[第四話 凍土]

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No.04  迷宮への誘い

 雄夜の目前で、ただ続いていたはずの道が、唐突に膨れ上がったのだ。
「智帆っ!」
 閃光が走り、どくんっ、と鼓動を打ったかのように床が激震する。
「なんだ?」
 智帆は壁に手をつき、身体を支えた。
 閃光を放ったと思われる場所から、青い光が生まれていく。光は十重二十重と膨張していく空間に寄り添い、やがて互いに絡まり合い、丸い天井を生みしていった。
 ――まるで光のアーチ。
 目をくらます激しい閃光が消えて、目前に、きぃきぃと音を立てる古風なぶらんこが揺れた。
 童女が座っている。
 鼻筋までを隠す長い前髪。紅を強調している唇。紐を握り締める左手と、赤いでんでん太鼓を持つ右手。
 ――邪気。
 至近距離に現れたソレに、ぎょっとした智帆が後退しようとする。
 邪気はでんでん太鼓を持つ左の手を、凄まじい早さで智帆に突き付けた。
「智帆、離れろっ!」
 雄夜が、はらわたから搾り出したような、切羽詰まった大声をあげる。
 言われるまでもなく、智帆は距離を取ろうとした。けれど寸前で、体の中がかっと燃え上がるような感覚に襲われて、足が止まる。
 鈍器で頭を殴られたような衝撃が続けて来て、智帆の膝が崩れた。
「智帆!」
 友人の声が、どこか遠い。
 でんでん太鼓が、から、から、と音を立てている。それが脳の中にずるりと入り込んできて、智帆の意識はもうろうとしていった。
「智帆っ!! 邪気から離れてっ!!」
 静夜が駆け込んでくる。
「しず、や?」
「ソレが、僕らのっ!!」
 童女から智帆を剥がそうと、静夜は見かけの華奢さからは想像も出来ぬほどの力で友人を引っつかんで突き飛ばした。軽がった智帆を、久樹が抱きとめる。
 音から離れ、脳をえぐるような痛みが僅かに治まった。けれど今度は眼球に衝撃がきて智帆は呻く。
「な、んなんだ、これ」
 眼鏡をはずし、目元を手で覆った。
 熱い。眼球がそのまま外にえぐり出されて、火に炙られているかのように熱い。
 ――瞳が燃える。
 風の示す色を宿して、萌ゆる木々の色と同じ、エメラルドグリーンに燃え上がる!
「智帆っ!!」
 両肩を強く揺さぶられ、消えそうな意識をなんとかたぐり寄せた。目の前にある焦げ茶色の瞳を、認識する。
 普段は特に凛々しいとも思わない久樹の瞳が、なぜか今、なんらかの決意を秘めて強く輝いているように見えた。
「もしかして、久樹、さん……」
 邪気の正体を?と尋ねようとしたが、幾度めかの激痛に襲われて声を失う。今度は意識を繋ぎとめきれず、智帆はそれを手放してしまった。
 二人のやり取りを、静夜は背に感じながら、邪気と対峙していた。憎しみと呼ベるだろう色を瞳に宿し、立っている。
 激情に流されているようだが、静夜はおそろしく冷静だった。童女が背にする位置を見据え、意識を集中させている。
 そこから流れ込んで来る、すさまじい“力“を感じていた。
 水を失いながらも、力の気配を察することは出来る。それに皮肉を感じ、唇を歪めた。
『あそぶ?』
 優しく邪気は静夜に語りかける。まるで仲間に対するようなそれに、静夜は嫌悪に身体を震わせた。
「僕はお前の同族じゃない」
 遠くでこの光景を目撃する人々に、声は届かない。だから態度は繕っても、声は繕わなかった。
『だって、わたしのものよ?』
 ――通路がある。
 童女がゆらりと動いて、力が流れ込んでくる場所に通路を見た。あそこだと声を上げようと振り向いて、静夜はぎょっと目を見張る。
 額が触れそうなほどの距離に、双子の方割れである雄夜が立っていた。切れ長の眼差しは見開かれ、懸命に何かを叫んでいる。
 ――聞こえない。
 大声を上げているはずの、雄夜の声が全く聞こえてこない!
「……まさか、これって」
 何も聞こえず、何も伝えられない。
 ――静夜の力だ。
 水を集め、神秘なる力で結界を張り、封印を施し、対象を世界から切り離して、違う時間軸の中に封じ込めて眠らせる。
「僕を……僕の力でっ!」
 がたがたと歯が鳴った。
 打つ手はと考えるが、自分が持つ力の弱点など知りもしない。そうする間にも、静夜の身体は水の圧倒的な力に、ゆるゆると縛られていく。
 ――当たり前のように思っていた力は、他人にとっては恐ろしい力だった。
 そんなことを初めて実感として理解して、静夜は震える。
 手を握ってきた北条桜の手の温もりと、大江康太の優しい笑顔が、唐突に思い出されて、静夜は泣きたくなった。

『凍って』

 童女の赤い唇が告げる。
 その冷たい宣告は、水の中に封じられていく静夜の元へと駆け出した巧の心をえぐり、悲鳴を上げさせた。
「静夜にぃ!! ダメだ、その邪気にやられたりしないで。ダメなんだよっ」
 巧の絶叫に、童女はくす、と笑う。
 智帆を抱えていた久樹は、打たれたように目を見張った。
「そいつに、やられてはならない?」
 久樹の身体に走る震えを、巧が気付けるはずがない。大地の能力を大きく引き出すべく、子供は集中に入っていた。
 童女はふわりと手を持ち上げて、優美な仕草で胸に添える。
 静夜の力を、静夜の仕草で、行使する邪気が、眩暈がする程に腹立たしった。
「紛い物のくせに、ふざけるなぁ!」
 巧が叫んだのと、童女が水を氷の矢として放ったのは同時だった。
「静夜っ!」
 守ろうと伸ばした雄夜の手は、方割れに触れることも出来ずにすり抜けた。
 白い手を、足を、腕を、腿を。
 ――鮮血が散る。
 氷の矢は、容赦なく少年の白い身体を貫きかすめて、吹き飛ばして行く。
 氷の矢が、心の臓をぴたと狙った。
「やめろぉっ!」
 絶叫と共に、極限まで引き出された大地のカを、巧は開放した。
 カの波動に鳥肌が立つ。すぐ側に立つ雄夜の眼差しが見開かれる中、轟音が響き渡った。
 腹の底から突き上げてくるような音。
 氷を砕き、水の檻を吸収し、大地が隆起して唸りを上げる。同時に縛から逃れた静夜の身体は、圧力に押されるように後方に弾かれた。
「巧……? すげー」
 動き回る体力を早くに失い、見守るだけでほぞを噛む将斗が、一部始終にぽかんとする。
 巧が呻いて胸をおさえた。心臓がばくばくと高鳴り、動くこともままならない。
 水の檻から解放された静夜は、ぼたぼたと流れ出る血液が作った溜まりの上に、ドッと音をたてて倒れ込む。
「静夜兄ちゃんっ!」
「……巧の、目、の色、はっ」
 静夜の体力は既に空で、無理をする余力はないのだが、彼は立ち上がろうと懸命になる。
「目の色は変わってないよっ! だから、動かないでよ!」
「そう。……なら……まだ、大丈夫」
 少し安堵した途端に、静夜の意識は白濁し始めた。慌てて歯を柔らかい唇にあて、ぎりっと噛んで意識をつなぎ止める。
 智帆を引きずりながら、久樹が駆けよって来た。巧はぜいせいと荒い息を続け、動けずにいる。子供を守るかのように、雄夜は仁王立ちしていた。
「動くな」
 低く威圧するように言い放ち、雄夜は大地の力によって動きを封じられている邪気をにらむ。
 巧が既に力を行使していない以上、封じが破られるのは時間の問題だった。
「まだだ。止まっていろ」
 召喚は出来ずとも、僅かに残る大地の橙花のカを、雄夜は引き出して封じを持続させる。
 奇妙な静寂だった。
 雄夜と童女が、ぴくりとも動かずに固っている。
 それを確認すると、静夜は音を立ててこぼれる血液と痛みに歯をくいしばって、智帆に手を伸ばした。
「静夜っ!? なにやってんだ、お前っ!」
「……確認……しなくちゃいけな、い、こと……がっ!」
「俺が起こすから、動くなっ!」
 久樹は怒鳴って、智帆に活を入れる。
 ぐっと喉を詰まらせて、彼は激しく咳き込んだ。
「智帆、風、は?」
 柔らかな呼び声に、智帆はびくりと震えた。彼の瞳は今、ココアブラウンの色をしている。
「とられていく」
 智帆は首を振った。
「風が……俺の中から、消えて。急速に」
 呆然とした呟きと同時に、風が突然にはじけて、全員の髪を揺らせた。
 智帆の風の力。
 普段の色に戻っていた瞳が、最後の輝きとばかりに激しく光を放つ。奪われる風は、手で押さえても防げるものではなかった。
 彼の中にあった全ての”風”を貪って、空中で渦を巻く。ごうごうと逆巻く力の奔流は、最後に邪気が持つでんでん太鼓に吸い込まれた。
「あれ、が……」
「あいつは、音と、共に、僕らの力を奪う」
 “風“の力を吸い取った赤いでんでん太鼓を、童女の形をした邪気は抱きしめる。
 動けない巧を抱え、予備動作なしに雄夜は飛びすさった。
 二の腕を剥きだしにして、邪気が赤いでんでん太鼓を突きだす。風が重い水を含み、嵐のようにさかまいて雄夜の黒髪をなぶった。
『わたしのもの』
 ツ、と。童女は足を滑らせる。
 巧をさらに遠くへと突き飛ばした直後、雄夜の喉がぐぅと鳴った。身体を二つに折り、苦悶の表情を浮かべる。
「な……なんだっ!? なにが起きてるんだ、おい、雄夜っ!」
 叫ぶ久樹の目の前で、膝をつく雄夜の身体から、こそがれた肉片が床でびちゃりと音を立てる。
「うわあぁっ!」
 絶叫と共に駆け出そうとした手を、ぎっと智帆に掴み取られた。
「行くな」
「智帆!? なんで止めるんだよっ」
「馬鹿か? “炎“が覚醒してないんだ、行ってなにが出来るよ。久樹さんは切り札だ。……気付いたんだろう? あの邪気と、爽子さんには関係があるってな」
 智帆が吐き捨て、久樹は硬直した。
「俺はただ……爽子が、寂しい思いをしていると聞いて」
「それだけしか思っていないと?」
 ひゅうひゅうと喉笛をならすような呼吸を続ける静夜は、二人を無言で見守っていた。
 巧の背をさする将斗が、ふと顔を上げる。
「俺さ、爽子姉ちゃんがこの邪気に関わっていたとしても、別に態度は変えないよ? 久樹兄ちゃんは変わる?」
「は?」
「責めるのかって聞いてんだー」
「いや、責めないよ。俺のせいでも、あるだろうし」
「んー、なら良かったよー。じゃ、俺も時間稼ぎしてくる」
 なんでもないことのように言って、将斗はよろりと立ち上がる。肩で息を続ける巧が上げた視線に、親指を突き出した。
「光の異能力さ、少しだけど回復してきてんだー。なあ、智帆兄ちゃん。あの邪気って俺らの力を奪うんだろ?」
「奪うより貪るだな。俺らの力の一つを完全に食うにも、食ったあとにも、時間がいる。――特に、次の力を食うための時間がな」
「じゃ、それで時間が稼げるよなー」
 ニッと笑って、将斗は悲鳴を押し殺したままなぶられている雄夜の元へと歩き出す。
「な、んで……。そんな簡単にっ!」
「簡単なワケないだろ」
 巧が吐き捨てる。智帆は唇の端を歪めた。
「一人一人が食われていくのをただ見ているのが、簡単なわけないだろ。時間がいるんだよ、あんたが動くためにな」
「なんで、俺なんだっ!!」
「本当は分かっているだろう?」
 邪気が生み落とす氷につけこまれたかのように、場が冷たい。
「あの邪気には、爽子さんが関与している」
 ギッと睨まれて、久樹は声も出せなかった。じっとりと汗をかいた掌を、強く握り込む。
 巧は切なそうに、天を仰いだ。
「異能力に作用するカがある。久樹にぃも気付いてるだろ?」
「それは、爽子の……力、だろ?」
 ずっと不思議に思ってきた、謎のかけらが繋がっていく。
 ――秋。爽子が助けたいと答えて、炎が戻って来たこと。
 ――夏。静夜が操っていなかった水の力が、久樹たちを救ったこと。
 ――春。死にかけて初めて、炎の異能力が爆発的な力を発揮したこと。
「爽子の異能力は、ずっと前から目覚めていたんだな」
 彼女の言葉が頭の中で響いた。
『私が、能力を上げるのなら』
『私が、能力を下げることだって』
『封じてしまうことだって!』
「俺の”炎”を封じ、お前らの能力を増幅させたり、減少させたりしてきたんだろう?」
 歯を食いしばって顎を引き、久樹は泣き出しそうな顔をさらした。
「違う」
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竹原湊 湖底廃園
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