[第四話 凍土]

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No.02  雪が舞う

 雪に埋もれた道路というのは、危険な上に体力を消耗させる効果がある。白鳳学園高等部に通う秋山梓は、難敵である二十センチも積もった雪道と格闘しながら道を進んでいた。
「い、いつもはこんなに遠いなんて思ったことないのに! 門から白梅館まで遠く感じるなんてえ」
 ぜいぜいと肩で息をする。
 ロングブーツのような長靴のおかげで、水は染みてきていない。とはいえ容赦ない冷たさのせいで、爪先の感覚はすでになかった。
「雪かきする前に、私が雪に埋もれてしまいそう〜」
 手袋をしても凍えてしまう手を打ち合わせ、梓は顔をあげた。道のずっと先で、大きなスコップを手にした人物が立っている。着ぶくれしている上に、毛糸の帽子に口元までも覆うマフラーをしているので、識別は難しかった。
 誰だろうとまじまじと見つめた、梓の胸がトンッと跳ねる。
「雄夜くんっ!」
 片思いの相手である、大江雄夜だったのだ。ふっと振りむいて梓を確認すると、そのまま凄い勢いで雪をかきわけて進んでくる。
 唯一露出している雄夜の目が輝いていた。
「え?」
 ぽっと梓の頬が染まる。
「秋山」
 目の前にたどり着いた雄夜は、早口で梓の名前を呼ぶと膝を折った。
「お前の?」
「――へ?」
 目が丸くなる。
 梓は普段、自転車で学園に通っている。時間にしておよそ十五分。頑張れば歩けないこともないので、雄夜と雪かきが出来ることに胸をときめかせて、家を飛び出したのだ。愛犬と共に。
「……そうなの! 雄夜くんに紹介したくって。あのね、小太郎っていうの」
 リードを軽く引いて、寄り添っていた大型犬を前に出す。秋田犬の小太郎は、梓を守るのが役目だと考えているので、初対面の雄夜を不審げに見上げていた。
「利口な顔をしている」
 雄夜はわしわしと小太郎の首を撫でた。慣れた手付きに心地よさそうにした小太郎は、ハッと梓を見上げる。
「大丈夫よ、小太郎。あのね、私のクラスメイトの雄夜くんだよ」
 じっと梓を見つめてから、小太郎は安心したように雄夜に甘え始めた。
「小太郎って男の人が大好きなの。私だと、思う存分は遊んでくれないって思ってるみたい。弱そうだから、どうしようかなあとか考えているのかも」
「秋山は弱くない」
「え、そう? でも前に痴漢にあったとき、怖くって何も言えなかったよ。強いかなあ、空手習いに行けるかなあ」
「――痴漢だと?」
「そうなの。いきなり後ろからぎゅってやられて。怖くて声も出なかったの。家に電話しても誰も出なくって、家までの残りの道が怖かったな」
 思い出すだけで体が震える。主人の恐怖を感じて、小太郎はすぐに体を寄せた。大丈夫よと愛犬を撫でる梓を、怖いほどに鋭く雄夜は睨む。
「秋山、家に電話して誰もいなかったなら、友達に電話しろ。俺に掛けても良い」
「雄夜くんに!?」
「周囲を警戒しながら、誰かと喋っていれば狙われにくい。――と、実経験を元に静夜が言っていた」
「……静夜くんって、痴漢にあうんだ」
「後ろ姿だけだと勘違いされるからな。見かけに騙されるなど哀れな奴等だ。無論捕まえて、交番に付きだしている」
「あんなに静夜くんって可愛いのに。強いんだねえ」
 感心して梓は手を打つ。
「あ! 雄夜くん、私も雪かきの手伝いに来たの。みんな何処にいる?」
「白鳳館の前だ」
 先導するように前に出た雄夜は、腕を軽く横にやる。転んだ時につかまることが出来るようにしているのだと気付いて、梓は嬉しくなった。
「腕、つかまっていても良い?」
「ああ」
 ぶっきらぼうな返事だが、梓は温く感じる。そのまま二人で道を進むと、賑やかな歓声が耳に届いてきた。
「この声は亮くんと……誰?」
 亮というのは、梓たちのクラスメイトで、陽気な副委員長のことだ。明るい性格で、雄夜たちと仲良しの友達でもある。
「久樹さんの友達の、松永さんだ。かまくら作って、雪かき終了後に打ち上げ計画を実行するだと」
「……うわあ、亮くんが好きそうな計画!」
「ああ。意気統合して、心の友よっ! 義兄弟の契りを〜とか叫んでいたな」
「……桜が頭を痛がりそう。あれ、あそこに桜がいる」
 目をぱちりと見開く。桜の家は白鳳学園の最寄り駅から一つ先に住んでいる。普通に歩いても三十分はかかるはずだった。
「桜、委員長だから来なくちゃ!って思ったのかなぁ。責任感が本当に強いんだから」
「静夜がいるからな」
「あ、そっか! ……ええ!? 雄夜くん、桜が静夜くんが好きって気付いてたの!?」
「普通、気付く」
「そっか、気付くんだ。雄夜くんって鈍いってわけじゃないのね。私も頑張らなくっちゃ。あ! 静夜くんと智帆くんだ」
 おーいと梓が手を振る。おや、という顔で振り向いた静夜は、梓と秋田犬と雄夜を認めて目を丸くした。
「雄夜、浮気? スイが泣くよ」
「秋山の犬だ」
 からかうような言葉にも、まじめに答えて雄夜は秋田犬の頭をぽんぽんと撫でる。すっかり雄夜が気に入ったらしい小太郎は、一声ほえると尻尾を振った。
「うーん、犬に無条件で好かれるのって、ある意味特技だよね。雄夜は犬の訓練士になるといいんじゃないかい?」
「どうやったらなれるんだ」
 ずい、と顔を寄せてくる。「自分で調べなよ」と静夜は流し、どういう人数割をすれば無駄なく雪かきが出来るだろうかと考えていた智帆の肩を叩いた。
「かまくら作戦に、将斗たちが参加したみたいだよ」
「そういやあ、松永さんって幸恵さんに一目ぼれしたらしいもんな。一緒にやろうって誘ったんだろ。将斗を誘うことで菊乃ちゃんをつり、姉も釣り上げたな」
「なかなかの策士だね。ところで、かまくら作戦に参加してないみたいだけど、久樹さんどこいった? 巧と爽子さんの姿もないし」
 探すように静夜はぐるりと視線を巡らせる。途中で桜を見付けて、笑顔で彼女を招いた。
「爽子さんは、さっき本多さんと喋ってたのを見た。久樹さんは見ていないぞ。雄夜、見たか?」
「秋山とこっちに来る前、バイトの家庭教師先の子供と雪合戦をしてるのを見た」
「なにやってるんだ、久樹さんは……」
 智帆は眉を寄せる。
 巧からのメールによれば、普段の生活を崩されて、爽子は少し不安定な状態になっているという。久樹から見れば友人でも、爽子から見れば松永弘毅は乱入者だ。今のうちに、一緒に居ればいいのにと考えてしまう。
「まいったな、静夜のおせっかい癖が俺に移ったか?」
「なんか言った、智帆?」
「なーんにも。静夜、爽子さんあそこにいるな。本多さんだけじゃなくって、丹羽教授もだ」
 会話に聞き入っている雄夜の横顔を、梓はうっとりと眺めていた。けれど二人の会話に、梓はポンッと手を叩く。
「あ! 丹羽教授と学生課の本多さんって、結婚するんじゃないかって噂だよね」
「え!?」
「な、なな、なに!?」
「あの二人って、付きあっているのか?」
 雄夜は心底不思議そうに首を傾げた。
「知らなかったの!?」
「本多さんが勇猛果敢にアプローチしてるのは知ってたけど。進展してたとはね」
 静夜は「知らなかったよね」と同意を求める。腕を組みながら、智帆は肯いた。
「結婚の噂にまでなった根拠は?」
「学園祭りが終わり頃にね、禁煙がはやったことあったでしょ。あれって、丹羽教授が本多さんの為に禁煙をはじめたのがきっかけだったらしくて」
「あのヘビースモーカーの丹羽教授に禁煙を決意させるなんて、二人の仲は本物だっ!てことになったわけか」
 ふうんと納得してから「ところで禁煙、今どうなってるんだ?」と尋ねる。
 同じように斎藤爽子も、学生課に勤める本多里奈本人に、同じ質問をぶつけていた。
 二人の惻では、丹羽教授と中島巧が、スコップ片手に雪かきをしていた。
「禁煙ね、無事に続いているの。どうやったんだって、問い合わせが沢山来てるのよ」
 今日もあったばかりと笑う里奈に、丹羽教授は視線をなげる。
「本多君、無駄口を叩いていても、雪は消えんぞ」
「はぁい」
 悪戯っぽい表情で肩をすくめる。
 二人の間に、ある特殊な気安さを見出して、爽子は目を見張った。
 里奈が丹羽に好意を寄せるようになった頃は、誰もが無理だと笑っていた。けれど今の二人を見れば、心の絆を深めているのが良く分かる。
 ――誰もが進んでいるのに、なぜ自分だけが止まっているのか。
 胸の奥が重くなった気がして、爽子はうつむく。けれど彼女を呼ぶ声が聞こえて、ふっと顔を上げた。
「え?」
 目の前に、手の平サイズの雪だるまがある。
「わっ! 可愛い」
「俺ね、こういうの作るの好きなんだ」
「妹さんにせがまれるから?」
「そうかも。でもさ、人形の服作って!って目を輝かされたときは、失敗したなぁって思ったよ」
 雪だるまを爽子の手に押し付けながら、巧はにこりと笑う。
「それすぐに溶けちゃうけど。溶けない大きいのも作れるんだから。ほら、あっちで雪だるまで雪かき作戦が始まってるし。行こうよ?」
「巧くん」
「んん?」
「ありがと。一諸にいてくれて」
「へ?」
 ぽかんとした巧を前に爽子は苦笑して、身体を一歩前に出す。
「巧くん、焦るなって言ってくれたよね」
「言ったけど」
「ちょっと自覚したの。どうしようもないことで、私落ち込んでるんだなぁって。不思議。私より、巧くんが先に気付いちゃうなんて」
「人ってさ、自分のことは案外分かんないもんだし。あとは」
「あとは?」
「近すぎる人のことも、かな?」
 言って、巧は赤茶の釣り目を細める。子供っぽさがかき消えて、代わりに憂いが濃くなっていった。
 巧だけでなく、異能力を持つ少年たちが時折見せる表情の一つだ。
 まるで遠くの存在になったように思えて、爽子は半ば無意識にきつく眉根を寄せ、巧の二の腕をつかむ。
「教えて。巧くんたちが、私と久樹には決して話そうとしない答えを」
「答えって?」
 混乱した顔を見せて、巧は身構えた。
「……たとえば、妹さんの名前とか」
 ”過去を教えて”とは切り出せず、爽子は巧が答えそうな問いを選んでぶつける。巧は安堵した様子で、ほっと息を付いた。
「諏訪だよ」
 なんでそんなことを聞くの?と尋ねてくる子供の目を、爽子はひたりと覗きこんだ。
「諏訪ちゃんは、巧くんを否定した?」
 低い、声。
 巧の頭の中で警鐘が鳴り響き、後退さろうとした。爽子につかまれた腕がつっかえて、距離が稼げずに固まる。
『ママはきらいっ! おにいちゃんを、あたしから、とるもん!』
 過去から響いてくる、叫びがあった。
 色も光も臭いもリアルに思い出される過去を、今の出来事だと誤認しそうになる。
『キライ、キライよ!』
 諏訪は小さい身体を震わせて、親を呪っていた。
 母は、凄惨な表情で小さな妹をかき抱いていた。父は、母の前に立って盾となる。誰でもない、巧から切り離すための盾になっていたのだ。
 全てが歪んでいた。
 ”巧”が存在しているだけで、全てが歪んで絆が崩れる。
「イヤだっ! ごめんっ、俺はっ」
 歯の根が合わなくなった。膝ががくがくと笑いだし、立っていることさえ困難になる。搾り出す声は次第に音を失い、ひゅう、と気道を抜ける空気の音だけを漏らし始めた。
「巧くん!?」
 発作を起こしたような巧の反応に、爽子は思わずつかんでいた二の腕を離す。よろよろと後退して、子供は足が砕けたように雪の上に座り込む。瞳から涙があふれ、ぽたぽたとこぼれたソレが雪を少しずつ溶かしていく。
「ごめんなさい」
 わななく巧の前で、爽子は膝を折った。
「そんなにも、私に聞かれたくないコトだったんだよね。私に話したくないことだった……」
「ちがっ!」
 爽子の言葉を打ち切ろうと、巧は半ば悲鳴とかした叫び声を上げた。
「爽子さんにだから、話せないんじゃない。アレを、言葉にしてまとめて形になんてしたくないんだ。俺が、話したくないだけ……」
 思い出すだけでも、身を串刺されるような恐怖が巧を打つ。
 あの頃の彼は、異能力が家族を懐すことを知りながら、両親と距離を取る術を持っていなかった。同じように孤立していく、川中将斗と二人でただ怯えていた。
「爽子さんにはさ、俺達が互いの事情を理解しあっているように見えてるんだよな。でもソレ、違う」
「違う?」
 雪の上に座り込む巧に手を差し出して、二人は立ち上がる。パンパンと雪を払ってから、巧は手袋をはずして手の甲で涙をぐいっとぬぐった。
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