[第四話 凍土]

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No.06  雪が舞う

 大雪に見舞われてから、二日目。
 連続しての快晴が雪を溶かし、学園内の殆どの通路はアスファルトを太陽にさらしていた。
 時刻は十一時を回っていて、本来ならば活気付いている時間帯なのだが、今はひっそりとしている。
 ありえるはずのない竜巻と吹雪の出現を危険視した学園側が、初等部から中等部までは休み、高等部と大学部は午後の授業のみと決定していたのだ。
 斎藤爽子は、雲ひとつない青空を眺めている。
 白鳳学園で最も高い建物である白梅館十階からは、学園内の殆どを見渡すことが可能だった。目を上げれば、ざあっと音を立てる海をも一望できる。
 風が吹くたびにざわりとゆれる、葉の落ちた木の動きを眺める爽子の心は凍っていた。 
「なんで、こんなことが何度も起きるんだろう。竜巻だなんて……」
 返事を求めぬ独り言を落として、爽子は触れていたカーテンの布地をぎゅっとつかむ。
 竜巻が進む先に幼馴染の久樹がいると気づいた瞬間、走り出したのは無意識だった。うずたかく積もった雪は足をとるのだが、なぜか爽子の足は雪を踏みしめて軽やかに駆ける。
 背後から追いすがってくる子供の声も、爽子の足を止めはしなかった。
 頬を切る冷たさに寒さよりも痛みを感じながら、進む竜巻を目に捉えてひたすらに走る。
 一本道が左右に分かれ、爽子は迷いなく右に曲がった。雪に重くのしかかられた風鳳館の紅葉が、必死に耐えるようにたたずんでいる。竜巻の接近によって紅葉は狂ったように梢を鳴らし、積もった雪を振り飛ばしていた。
 もうもうとソレが舞い上がったせいで、視界が雪に飲まれる。何も見えず、誰も捕らえない白の世界だ。
 名を叫ぼうと開けた口腔内に、細かな粉雪が入り込んできて咳き込む。それでもがむしゃらに進もうとした彼女の手を、暖かな温もりがつかんで引き止めた。
「ダメだよっ!」
 前に進もうとする力がせき止められて、びくともしない。つかんでくるのは中島巧で、その力強さに爽子は一瞬怯えを抱いた。
 子供だったはずの巧が、すでに”男”を感じさせるほどの成長振りが恐ろしい。――全てが変化する事実を見せつける、当たり前の現実が怖い。
「巧くん、離して!」
 叫ぶ声は悲鳴だった。狂ったように身体をねじり、なんとか束縛から逃れようとする。巧は思いがけぬ抵抗に目を丸くして、とっさに強く爽子の身体を引き寄せた。
 背伸びをする。
 バランスを崩して倒れこんできた彼女を受け止めて、爽子の頭を自分の肩口にひきよせた。泣きじゃくる妹によくしていたように、頭をそっとあやすように撫でる。
「大丈夫」
 落ちつかせるために、低く。抑揚を押さえて、巧は囁く。
「大丈夫だよ。久樹にぃの周囲は、俺がちゃんと守っているから。あの竜巻は、雄夜にぃが止めるって言っているから。大丈夫、爽子さんはなにも失わない」
「巧、く、ん?」
 幼い少女だった頃のように頭を撫でられて、大丈夫だと繰り返されて、ようやく爽子の声に冷静さが戻ってくる。巧はそれを見逃さず、腕を捕えていたままの手をそっと離した。
 巧はやんちゃそうに笑ってみせる。
 その、瞳の色が。
 綺麗につりあがった、赤茶色のはずの目が。
 ――凛と燃える、橙色に輝いていた。
 同時に、ごう、と地響きのような音がこだまし、続けて狂ったように乱れた風に髪を乱された。
 何かが確かに起きたのだ。
 振り向かなければと爽子は思うのだが、身体が固まってしまってびくともしない。そうしている内に巧の瞳の色は静けさを取り戻していく。少年の背後に、こちらに走ってくる人影を見つけた。
「爽子姉ちゃんっ! 大丈夫かー!?」
 駆けだした爽子を心配して飛び出した川中将斗が、雪と悪戦苦闘しながらようやく風鳳館に現れたのだ。
「あ、将斗くん。うん、私は、大丈夫」
 乱れてしまった髪を手櫛で整える。
 それでも決して振り向こうとしない爽子に、巧は優しく笑って見せた。
「爽子さん。本当に大丈夫だから、振り向いてみなよ」
「――大丈、夫?」
「ああ。将斗、大丈夫だよな?」
「んー? よくわかんないけど、振り向いたほうが良いとは思うなぁ。爽子姉ちゃん、久樹兄ちゃんがこっちに気付いて手を振ってるよ」
「久樹」
 唇が幼馴染みの名前をつむいだ瞬間、爽子の身体の呪縛がようやくほどけていった。ふわりと髪を揺らし、揺れるマフラーを空に舞わせて、彼女は振り向く。
 求める幼馴染みは、身体中についた雪をはじくようにブルブルッと身体を震わせて笑っている。
 駆け寄ろうとした爽子は、風鳳館を埋め尽くす雪の一部が、ごっそりと消えていることに目を見張った。
「……竜巻の、通ったあと?」
 グラウンドの土がえぐれているのは、竜巻のせいなのか、それとも巧の異能力のせいなのか。どちらにせよ、尋常ではない力が作用したことを見せつけられて爽子は震える。
 助かった、今はいい。
 けれど、それがいつまでも続くという保証はどこにもないのだ。
 竜巻が牙を剥くかもしれないし、少年たちの力が間違って作用して互いを傷つける可能性とて否定できない。
「どうやったら……守れるの? なにも変わらずに、留めることが出来るの?」
 久樹に向かって走り出そうとした足を止め、爽子は心によぎった言葉を無意識に口にしていた。彼女を見守っていた巧が、聞きとめた独白に眉を寄せたことにも気付かずに。
「どうやったら……」
 白梅館の自室から学園を見下ろし、竜巻の発生した地点を眺めながら思いだしていた爽子は、昨日と同じ言葉をもう一度落とす。
 カーテンを握り締めて目を伏せたところで、突然に電話が鳴った。ディスプレイは幸恵の名前を表示している。
「もしもし。幸恵、どうしたの?」
『あのね、特別に用があるわけじゃないんだけど。今から時間、取れないかな?』
「大丈夫よ。でもどうして?」
『久くん、午後一の講義があるから、さっちゃん一人でご飯かなと思って。良かったら一諸に外で食べない?』
「あ、それ嬉しい。私、着替えるだけで出れるよ」
『だったら、もう少ししたら、家に行くね』
 じゃあねと言ったのを最後に、ツーという音が響いてくる。爽子は電話を切ったあとの、この間が嫌いだった。
「こう、イライラする音よね」
 溜息と共に、半ば叩き付けるように受話器をおく。思ったよりも大きく響いて、爽子は身をすくめた。
「もう、私ってば変」
 呆れた息を落とし、首を振る。
 ウォーキングクローゼットから、オレンジのタートルネック、膝上までスリットの入ったロングタイト、丈の短い白のコートを出す。最後にマフラーを手に取って、爽子はふと静止した。
「なんなんだろうな、久樹は」
 ダークレッドとホワイトの毛糸で編まれたマフラーは、久樹からクリスマスプレゼントにと贈られたものだった。
 記念日に贈り物をしあう習慣がなかったので、久樹が臨時バイトまでしてプレゼントを買った理由が分からない。
「私のこと、どう思ってる? 私に似合うと思ったなんて言って、プレゼントをくれるのはどうして?」
 家族だから、なんて返事だったらと考えると、胸が痛んだ。がんがんと頭が痛くなり、目頭が熱くなる。
 手の甲でぎゅっと目を押さえ、爽子は湧きあがってくる涙を堪えた。
「好きなのに。私は、久樹のことが特別な意味で好きなのにっ」
 膝を折って崩れ落ちながら、天井を見上げて涙を落とす。伝えたい言葉は、本人のいない場所では、こんなにも簡単に形になるのに。
「――言えないよ」
 もし、拒絶されたら。
 家族としか思われていなかったら。
「今が壊れて、一緒にいられなくなるのは嫌」
 変わっていく現実が、時間の流れが、爽子には恐い。
 吐き気までが湧きあがって、必死に耐えながら気替えをすませた。はかったようなタイミングでチャイムが鳴り、インターフォンに手を伸ばす。
 光を取り戻りたモ二ターの中で、幸恵が笑って手を振っていた。
「入って!」
 キーボードを叩いて鍵を開ける。
 爽子の声に切羽詰まったものを感じたらしい幸恵が、慌てたように中に入って来た。
「さっちゃん!?」
 駆けこんで来た爽子を幸恵は抱きとめて、二人は玄関先にずるずると座りこむ。
「辛いのね、さっちゃん」
 優しく、暖かく、爽子の背をさすりながら、幸恵が囁く。
「私ね、今が変わってしまうことが恐いの」
「……うん」
「久樹と私の関係、どうなっていくのかな。考えると痛くて、辛くて。いっそ今が続けばって……」
「でも、”今”のさっちゃんは、辛そうだよ?」
「え?」
「私ね、久くんとさっちゃんの関係は、ステキな方向に変わっていくだろうなって思ってる。私は、今も明日もさっちゃんの友達でいたいな。未来のさっちゃんと、未来の私で友人していたいよ」
 にこりと笑って、爽子の両頬を包み込む
「今だけじゃ勿体ないよ。今のままで辛いのと、変えてみての辛さ。どっちがより辛いのかは、私には分からないけど。久くんに関しては、もっと自信持っていいんだって思うわ」
 大丈夫と囁いて、幸恵はいきなり爽子の頬を左右にひっぱった。
「いひゃいっ!」
「さっちゃん、私お腹すいちゃったわ。大丈夫、目はウサギさんになっていないから、このまま出かけましょう」
「え、ええ!? 幸恵っ」
「レッツゴー!」
 幸恵に引っ張られて、爽子は慌てて靴を履き、鞄を肩にかける。
「ねえ、幸恵!」
「なぁに?」
「ありがとう。話、聞いてくれて」
「そんなの当たり前だよ、さっちゃん」
 二人で子供のように笑い転げながら、学園を出てすぐの場所にあるパン屋に入る。パンと店主が気まぐれに焼く日替わりケーキを、小さな喫茶スペースで頂くことが出来て、人気の店だった。
 小さな丸テーブルからは、学園をぐるりと囲む壁が見えている。
 甘いものが欲しくて、普段はいれない砂糖を入れた。ピーチティに似合いの甘さになったソレに爽子が微笑み、幸恵がケーキを眺める。
「ねえ、今日はオレンジタルトだよ。半分こしようか?」
「幸恵、ダイエット中じゃなかった?」
「今日は、さっちゃんにお付き合い。疲れてる時は、甘いものが一番だもの」
 すまして答えると、幸恵は店主を呼ぼうと体ごと振り向いた。その耳がある声を拾って、二人は言葉を飲み込む。
「そんなに!?」
 高く響いた驚きの声。
 男性のものにしては高く、微妙にかすれているこの特徴的な声の持ち主は、織田久樹の友人である松永弘毅のものだ。
 幸恵の身体を盾にして、爽子は声の方角を伺う。
 赤く染められた前髪の色をすぐに見つけ、同時に弘毅と対している極端に猫背の青年の後姿に目を見張った。
「あれって……」
 低く怪訝そうに爽子は呟く。幸恵は顔を寄せ「誰がいるの?」と小声で尋ねた。
「噂大好きネズミ君」
「……それ、ちょっと、イヤ」
 両手で自分自身の身体を抱きしめて、幸恵は大げさに震えてみせる。
 通称ネズミくん。学園内にたつ噂と醜聞を集めるのが趣味という青年で、本名は爽子も幸恵も知らない。分かっているのは、白鳳学園大学部二年の所属で、初等部から大学部、教職員までも含めての噂と醜聞を集めまくっているという事実だけだ。
「でもそのネズミくんと、松永くんがどうして? ヘンな組み合わせよね」
 幸恵の疑問に答えるかのようなタイミングで、再び弘毅の素っ頓狂な声が上がった。
「噂になってる変なことって、何回か起きてることなのか!?」
 慌てて「シーッ」と弘毅を押しとどめるネズミくんの声がする。爽子が様子を伺えば、今度は二人で顔を寄せてひそひそと耳打ちをしているようだった。
 ――噂。
 噂が流れることほど怖いことはない、と呟いた少年たちの顔に落ちていた、年齢にそぐわぬ影を思い出す。噂はすでに流れ始めており、それを大きくしてはならないとも彼らは言った。
「幸恵」
 貧血の症状に似た感覚に襲われながら、爽子はテーブルの上の友人の手を握り締めた。
「すぐに出よう。私、パンを持ち帰りにしてもらって、先に出るから。お願い、幸恵は松永さんを連れ出して」
「――さっちゃん?」
「お願い。私じゃ連れ出せないの。でも、連れ出さないとダメなのよ」
「……どうして?とは、聞かれたくないのね」
 普段はおっとりとしている風貌に、凛とした鋭さを浮かべて幸恵は友人をじっと見つめる。細かに震えながら、爽子は頷いた。
「落ち着いたら、幸恵には話すわ。聞いて欲しいもの」
「分かった。じゃあ、先に出ていて。ねえ、理由は聞かないからこれは教えて。ネズミくんと松永くんが話しているのがイヤなんだよね?」
「うん」
「イヤだってさっちゃんが思うことを、知られたくもないんだよね?」
「あたり」
「分かった。パンの持ち帰りも、私がやってもらっておくから。校門のところで待ってて」
「ありがとう。……ごめんね、私、なにも話してないのに」
 きゅっと眉根を寄せながら、立ち上がった爽子の手に幸恵は己の手を重ねる。
「私はさっちゃんの友達だもの。さっちゃんが願うことなら、友達って理由だけで私は動けるの」
 行って、と促されて爽子はそっと席を立つ。店内のパンを見ているような仕草をしながら、爽子は店を出た。扉が立てたカランという音を置き去りにして、白鳳学園の正門へと走る。
 高くそびえる正門脇には、どす黒くなった雪のかたまりが残っている。それをなんとなく見つめながら、爽子は幸恵が来るのを待った。
 校門脇で佇む爽子を不思議そうに見やってくる生徒たちの視線からのがれ、携帯電話のメールを打つふりをする。同囲をうかがう為に、耳だけをすませていた。
「幸恵さんが誘ってくれるなんてっ! ところで昨日は大丈夫でしたか?」
 特徴的な弘毅の声を捕らえた。竜巻のことを尋ねているのかと爽子が首をかしげたところで、声の主は驚くことを口にする。
「短かかったけど、吹雪に巻き込まれたのは事実だし。それに」
 ――巻き込まれた?
 昨日、竜巻に続き吹雪が発生したのは知っている。だが幸恵たちが吹雪に巻き込まれたとは、知らなかった。
「昨日のことは考えたくないの」
「そっか。まあ、怖かったモンな。吹雪の最後に見たあの子供とか……さ」
「やめてっ!」
 眦をつりあげて幸恵が叫んだ。
 驚いた弘毅が足を止める。
 ハッと顔を上げ、爽子は慌てて友人の側に駆け寄った。
「幸恵、大丈夫っ!?」
「さっちゃんっ」
 幸恵は顔をあげて、駆けてくる爽子に手を伸ばす。弘毅は突然の乱入者に目を丸くした。
 しゃらん。
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