[最終話 閉鎖領域]

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「おねがい、逃げて」
閉鎖領域 No.01
緋色の肌襦袢をまとう娘は、あたかも血の雫をふくんだような唇で囁いた。


 噂が、あった。
 白鳳学園は不思議を内包する。
 不可思議な事件の側には、きまって同じ生徒達がいる。
 春に、夏に、秋に。事件は何度も発生し、そして。
 ――冬。
 ソレは、学園にかかわる殆どの人々を目撃者として発生した、あまりに不可解で、目を覆いたくなるほどに凄絶な事件だった。
 人々は呆然とそれを見て、そして、思ったのだ。
 血を流し倒れている生徒達は被害者だろう。ならば、同じように事件の中心にいながら、全くの無傷である二人の生徒はなんなのだ?と。
 だから噂が変異した。
 人々は噂と現実とをあわせて、一つの答えを導いたのだ。
 異端をもたらし、異変を呼ぶのが、織田久樹と、斎藤爽子であると。
 事件のあと学園は休校したが、驚くほどに的確な対応を見せて、大怪我をおった生徒達が退院するよりも早くに再開した。
 けれど、再開した学園に、織田久樹と斎藤爽子の姿はなかった。
 異変をもたらす者の排除に成功した人々は、もう二度と不可解な事件に巻き込まれることはありえないと、無邪気なまでの素直さで信じていた。
 だからソレが起きる前触れなど、誰も感じてはいなかったのだ。
 初等部で、中等部で、高等部で、大学部で、共同施設で。
 人々は同時に顔をあげ、ソレを見たとき。
 恐怖よりも先に心をよぎったのは、驚愕だったのかもしれない。
 なぜ?と。
 異変を呼ぶものを排除したのに、どうしてまたこんなことが起きるのだ?と。

 ――閃光。

 学園中に走った閃光の、発生地の只中にいた男子生徒は、とっさに両手を持ち上げて目を庇った先で、なにか不穏な気配が生まれようとするのを感じていた。
 目を閉ざして生み出した闇よりも、なお暗い闇の気配。
 ソコになにもないにもかかわらず、たしかになにかが”ある”と感じて、闇にすまう者たちが恐かった幼いころの、原始的な恐怖がよみがえってくる。
 鳥肌が、彼の腕をびっしりと埋めていく。
 空間がたわんでいくのが分かる。空気の流れが滞留し、ねっとりした何かを伝えてくるのも分かる。
 見てはいけない、と彼は思った。
 けれど、見なければいけない、ともなぜか思うのだ。
 瞼はとっくに開いていた。
 そろり、と。指を、開く。
 緋色。
 息を、のんだ。声にならない。
 閃光を産もうと淡く光るなにかを覆い尽くす圧倒的な存在感で、たたずむのは目に痛いほどに鮮やかな緋色だ。
 そこに、そんな色がなかったことを、彼は知っていた。
 だって普通に彼は歩いていたのだ。前を歩いていた友人を追って歩いていたのだ。だから断言できる、自分の前にあったのは友人の背であって、そんな緋色ではないと。
「……な、んだ、よ」
 あわれなほどに掠れきった、自分自身の声が耳朶をうつ。
 目を覆っていたはずの手は、恐怖に打ち震えるのと同じだけ異質な緋色に魅入られて、完全に下ろしてしまった。
 見たい、と。
 はっきりと見たいと思ってしまったのだ!
 緋色は、風に翻る肌襦袢の色だった。
 裳裾から覗く、病的なまでに白い素肌。
 彼はゆっくりと下から、上へと視線を動かす。
 白い足、白い手、白い首、その上に乗る、あどけない少女の顔。
 瞼には朱塗りの隈取がはかれ、唇は血を含むかのごとく紅に濡れている。
「あ……あ……」
 言葉にならぬ音を口からしぼりだし、彼は操り糸の切れた人形のように座り込んだ。
 その横で、彼と同じように緋色の少女が現れたさまを目撃した娘が、ひゅうひゅうとおかしな呼吸を繰り返しながら、限界まで目を見開いている。
 緋色の少女は、彼らに特別な興味は抱いていないようだった。
 ただ濃い闇を宿す赤い隈取に縁取られた目を細め、そろりと口をあけた。
 ちろり、と。
 白い歯の下で、赤い舌がうごめいた。
『……て』
 その、声に。
 聞き取れはしないその声は、金縛りにあったかのように動きを止めていた人々を恐怖に震え上がらせた。
 分かってしまったのだ。
 赤い唇の、舌の、うごめく様に、発された、音ではないその声に!!
 異端なのだと。
 この少女こそが異端そのものなのだ!
 緋色の少女は一斉にあとずさった人々の反応に、こころもち柳眉をよせた。
 血を含むような唇をきゅっとつぼめ、袂からゆうるりと舞扇を取り出す。
 ぱちり、と一つ、ソレを開いた。
 はらり、と花弁が落ちる。一枚では白にしか見えぬ、薄桃色の花びら。
 はらり、ひらり、と落ちる様を凝視して、だれかが「さくら?」とあえぐように言った。
 恐怖に震える視線が薄桃色の可憐な花に集まる。
 まだ桜が咲くには早すぎる。蕾は固く閉ざされている。なのにソレはこぼれて目の前で散る!
 にぃ、と緋色の少女は唇を持ち上げた。
 花びらにうつった人々の視線は、ただそれだけの仕草に魅せられて、緋色の少女へと戻る。
『おねがい、逃げて』
 音ではない。
 けれどそれはたしかに声だった。
 意味がわからなかった、先ほどとは全く違う。
 鈴に似た声が、鼓膜のなかではじけるように、人々の脳のなかで破裂したのだ。
 蜘蛛の子を散らすように、座り込んだままの者さえも必死になって、緋色の少女を残して人々は後退した。
 緋色の少女は遠巻きにしてくる人々の注目など気にした様子もなく、裳裾をわって白い素足をのぞかせると同時にくるりと体の向きをかえ、隈取に縁取られた目で一点を捉える。
 珠が浮いていた。
「…なんで、珠が……浮いてんだよ……」
 どくん!!
「なにあれ!! なんかヘンだよ、なんか脈打ってる!!!」
 どくん!!!
 緋色の少女は目を細めた。口元にあてていた舞扇を持つ手の構えを変え、いきなり脈打つ光の玉を睨みすえたまま投げつける。
「あっ!」
 緋色の少女の後姿がいきなり消失した。
 脈打つ光の珠の胎動は激しさを増し、いっきに拡散する!
「うわ!!!」
 再びの閃光を予感して彼らは悲鳴を上げた。
 けれど生まれた光を、片端から喰らい覆い尽くすモノがある。
 少女の投げた舞扇から、薄桃色の桜の花弁が大量に湧き出し、吹雪となって襲い掛かったのだ。
 花弁の桜吹雪と、圧そうとする光のせめぎあいが続く。けれど珠から生まれた光量は次第に力を失って、柔らかなきらめきに変じて大気に溶けた。
 同時に、桜吹雪も完全に消失した。
 そうしてゆるやかに視界がクリアになり。
「な、に、がおきてるんだよ……」
 誰かがあげた声はすでに泣いていた。
「なんなんだよ、なんだよ!」
 違う場所で、誰かが似た言葉を吐き出す。
 在り得ないはずの出来事。
 異端であり、異質であり、普通である人々には関係なかったはずのモノ。
 白鳳学園にあるすべての人々が、いま、目撃者となっていた。


 それは少年たちが”邪気”と呼んだもの。
 人の心に巣食うマイナスの感情があふれだし、集まって、力をもった存在。
 ”普通”の人々には見えぬはずの、モノだった。


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