[最終話 閉鎖領域]

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「勝手だよね。わかるよ、そうやって怒るのが当然だと思うの。でもね」
閉鎖領域 No.02
電話口からきこえる友人の声は、ひどく切羽詰っていた。


 携帯電話がいきなり鳴った。
 斎藤爽子が「あっ」と言って、はじけるように顔を上げる。
 彼女の瞳に宿るのが、怯えだと対面に座る織田久樹は知っていた。だから充電させっぱなしで熱くなっている携帯電話を、すぐに取り上げて耳にあてる。
 くぐもった息遣いが聞こえる。耳元にしめった空気が流れた気がして、久樹は眉を寄せた。
『……織田久樹、斎藤爽子、お前たちが学園に恐怖をもたらすんだ』
 声はまだ続いていたが、最後まで聞かずに久樹は電話を切った。
 一部始終を見守っていた爽子は、息を落として首を振る。
 日常は噂という情報の劣悪なコピーによって汚染され、どこもまでも二人を縛って離さない。学園に毎日普通に通っていたことが、まるで嘘のように感じられた。
 通話をきったばかりの携帯を充電器に戻しながら、久樹は「まるで呪いだよな」と呟く。
 爽子は顔を上げ、軽く首を傾げて見せた。
「いやさ、噂って呪いみたいだよなって思ったんだ」
「……呪い、か」
 きゅ、と爽子は手を組み合わせた。
 久樹も同じような仕草をして、二人同時にどこか遠くを見つめるまなざしになる。
『あのね、少しは用心して欲しいって思うんだよ?』
 そういってよく困った顔をしてみせた少年達は、今は側にいない。
 あまりに秘密主義な彼らに、久樹は何度も不満を抱いたことがある。どうして何も語ってくれないんだ、と直接的に訴えはしなかったが、いつも思っていたのだ。
 ――敏感な彼らは、こちらの気持ちをも察知していたのだろう。
 だから、いつまでもいつまでも、埋まらない何かがあったのだと、今は分かる。
「俺達は無防備だっていつも言ってたよな、あいつら」
「……うん」
「いまなら俺たちこそが傲慢だったなってわかるんだけど。こんな目にあうまで、ずっと思っていたんだ。気をつけろっていうなら、実際にどうなるのか、どんな目にあってきたのか、それを教えてくれればいいのに、ってさ」
「……わたしも、思ったことあるよ。実際にどういうことが起こるのか、なんで教えてくれないのって。教えてくれなくちゃ、気をつけようもないよって」
「ワガママだったよなあ、俺ら。……とっ」
 また、携帯がなった。
 条件反射のように爽子が震える。久樹はすぐに携帯の通話ボタンを押し、しばし聞いて、先ほどと全くおなじようにソレをきった。
 呪詛の言葉だけが同じで、違う誰かからこうして電話がかかってくる。
 毎日毎日。この繰り返しで、二人は爽子の家に閉じこもったままだった。
 もし爽子の家が学園から電車で二時間近く離れた場所になければ、この場所にだっていられなかったかもしれないのだ。
「俺たちがあいつらに求めていたのは、こんな辛いことを思い出して語れっていってるのと同じだったんだよな。あいつらが余りに強かったから……いや、強くなくちゃ生きてこれなかったことに気づけなかったから、そんなことを要求出来てたんだ」
 久樹は自分自身の憤りを押し殺すように、手の中の携帯を握り締めた。
 幼馴染が己を責めるさまを見やって、爽子は座り込んだまま両膝をたてる。その膝に額をつけ、眉をよせた。
「それでも久樹は、巧君たちを肉体的に傷つけたわけじゃないわ。わたしは、ずっと庇ってくれたのに、わたしが……」
 ゆるゆると変化させずに続けてきた関係が動くことで、久樹の隣にいることさえ出来なくなるのではという勝手な不安にとらわれて、爽子はあの時、すべてを拒絶してしまったのだ。
 今でもはっきりと覚えている。
 歪な願いが邪気を生み、真白の世界に少年達が血の赤を流し続けたことを。能力を奪われ、肉体を傷つけられ、魂のきらめきさえも奪われているというのに、少年たちは加害者である自分を救おうとしてくれていたことを。
「まだ私、謝ってもいないの。謝ってなにかが変わるわけじゃないけど、私、謝りたいのに。ごめんなさい、そしてありがとうって言いたいのに……」
 ぎゅ、と爽子は白くなるほどに拳を握り締めた。
 久樹は握り締めていた携帯電話を離し、にじりよって爽子の頭をぽんぽんと叩く。
「爽子だけがやったことじゃない。俺だって、共犯なんだ。だから一人で、そんな顔するなよ。謝ることだって、絶対に出来る」
 連絡さえ取れないけれど、と。苦い言葉を久樹は飲み込んだ。
 氷の迷宮が消失するさいに、友人達が血まみれで倒れている凄絶な光景を爽子に見せたくない、と思ったのだ。それが逃げであると分かっている。甘えだとも分かっている。けれど、打ちのめされている爽子を見るたびに、見せないでよかったと思ってしまうのだ。
 けれど見せないですんだかわりに、彼らに声をかける機会も失ってしまった。
 二人は倒れた少年達のそばにいかないほうがいいと高校時代の友人である松永弘毅に忠告され、丹羽教授と本田里奈に保護され、そのまま隠されるように爽子の実家に戻されてしまったのだ。
 あれ以来、少年達の携帯電話は不通のままだ。
 どこに入院しているのかさえ、知らないまま時間だけがすぎている。もちろん、すがるような気持ちで内藤康太には尋ねたが、本人達の許しなく教えることは出来ないと困った返事をされただけだった。困らせるだけとわかったから、他に聞くこともやめた。
「私、ね。巧君たちがね、連絡なんていらない!って、言ってるわけじゃないって、思うの」
「……巧が、爽子を苦しめようなんて、思うわけないもんな」
 想像を絶するほどの痛みのなかで、それでも爽子を心配していたのが巧なのだ。
「だからね。巧君たちが、まだ、誰とも喋れないような状態にあるんじゃないかって、思ってしまうの。だって、本当にひどい怪我を負わせてしまったから……」
 そこまで言って、爽子は膝に額をつけたまま、震えだした。
 泣いているように見えて、久樹は幼馴染の肩を抱いた。ふさわしい言葉など、みつかるわけがなかった。ただ一人で抱えるなと伝えるために、強く抱きしめる。
 また久樹の携帯電話がなった。
 ただ、音が違う。ひどく柔らかなメロディだった。特定の人間からかかってくるときにだけ設定している着メロだ。
 はじけるように爽子が顔を上げる。
「ねえ、電話! これって、幸恵から!?」
「でも今、授業中のはずだろ?」
 腕時計を確認して目を丸くする。通話ボタンをすばやく押すと同時に『久くん?』と尋ねる声が飛び込んできた。
 すべてが久樹と爽子を否定するなか、二人を否定しない数少ない友人の声だ。
「サチ?」
『さっちゃんも、そこにいる!?』
「ああ、いるよ。それで、どうしたんだよ? なんか焦ってるみたいだけど」
『学園が変なの! ううん、私たちみんな変になっちゃったみたいなの!!』
「変になっちゃったのって。待て、落ち着けよ、サチ! なにかあったのか?」
『あのね、変なことが起きてるの。なにかが学園中をうろうろしたりもするし』
 すぅっと、久樹は自分の血の気がさがる音を聞いた。
 手が震えそうになる。慌てて両手で携帯電話を握り締めて、幸恵の言葉を聞き漏らすまいと耳をすませる。
『説明なんて出来ないことばっかりだよ! いままで起きてた、事件のときみたいな……』
「な、んだって!?」
 冷静に返すことが出来ずに、久樹の声が震えた。
 同じように、電話先にいる幸恵の声も震えている。
『ひどいことがおきてるわけではないの。出たけが人だって、驚いて転んだとか、そんなのが原因の人たちばかりよ。でもね』
「異端が原因の怪我人が、出てもおかしくはないってことか? なあ、サチ、なにが起きて、なにを見たのか教えてくれ、頼む」
『閃光が走ったの。それから、陽炎を見て。不思議な獣が走るのも見たよ。ねえ、久くん!』
 幸恵の声のトーンが、一つ上がった。
 切迫と緊張に震えている。だから続く言葉は恐怖でしかないと感じ取って、久樹はぞっとする。声を拾おうと顔を寄せてくる爽子も、眉を寄せて固唾を呑んでいた。
『これが、久くんたちが見ていたものなの?』
「……サチ?」
『菊乃がね、将斗くんから少し聞いているの。世の中には私たちが置き忘れた感情があって、それが集まって個となり、やがて存在を持つことがあるんだって。それを将斗くんたちは見ることが出来るんだって。ねえ、そうなんでしょう? 久くんも見えるんでしょう?』
「ああ、見えるよ。俺にも、爽子にも、見えてた」
『今、私がここで見ているこれが!! きっとその邪気っていうものなんだわ!』
 幸恵の声は恐怖のあまりに上ずっている。
 久樹は幸恵の肩を握り締めるかわりに、携帯電話を強く握った。
「サチ、頼む、落ち着いてくれ。菊乃ちゃんは一緒にいるのか?」
『会えてないの。いま、炎鳳館に向かっているところ。携帯、本当に誰ともつながらなくて、久くんに繋がったのだってやっとだったの。菊乃の声も聞けないし、何がおきてるかもぜんぜんわからなくって! 学園の中にいることは間違いないのに』
「間違いない? ちょっと待てよ、サチ。先生たちに誘導されて、外に出てるかもしれないだろ?」
『無理なの』
「無理?」
『だって、なくなってしまったんだもの。出口のすべてが。異変がおきる前にここにいた人たちは全員、ここからは出られないの!』
 おっとりとしているけれど、いつも気丈な幸恵の限界が近いのがわかる。
 泣き出したいのを必死にたえているのに、何もできない自分に久樹は唇をかんだ。
 出口のすべてが消えたというのは、幸恵の妹である菊乃が巻き込まれた、夏の事件の時と同じ現象だろう。
 とにかく落ち着かせなければ、そう思って必死に考えるけれど、側にいない自分達に出来ることが殆どない。ただひたすら落ち着かせようとするだけだ。
「大丈夫、大丈夫だよ、サチ。変なものが見えるかもしれないけど、なにもしてこないんだろ? 変なのが原因の怪我人もまだ出てないんだよな? 菊乃ちゃんは無事にサチを待ってるし、そこからだってちゃんと出られるから」
 確証など一つもないけれど、断言する。
 だって断言しなければ、きっと幸恵は泣き出してしまう。壊れてしまう。
 そういえば、と思う。
 知恵者の二人はいつも余裕の態度に皮肉っぽい笑みを浮かべて、問題なんてすぐに解決するさ、という態度をとっていたのを思い出した。
 智帆だって静夜だって、別に本当に確証があったわけではないのだ。ただ、笑っていないと、平気な顔をしていないと、自分たちが動揺するからそうしていただけのことだったのだ。
 久樹はぎりぎりと携帯電話を握りしめて、大丈夫だと繰り返しながら泣きたかった。
 こうやっていつも、経験してはじめて、少年たちの気持ちを知る自分のおろかさに。
『久くん』
 幸恵の声質が、変わった。
 人は誰かに大丈夫だといわれて強さをとりもどすことができる。
 いつも、いつだって、少年たちが大丈夫だと言って笑っていたくれた、あの日の自分たちがそうだったように。
『学園でね、変化したことがもう一つあるの』
「もう一つ?」
『久くんたちに対する感情よ。変なことはすべて久くんたちのせいだってことにされて、久くんもさっちゃんも中傷されて、大変な目にあってるよね』
「ああ」
『でもいま、久くんとさっちゃんは学園にいない』
「ああ。当然な。いけるわけないだろ。もちろん、入院したままの智帆たちもいないだろ」
『……だから』
「だから?」
『異変を起こすのは久くんとさっちゃんだと思っていたのに、二人ともいないときに異常事態が起きたから』
「まさか。それじゃあ」
 あまりのことに、久樹はぽかんとした。
 となりで必死に耳をすませている爽子も、同じようにぽかんとした顔をする。
『久くんたちは、起きた異変を鎮めようとしていただけなんじゃないかって言い出してる。だから、助けて欲しいって願ってる人たちが出てきているの』
「なっ!!」
 あまりに都合のよい話に、久樹と爽子は絶句して顔を見合わせた。
 異変に対処しようとしていたのは、間違いなく事実だ。
 けれど呪いのような噂をぶつけられ、虐げられた自分たちを、突然に”味方”と考え出す人々の節操のなさに二人は唇を噛む。
 ぞろり、と。心の中で怒りが鎌首を持ち上げた
「そんなの、今更、だろ」
 しぼりだすように、それだけ言った。
『うん、今更だし、勝手だよね』
 幸恵が悲しそうな顔をしたと思った。
『分かってる。分かってるの。だって私も、なんで今更そんな勝手なことを言うの!って思うもん。だから、そうやって怒るのが当然だと思うの。でも!』
 高ぶった気持ちを言葉にしようとした幸恵の声が途切れた。
 かわりにいきなり悲鳴が響いてきて、久樹と爽子は真っ青になる。
「サチ!?」
 幸恵の返事がない。なにかあったのか、怪我をしたのか、不安が心を塗りつぶして「サチ、サチ!!」と何度も叫ぶ。
 心に持ち上がっていた怒りなど、今はどうでもいいことだった。
『……っ。だ、大丈夫。ごめんね、心配かけちゃった。今、獣がすぐ側を駆け抜けていったの』
「とにかく、まずは安全を確保して、それから」
『わたしね、二人を信じてるからね。こんなことにならなくったって、本当に本当に』
 幸恵はまだ何かを言おうとしていた。
 けれどそれは久樹には届かなかった。
 無情にもプツ、という音を最後に、電話は遮断されたのだ。
「サチ、サチ!!」
 何度も繰り返し叫び、かけ続けもしたが、二度と繋がることはなかった。
「久樹……。幸恵、どうなっちゃうの?」
「行こう」
「行く?」
「白鳳にさ」
「え?」
 大きな瞳を、爽子がこれ以上ないほどに見開かせた。
 瞳に浮かんでいるのは迷いと恐れだ。けれど久樹はそれに気づかないフリをして、強引に幼馴染の手を取る。
「迷ってる場合じゃない。だってそうだろ、智帆たちはいつだってリスクを承知で俺たちを助けてくれた。サチは俺たちを信じてくれた。あそこには、智帆や将斗たちを信じたやつもいるんだ。あいつらと連絡を取れない以上、あいつらが身動き取れない可能性がある以上、俺たちがやるべきなんだ」
「やる、べき?」
「そうだと思う。俺たちは、やるべきことをやらないできた。その結果が、あいつらばかりが辛い目にあうってことなんだよ。それをまた繰り返すわけにはいかないだろ」
「……そうね。私たちに何が出来るのかは分からないけど。少なくとも」
「サチたちよりは、出来ることがある。それに」
「それに?」
「俺たちが動けば。また、会える気がするんだ。智帆たちに、さ」


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