[第四話 凍土]

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No.01  心の羅針盤

「なに?」
 ――音がする。
 反響する、音。
「音が……近づいて、くる?」
 三人を包囲するかのように、音が響く。
 最初は一つだった音が、海嗚りのような圧倒さを伴って、いくつも響いてくる。音の源がどこにあるのか分からずに、三人はめいめいの方向を見つめていた。
「あ……」
 不意に弘毅が指を上げる。
 爽子と幸恵が、吸い寄せられるように視線を向けた。
 人懐こそうな弘毅の瞳は、一点を見据えたまま微動だにしない。
 わんわんと音が反響し合う中。
 長い前髪をした子供が、裸足のままに立っていた。
 右手には、小さなでんでん太鼓。
 からからと、ソレを子供はふっている。ふられるソレに呼応するように、しゃらんしゃらんと音が増す。
『遊ぼ』
 リィンと響くような声音。子供が女の子であることを、三人は唐突に知る。
 整った童女の鼻筋の下で、薄桃色の唇が三日月のようにつりあがった。
 にぃ、と。
 笑ったのだ。
 爽子を見、幸恵を見、弘毅を見て。
『かくれんぼ』
 笑いを含ませながら、童女は右手のでんでん太鼓を打ち振った。
 から、から、から!
「――なっ!!」
 弘毅が喉を鳴らせた。
「な、なんだよ、コレッ!!」
 氷が這い登る。
 あげたうめき声にかぶさって、でんでん太鼓の音が鳴り響く。
 ぞわりと、氷が蛇のように鎌首を持ち上げた。足首を越え、ふくらはぎを越え、膝を越え、太ももを越え、氷は弘毅を飲み込む勢いで登っていく。
『みつけられない、かくれんぼ』
 前髪に隠れた目を細めて、童女は笑っている。
 悲鳴をあげる幸恵を必死に抱きとめて、弘毅が氷に飲まれていく光景を見つめていた。
 このまま何も出来なければ、訪れるのは弘毅の死だ。
 ――死ぬ?
 爽子は絶叫したい程の恐怖を覚えた。
 怪我をし、傷つき、幾度となく倒れても、感じなかった命が消える予感に。
 でんでん太鼓を右手に持ち、弘毅の前で静止していた童女が、打ち振る手をふと止める。
 ちら、とおとがいを爽子に向け。
 にぃ、と。笑ってみせた。
 童女の姿をした邪気は、死人を生み出そうとしている今、笑っているのだ。
「いや……」
 弘毅は、幼馴染である織田久樹の友達だ。
 死なせてはならない相手であるはず。
「いや、ダメ、どうしたら……どうしたらっ!」
 止めなくては、邪気を圧しなければ、それをする能力に今目覚めなければ。
 そんなことを爽子は考えるが、彼女の異能カが発揮される気配はなかった。
 ――なぜ発動しないのか。
『発動はしてるんじゃないかな』
 困ったような表情で、初等部六年生の中島巧は爽子に教えたというのに。
「発動してるなら、どうして、この場で」
 目の前で人が死にかけている。
 それを救うことも出来ないのかと、心で叫ぶ。童女は爽子の心を読んだかのように、再びでんでん太鼓を打ち振った。
 から、から、から。
 音に合わせ、氷は勢いを増す。
 身体を凍らせる氷から逃れようと、もがいていた弘毅の体から力がぬけた。下半身を氷の中に閉じられた体は、地面に倒れ伏すことさえ出来ない。ただ上体がぐらりとゆれて、二つ折りの辛そうな体勢になっていた。
 爽子の腕の中で、幸恵が絶叫する。
 氷の彫像とかした、松永弘毅の異常な姿が、邪気の恐ろしさを伝えていた。
 助けられないのだ。
 特別な力を持ち行使することは、他者を傷付ける可能性を覚悟することと同義だと爽子は思っている。覚悟がないのかと自問自答しつつ、幸恵を抱いたまま爽子は膝をおった。
 童女はさらに笑いを高める。剥きだしの素足を動かすことなく、すぅっと爽子との路離を詰めた。
 近付いてくる、黒い髪。整った鼻梁。笑みを象る薄桃色の唇。
 襲い来るであろう冷たさを覚悟して、ぎゅっと爽子は目をつぶる。
 ――ばさり。
 雄雄しい羽ばたきの音が、唐突にはるか上空から落ちて来た。
 顔をあげ、弱いながらも存在をしらしめる太陽の光を燦燦と受けて、朱色の炎と、蒼色の水がきらめくのを目撃する。
 大江雄夜に従う式神。炎の朱花と、水の蒼花だ。
 邪気の姿を取る童女は、嫌悪を剥き出しにして歯肉を剥きだしに歯噛みした。
 一睨みして後、童女は爽子に顔を向ける。右手に持つでんでん太鼓を空に掲げ『また遊ぼう』と囁くと同時に打ち振った。
 呼応する音が舞い来る。
 しゃらんしゃらんという響きが、瞬く間に暴力的なまでの音量で迫り来た。
 あまりの音に身を竦める。
 腕の中の幸恵も、息を飲み込むような悲鳴を上げた。拷問にも等しい音の反響が唐突に終わり、顔を上げれば邪気は見えない。
 氷もなく、式神の姿もない。
「……俺、どうしてたんだ?」
 手の平をじっと眺めて、呆然と立っている松永弘毅の姿が、そこにあるだけだった。


 高等部風鳳館の教室で、大江雄夜は切れ長の眼差しを見開いた。
 ぞわりとした悪寒が全身を駆け巡っている。
 雄夜は声をもらしそうになって、下唇を強く噛んだ。がりっと肉を破った感触がして、鉄さびの味が口の中に広がる。
 耳障りのよい英語教師の美しい声が、まるで遠い世界の音楽のように感じられた。
 ただただ、どくんどくんと激しく鼓動を打つ心音だけが聴覚を占めている。
 ――まずい。
 押し殺す為に、拳を握り締めた。
 悪感と共に持ち上がり、雄夜の中で弾けようとたわんでいる衝動は、全ての破壊を舌舐めずりするように欲する激情だった。
 ――何が、起きているのか?
 視界が唐突に二重映しになって、息を飲んだのは先程のこと。間違いなく、遠くを視うる川中将斗の異能力が、雄夜の目に、眼前の現実ではない、遠い現実を見させているのだと分かる。
 見慣れた学園の校門を背景に、爽子達に危機が訪れている光景だった。
 札を二枚素早く手にし、回りに気取られぬように「朱花、蒼花」と囁く。教師にも生徒の目にも映らぬ閃光と共に式神は姿を現し、命を下した。
 ――それだけのこと。
 同じ危機の光景を見ていたはずの秦智帆が、対処を雄夜に任せ切りにしていたことからも、簡単なことだったと分かるのだ。
 式神の元が邪気だった為に、使役するには、それぞれが持つ破壊衝動を肩代わりする必要がある。おさえるのは厳しい作業だが、今の雄夜にとって二つを御すのは容易なことのはずだった。
 ――な、ぜ?
 さらに強く、意識を喰む衝動を耐える為にすがる確かさを望んで、唇を噛む力を更に強くする。血の味がロの中いっぱいに広がり、ひたすらに不快だった。
 雄夜の視界の端で、不意に智帆が起立した。
「先生、雄夜の具合が悪そうなので、保健室に連れて行きたいんですけれど、いいですか?」
 しゃらりとした表情で言い放つ。教師は驚いた様子で顔をあげ、雄夜の顔色の悪さに眉を寄せた。
「たしかに保健室に行ったほうが良いみたい。静夜くんも今日お休みだものね、双子で風邪でも引いてしまったのかしら? 秦くん、お願いね」
「了解です。折角なので、静夜の居る、大江先生のとこに放り込んできます」
 英語教師に片手を挙げて、智帆は軽やかに歩き出した。秋山梓と北条桜の席を通りすぎる際には、心配するなというように彼女達の肩を軽く叩いてみせる。
 竜巻に吹雪の現象が起きたとき、彼女達はその場に居合わせなかった。だが智帆らと共に異常現象に巻き込まれた宇都宮亮から事情を聞いているらしく、言葉には出さないものの、ひどく心配そうにしている。
「雄夜、立てるか?」
 気遣うように伸ばした手を、雄夜がとんでもない強さで握り返してくる。智帆は小さく眉を寄せ、そのまま渾身の力で友人の手を引いた。
 梓は立ち上がり、雄夜を支える智帆の為に教室の扉を開ける。さんきゅ、と智帆は軽く笑った。
 授業中の廊下は、独特の静寂に支配されている。
 雄夜が噛み殺す苦しげな呼吸の音と、二人の靴音が、やけに高く響いていた。
 高等部風鳳館の校門を出たところで、川中将斗の異能力によって見せられていた光景が見えなくなった。
 雄夜の命を受けた式神が、危機を回避させたと考えるのは難しくない。だが式神が戻った気配がなく、智帆は怪訝そうにする。
「戻せないのか?」
 尋ねたと同時に、ビクッと雄夜が身体を震わせた。
「切れた」
 信じられないと、雄夜は激しく頭を振る。
「……流れこんで来ていた破壊衝動までもが消えた。朱花、蒼花っ!!」
 どこだっ!と叫びながら、智帆の肩を雄夜は揺さぶってくる。答えを持たない智帆は、静かに手を持ち上げて友人の腕をつかむと強く引いた。
「雄夜、急ぐぞ」
「智帆?」
「蒼花の力は水だ。静夜だったら探せるはずだ」
「俺は……」
 突然に雄夜は棒立ちになった。漆黒の切れ長の眼差しが、迷子の子供のように途方にくれる。
 彼が覚えていない過去に、雄夜は双子の方割れを殺しかけたことがある。それ以来、静夜が傷つく全ての原因が自分自身にあるのだと感じ、雄夜は怯えているようだと二人の叔父にあたる康太は言っていた。
 だから雄夜は会いたくないのだ。昨日に気を失って以降、目覚めぬままに眠り続けている静夜に。
「静夜は大丈夫だ。身体のほうに異常はないと、康太先生から連絡は貰っている。起きるのを待つだけだ」
「――もし」
「起きる」
 全てを言わせず、怖いほどに雄夜を睨んで智帆は断言した。
「静夜は起きる」
 強く、もう一度繰り返して歩き出す。
「雄夜が懸念する必要があるのはな、朱花と蒼花のことだ。破壊衝動が流れてこなくなった。この意味の恐ろしさが分かるか?」
「何か恐ろしいのか?」
 心から不思議そうに雄夜に尋ねられて、智帆はやれやれと溜息をつく。
「雄夜、少しは考えろよ」
「智帆が考えたほうが早い」
「だろうな。で、普段は静夜が考えたほうが早いってところか? 俺らは便利な生き字引じゃないぞ」
 ふるりと首を振り、智帆は少し相手を馬鹿にしたような表情で雄夜を睨みあげる。
「式神の元は邪気なんだろ」
「朱花たちが前にそう言っていたから、間違いはない」
「破壊衝動を雄夜に引き受けてもらうことで、奴らは冷静を保つわけだ。だが今はどうなんだよ? お前は破壊衝動を引き受けてないんだろ? 朱花と蒼花の破壊衝動はどこにいったんだ」
「流れる先がない?」
「少し考えれば分かるだろ。破壊衝動は、朱花と蒼花の元に留まったままだ。今すぐにでも破壊衝動を止めてやらないと、奴らは単なる邪気になりはて、周りの全てを破壊し始めるぞ。まだそうなってないことを、祈るしかないな」
 同時に静夜が目覚めることもだ、と心の中で智帆は呟いていた。
 事態の重さを理解しながらも、雄夜の足は迷うように時折止まる。無言で自分自身より大きな友人を智帆は引きずって、たどり着いた白梅館の保健室の扉に手をかけた。
 そろそろと扉を開けると、聞きなれた声が耳に飛び込んで来た。
「だから、大変なことになってるって言ってるんだって! なんでわかんないんだよ、大体なんで放っといてるんだよ。俺がこんなこと、久樹にぃに言わなくちゃいけないんだよ。これもそれも久樹にぃのせいだ。ぜーんぶそうだっ! ああ、もう、大馬鹿野郎っ!」
 保健室の丸い椅子に身体を縮こまらせて座っている織田久樹の前で、中島巧が仁王立ちして声を荒げている。
「巧、どうしたんだ?」
「わわっ、智帆にぃ!」
 赤茶がかった髪を撫でられて、巧は目を丸くする。情けなさそうな顔で子供の叱責を受けていた久樹は、「よお」と軽く手をあげた。
「なんでか分からないんだけど、俺は怒られてるんだよ。智帆、理由を教えてくれ」
「俺が知るか。――それより久樹さん、なんでここに?」
「午後の講義が終わって教室から出たところを、二人につかまったんだ。邪気なんだろ?」
 焦茶色の優しげな瞳を懸念に細めると、久樹はひょいと丸椅子から立ち上がる。そのまま足音を立てぬように保健室を進み、とあるベッドに視線を落とした。
 枕に髪が散っている。
 紅茶色のはずのソレが、光の加減でか、まるで鮮血が飛び散ったかのように赤く映えていた。
 眠る大江静夜の青ざめた肌に、血の気はない。陶器製の人形がベッドに寝かされているのだと、錯覚しそうなほどの冷たさで眠っている。
「昨日から目覚めてないんだろう? さっき、康太先生が留守番を頼むって出て行く前に言ってたよ」
「正確には、邪気が姿をあらわす寸前に倒れたんだ」
 ――『わからないよ……こんな、のって……なんで……』
 意識を失って倒れる寸前、静夜は消えそうな声で囁いたのだ。
 嫌な予感がするとも口にした。邪気が姿をあらわす前から『吹雪が来る』と言って震えていた。
 瞳が最後に、燃えるような青に輝いたのを、智帆ははっきりと覚えている。
 ――何が静夜に干渉し、何が静夜を失神させたのか。その原因と理由が邪気にあると察することは出来るが、正確なことは何一つ智帆には分からない。
 首をふり、とりあえず現実を対処しようと智帆は腕を組む。
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竹原湊 湖底廃園
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