[最終話 閉鎖領域]

前頁 | 目次 | 次頁
見上げた学園の壁がひどく高い
閉鎖領域 No.03
だから思った。これではまるで牢獄だと。


 地下鉄の駅から外に出て道路を歩き、白鳳学園の姿が目に入った瞬間。
 なぜか”帰ってきた”という気持ちが沸き起こってきて、久樹は足を止めた。
 足を止めると同時に、ひゅう、と強く風が吹く。
 しばらく家にひきこもりだった久樹の首筋は、三月初めの冷気を刃のように感じてしまって、ぶるりと体を震わせる。
「寒い」
 ぽつんと呟き、猫背になりながらじっと久樹は白鳳学園を見つめた。
「なんか、帰ってきたって気持ちになるな。妙に安心するというか」
 隣を歩む爽子の手を自然と取り、久樹は軽く引く。長い髪をさらりと揺らせて、彼女も足を止めて少し目を細めた。
「うん。不思議な包容力を感じるかも。あのね、久樹。今、思ったんだけどね。ここってなんだか不思議じゃない?」
「不思議?」
「うん。なんだかね、邪気とかが起こす不思議なことを、まるで許容しているような……違うかな、慣れているような気がするの。だってね、今回のことだってね、どうやって説明したんだろうって思わない?」
「あー、そっか。あん時は、いつもと違って静夜が破壊された建物の体裁を整えたりしてなかったんだもんな。警察とか、消防とかも入っただろうし。近隣の人たちに説明だってする必要があったわけか」
「うん。きっとね、異常気象に見舞われたとか、手抜き工事があったとか、なんとかごまかしたんだろうとは思っているの。でもね、思わない? 普通だったら、学園側だってイヤになってしまうんじゃないかって」
「そういや、俺たちが原因なんじゃないかって噂になってたってのに。休学しろとか、言われたことないな」
「なんでこんなに寛容なんだろう」
 ううん、と悩んで爽子は首をかしげる。
 久樹はつい、連絡の取れない秦智帆や、大江静夜ならどう考えるのだろうか?と思ってしまって眉を寄せた。出来ることはあるはずだと意気込んできたはずなのに、これではまるで彼らの助けを求める子供のようだ。
 無意識に唇の端をさげて言葉を遮断する。手を繋いだまますたすたと歩き出した久樹になにも言わず、爽子は次第に大きくなっていく学園を囲む壁をじっと見つめた。
「――え?」
 なにか、変だった。
 初等部から大学部まで、ずっと同じ景色を見てきた爽子の目が、”何かが違う”と訴える。
「ねえ久樹。なんか、変、だよ?」
「え?」
「中でだけ異変が起きてるんだって思ってたけど。違うよ、だって、そうだ!」
 手をつないだまま、爽子は勢い良く走り出して前に出る。
 慌てて同じように走って、久樹は幼馴染が睨む方角に視線を向けた。
 ごく普通に道が続き、学園の壁が続き、内側の木が枝を覗かせる。
 ――なにが、変だというのか?
 爽子は学園の外壁までたどり着き、そっとソレに手を当てる。そうして顔を上げて「やっぱり」と呟いた。
「壁が高すぎる」
「え?」
 言われて、久樹はようやく気づいた。
 学園の壁は、それほど高くはない。高校生にでもなれば、普通に中を覗ける程度の高さでしかなかったはずなのだ。
 なのに、今、目の前にある壁はひどく高い。
 まるでこれでは牢獄だ。
 背筋に直接氷をあてられたような感覚に襲われて同時に震える。一つ呼気を飲み込んで、二人励ましあうように手を取り合って走り出した。
 幸恵は『入り口がない』といった。夏に炎鳳舘で起きた事件では、確かに初等部が封鎖されて、普通の人間には、外部からも内部からも出られない状態だったのを二人は知っている。
 息が切れる前に、正門のある場所が視界に入った。
 急停止して、二人は「え」と、声をもらす。
 ごく当たり前の日常に溶け込んで、正門は普通に存在している。
 開け放たれている正門を見守っている監視カメラも、いつもと同じように稼動しており、レンズが映し出す光景も平穏な”日常”そのもののようだった。
 校門から見渡せる白鳳学園内は、いつものように並木道が真っ直ぐに広がり、そこを行き来している休憩中と思われる生徒や職員の姿もあるのだ。
「な、んだって?」
 もし電話をかけてきたのが、立花幸恵でなかったら。学園をぐるりと囲む塀が高く高く牢獄のようにそびえていたのを目撃していなかったら。
 からかわれたと思うほど、それは何時もと変わりない光景だった。
「久樹!」
 ぐい、と腕を引かれる。
 ぽかんと開きっぱなしになっていた口を結び、久樹は傍らを見やった。
 眉をひそめて爽子が来た道をじっと見つめている。ひどく真剣な眼差しに、どうしたと尋ねかけて久樹も気づいた。
「塀、が」
 視界の全てを遮り、社会から学園を隔絶して、高くそびえてたはずの塀が消えた。
 ごく自然に木々のざわめきを見せ、中で営まれる学園の”日常”を見せる、いつもと変わらない高さに戻っているのだ!
「爽子、さっき、確かにみたよな?」
 声がわななくのが久樹にも分かる。学園でなにかあったのは間違いないのに、”あったこと”の証拠が次々と消える現実に、体が無意識に震える。
「牢獄みたいな塀が、確かにあったよね。私たちの見間違いじゃないよね」
 爽子の声も震えている。彼女はつないでいた手を離して、そっと塀に近づいた。手を伸ばし、塀が確かに触れられるものであると確認をして、爽子は中を覗きこんだ。
 正門に最も近いのは初等部炎鳳館と中等部地鳳館だ。
 爽子が覗いたのは中等部地鳳館で、校庭では体育の授業なのかサッカーをしている光景が見渡せた。
「いつもとなんにも変わらない」
 爽子は別に、意図して炎鳳館ではなく地鳳館を覗いたつもりではなかった。
「巧くんと将斗くんって、いつもサッカーしていたよね」
 立花幸恵の妹であり川中将斗に恋している菊乃が、ボールを追い駆け回している将斗を見つめていつも歓声をあげていた。自分が壊してしまうまで、それは普通に存在していた日常だったのに。
「爽子」
 名を呼んで、久樹は彼女の手を握った。中島巧と川中将斗の安否は彼も知らないので、安易なことは言えず、ただつないだ手を軽く引く。
「久樹?」
「とにかく中に入ってみよう。幸恵が俺たちに嘘なんてつくわけがないし、塀が変だったのも確かに見た。だから何かが起きたのは間違いない」
「外から見て分からないなら、入ってみるしかないってこと?」
「俺らには智帆や静夜みたいな知恵があるわけじゃないしな。正直、あいつらだったらもっとマシな案を出すんだろうけど」
「私たちにはムリだもんね」
「そ、ないものねだりしても仕方ないってとこだよ。行くか?」
「行く」
 こくんと頷いて、爽子はようやく笑みを見せる。それに胸が暖かくなるのを感じながら、久樹は再び正門前に仁王立ちした。
 続く並木道と、道を行き交う生徒や職員たちの姿。
 ごくん、と息を飲み込んで足を踏み出す。

 緋色。

 視界いっぱいに緋色の残像が広がった。
「久樹!?」
 爽子が叫ぶ。どうした、と振り向こうとして。
 なにか、白いものが、入り込んできた。
 輪郭をとらえられない至近距離。焦点が合わずに目が混乱する。
 白いなにかに、赤い隈取。ざざざ、ざざ、ざざ、と何かがざわめく音。
 叫びたいのに、なにを叫べばいいのか分からない。とにかく繋いだ手を引き寄せて、爽子を抱きしめようとした瞬間。
 襟首を思いきり強くつかまれた。
 誰何する暇もなく、そのまま一気に背後に引かれる。当然たたらを踏んで、二人同時に激しい音をたてて道路に転がり込む。
 焦点をとらえることも出来なかった緋色のかわりに、視界いっぱいに広がるのは青空と。
「――!!」
 声にならなかった。


 前頁 | 目次 | 次頁
竹原湊 湖底廃園
Copyright Minato Takehara All Rights Reserved.