこんでいった。
「うーん。子供みたいだな。……ま、いっか」
 ニヤリと笑って、今度は力いっぱい久樹は布団をはぎとった。
「うえ!?」
 情けない声をあげて、弘毅がうっすらと目を開ける。ぱちぱちと何度もまばたきをするのは、どうやらここが何処であるのかが一瞬分からなくなっているようだった。
「あー、久樹くーん?」
「朝ご飯を要求するぞ! って俺に叫んだの覚えてるか、弘毅?」
「一体、なんの話だ? そりゃあ、朝ご飯があれば夢みたいに嬉しいケドな」
 もそもそと上体を起こして、弘毅はベッドの上で大きく背伸びをする。久樹は友人にタオルを投げてよこし「顔洗ってくれば」と促した。
 あくびをしながら立ちあがり、弘毅は洗面所にむかう。久樹は監視ついでに付いていきながら「結構前にさ、いきなり起きたかと思うと、朝ご飯を要求するぞ!って俺のこと叩き起こしたんだぞ」と肩をすくめた。
「俺がぁ!? あ、久樹、化粧水は?」
「……ないっ!!」
「ええ!? ない!?」
「天地がひっくり返りでもしたような驚きはなんだよ」
「今や男だって化粧水付けるのは常識だよ、久樹。お肌かさかさじゃあ、麗しの幼馴染みの君に見捨てられてしまうぞ?」
「お前から見た爽子って一体……」
 額を押さえ、久樹は深く溜息を付く。タオルで顔を拭きながら、弘毅は何故かふっと目を細めた。
「久樹から見た”爽子”ってさ、他の奴らの目に映る彼女とはきっと別人だろうな」
「弘毅?」
 言動そのものが道化めいた雰囲気を持つ弘毅の声が、今まであまり聞いたことのない硬質さを秘めていて驚く。彼は久樹を押しのけると、昨晩のうちにハンガーにかけた着替えを手に取った。
「勝ち気な美しい瞳は強さを宿すけれど、悲しげに寂しげに不安げにゆれることがある。気丈なのに可憐。そう思って胸を焦がしている奴、結構いると思うケドねぇ? 久樹くん、いつもそこにいるなんて思ってのうのうとしてると、誰かに盗られるぞ?」
 着替え終えて、ぽんっと弘毅は久樹の肩を叩いた。
「お前の幼馴染みは、充分すぎるくらい魅力的なんだぞ?」
「……弘毅」
「女の子ってさ、ちゃんと付きあい始めても不安になる生き物なんだぜ。いつも目が聞いてるんだよ”私のこと、好き?”ってさ。宙ぶらりんの状態がずっと続いてるほうが奇跡だよなあ」
「ちょっと黙れ、弘毅。俺と爽子のことは置いとけよ、それより随分と実感のこもった口調じゃないか? 弘毅って、誰とも付きあったことないんだろ?」
「あのねぇ、久樹くん。俺にもね、可愛い幼馴染みがいたんだよ。でもはっきり言ったことなかったんだよな。でも気付いたら”あたしの彼氏、紹介するね”って笑うんだ。あれはまいった」
「中学のときもいなかったって聞いたけど?」
「ヤだね久樹くん。さては作り話って疑ってるな? 残念だったな、これは俺が幼稚園のときの話だ」
 何故か誇らしげに弘毅は胸を張る。
「幼稚園児ぃ!?」
「悪いか? ハイハイを始めた頃からの付き合いだったんだ。あいつのことが頭にどうしてもあってさ、別の女と付きあう気になれなくってさ。ま、それも昨日で終わりだけどナ」
「サチのことか」
「俺は本気だよ。で、次に本気になれる相手が見つかったら、俺はちゃんと行動する!って決めてたんだ。今のまま行動をおこさずに幼馴染みの君を誰かに盗られたら、久樹を俺が慰めてやろう」
 手早く髪のセットを終えて、弘毅は「よし」と満足げに笑った。
「で、こんな早くに起こした理由って? 一限目から授業?」
「いーや。朝ご飯。お前が俺を無理やり起こして”朝飯!”って叫ぶから、わざわざ朝ご飯をご馳走になりに行く段取りを付けたんだ」
「朝ご飯!! ステキー、久樹さまっ!」
「俺に言うなよ。……あっと、爽子ん家じゃないから」
「あれ、そうなん? 俺、久樹を横からかっさらったから、ちょっと嫌われたみたいだもんなあ」
「気持ち悪い言い方するな」
 肩を落としながら、久樹は玄関から外に出る。一晩中雪を降らせた外気の冷たさは肌を切るようで、思わず体を縮めた。
「あれ、久樹さんと、噂の客人か。おはよ」
 少し低めの声がかけられる。まったく同じように縮まっていた二人は振り向いて、シャツにマフラーを掛けただけの軽装の少年を見つけて顔をゆがめた。
「さ……寒そうなカッコ」
 偽ざる気持ちを呟いた弘毅を、少年――ココアブラウンの癖毛に眼鏡を掛けた秦智帆はねめつける。
「いくら格好に気を付けてもさ、姿勢悪いんじゃ魅力半減だよ」
「ぐはぁ! や、やるな、君っ!」
「智帆だよ。あんたは松永さんだろ?」
「弘毅って呼んで」
「嫌だ」
 にっこりと、垂れた目を優しげに細めて、拒絶する。「きっつー」と弘毅はのけぞり、久樹は呆れた吐息を落とした。
「にぎやかな奴で悪い。静夜に許可貰ってさ、朝ご飯便乗させてもらうんだ」
「はーん。松永さん、爽子さんに嫌われたわけだ」
「だよな。爽子が弘毅を見る目がなんか冷たいもんなぁ。朝、こいつも食べさせてやってとは言えなかったよ」
「だからって、久樹さんまで静夜んちで朝食べたら、余計に爽子さんむくれると思うけど。まあ、松永さんだけを放り込むのも変だしな」
 微妙なとこだと智帆は肩をすくめる。
「いやあ、俺って久樹に心配されてるんだなぁ。お前って、ホントいい友達だよ!」
「利用しがいのある、だろ?」
「うーがーりーすーぎー」
 嘆かわしいと弘毅が口を尖らせたところで、同じフロアの大江宅に付く。智帆がチャイムをならすと、かしゃんと音がして鍵が開いた。
 確認さえない。当然のように智帆はドアを開け、自分用のスリッパを出しながら声を投げた。
「静夜、久樹さんたちの分も出すぞ」
「いいよー」
 のんびりとした返事。初対面の相手を迎える家主とは思えぬのどかさに、弘毅は久樹を見やって笑う。
「お前、信用されてるなぁ」
「は? なんでだよ」
 智帆が出してくれたスリッパに履き変えながら、久樹は友人の言葉が理解できなくて眉を寄せた。
「だってそうだろ? お前の友達だから、俺は信用されたんだ。ってことはさ、久樹って人格を認めてるってことになるだろ」
「――そうかあ? 智帆、俺って静夜に信用されてると思うか?」
 信用されていないと思っているらしい久樹の言葉に、智帆は皮肉げに目をすがめる。
「さあ、俺に聞かれてもな」
 掃除好きの静夜の家は、いつもながら綺麗に整頓されていて爽やかだった。リビングに入ると、すぐにテレビを眺めている大江雄夜が目に入る。眠たい目をしていないのは、朝食の準備が整うまでの間に、雪積もる道をシベリアンハスキー犬のスイと散歩をしてきた後だからだった。
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竹原湊 湖底廃園
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