[最終話 閉鎖領域]

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あれを普通と呼べるのだろうか? 
閉鎖領域 No.05
とろとろと、全てが溶け込んで、誘うように何かを待つあれが、平穏だと?




 久樹と爽子がついてくるのを確認もせずに歩き出した少年の背をおって、二人はあわてて歩き出す。学園から離れる道ではなく、ぐるりと囲む塀にそって走る道を少年は進んでいた。
 昼下がりの街路は、どこまでも穏やかだった。
 体育の授業中と思われる生徒達のにぎやかな声にまじって、さやさやと梢をならす木々の柔らかな音までも聞こえてくる。今ここにあるのは、穏やかな日常だけだった。
 でも、と爽子は思った。
「何時もと同じ学園がここにあるのに。幸恵はここにいるんじゃないのね」
 携帯電話からこぼれた友人の助けを求める悲鳴が、鮮やかに耳によみがえってくる。
 早く助け出したい、早く側に駆けつけて抱きしめたい。
 そう思って、ぎゅっと祈るように両手を組む。
「爽子、ちょっと」
 そのあわせた手を包むようにされて、爽子は目を丸くした。
「久樹?」
 おどろいて顔を上げた視界の先で、急ぎ足で進んでいたはずの少年が、足を止めているのが見えた。首だけを横に向けて、紅茶色のまなざしは塀のおくの光景をじっと見つめている。
「何時もと同じ、か」
 先ほど爽子が呟いた言葉を、静夜が復唱した。
 大きな声で呟いたつもりはなかった爽子は、はっとして口元に手を添える。
 どうしたの、と声を上げようとしたのを、久樹にとめられた。
 二人の存在を忘れたかのように、学園を見つめたまま、少年は白くなるほどに強くぎりぎりと拳を握り締める。
「こんなの」
 低く、あまりに低く囁いて、静夜はゆるやかに首を振る。
 ――どこまでも普通だと、爽子はこの学園を見て言った。
 普通だというのだろうか?
 そう、静夜は思う。
 たしかにこの学園は底抜けに明るい存在に見えなくもない。全てに対して解放的で、学校というものにありがちな、中に入るものを選ぶ特異的な閉鎖感さえ持たないのだ。
 だからこそ、ひどく歪だった。まるで誘っているようだと静夜は思う。そうやって入ってきた人々を一度飲み込むと、抱き込んで放さず、とろとろと溶かし込んでしまうような気さえするのだ!
 元から白い面から、さらに色が抜け、感情も抜け、まるで能面のように少年は硬化していく。
 様子を伺っていた久樹は、その変化に尋常ではないものを感じて「静夜!」と叫んだ。
 少年がまばたきをした。
 ひどく、驚いたような、そんな様子で。
 それで初めて、立ち尽くしていた自分に気づいたのだろう。ゆるゆると首を振り、呼吸を整えてから、少年は苦笑いを口元に浮かべて振り向く
「なに?」と言った声は、どこかかすれていた。
 どんな言葉をかければいいのか分からなくなって、久樹は頭をかく。
「いや、大丈夫かなって思って」
「真っ青になってるよ?」
「ちょっと、考え込んだだけ。それより」
「静夜、あんまり無理すんなよ」
 いきなり距離をつめて、久樹は唐突に静夜の頭をなでた。
 ぽかんとして、静夜はまじまじと久樹の顔を見つめる。一体自分がなにをされているのか、理解できなかったのだ。けれど遅れて理解したところで、静夜は半眼になる。
「久樹さん、実は年齢詐称してる?」
「へ?」
 いきなり問われて、久樹は首をかしげる。
「いや、まだ正真正銘の未成年」
「じゃあ知らないだけで、僕が年齢詐称していたのかな」
「し、静夜君、いったい突然なにを言ってるの?」
 なぜか久樹の背に隠れながら、おずおずと爽子が尋ねた。
「だって久樹さんが僕の頭をなでるから。ヘンだなあと思って、だから実はかなり年齢差があったのかなと思ったんだよね」
 にっこりと静夜は微笑んでみせるのだが、目が笑っていない。
 命の危険をふと感じて、爽子は首を引っ込めた。見捨てるなよ〜と心で叫びながら、それでも静夜の頭にのせた手をはずすことも出来ずに久樹は固まり続ける。
 静夜が大きく一歩下がった。
 当然ながら久樹の手は行き場を失って、空をさまよう。
「で、いまのってなに?」
「いや、その」
「励まそうと思ったとか?」
「そ、ソノトオリデゴザイマス」
「変な日本語やめてよね。まったく、行動がいきなりすぎてどうかと思うよ? そういうところ、雄夜に良く似てるよね」
「俺と雄夜が?」
「雄夜もいきなりそんなことしてくるから。僕が弱っていると思うと、理由もわからないくせにやってくるんだよね」
「もしや、静夜を弱らせる原因が雄夜にあるとか」
「そういう場合もないわけじゃないけど。雄夜は色んな意味で素直というか、動物的なんだよ。色々は考えないで、そのままを理解するから。せっかく人間に生まれたんだから、考えればいいのにね」
「あの、静夜さん? 人間に生まれたことを有効活用してない部分が、俺と雄夜の類似点?」
「べつにそんなことは言った覚えはないけど? 思い当たる節でも?」
「なんか静夜が智帆みたいだ」
 がっくりと肩を落として、久樹は降参というように両手を挙げた。
「そのままの本質を理解できるところが似てる、って言っただけ」
「本質を理解?」
「とても大事なことだと思うよ、僕には……いや、僕と智帆にはきっともう出来ないから。そのままを全て、素直に受け止めるなんてことは。久樹さんは、きっと僕より雄夜を理解できるよ」
「そんなことあるわけないだろ?」
「根っこの部分が似てるし、雄夜は久樹さんのことがかなり好きだし。可能性は高いと思うけど。入院していたときだって、何度も僕らの隙をついて連絡とろうとしていたよ」
「そうなのか?」
 久樹はぽかんとした。
 たしかに久樹は、雄夜の無口さに気おされたことがない。――なんとなく、彼が考えていることが、すべて優しさからきているのだと分かるから、沈黙も嫌ではないのだ。
「なんか照れる。そんなことを改まって静夜に言われると」
「雄夜にはナイショだよ? そうそう、分かってると思うけど」
 つい、と視線を向けられて、爽子は首をかしげた。
「爽子さんが心配してる、爽子さんが苦しんでる、って言って、なにがなんでも連絡を取る!ってきかなかったのは巧だよ。こんな傷だらけであうなんてダメって言ったのは僕らだから、巧には連絡くれなかったとか言わないでやってよね」
「うん」
 子供でありながら、一番に自分のことを守ってくれてきた巧の気持ちに、爽子は涙ぐみそうになる。間髪いれずに「だから泣くのはやめる」といわれて、慌てて涙を引っ込めた。
 久樹は二人を見守りながら、つい、と視線だけを学園に向けた。
「なあ、静夜」
「え?」
 なに、と顔を真っ直ぐに向けてくる。
 だから同じくらい真っ直ぐに彼を見つめて、久樹は問うた。
「さっき、どうして学園を見ながら、辛そうな顔をしていたんだ?」
 あまりに真っ直ぐな質問だった。
 学園から感じる気配に神経を尖らせていた静夜は、とっさに繕うことが出来なくて、一瞬震えた。それをはっきりと確認して、久樹はさらに追及する。
「なにか感じたんだろう? なにを感じたんだ、静夜」
「……もう、やだなあ本当に。やっぱり似てるよ、久樹さんは雄夜に」
「静夜は雄夜に甘いもんな。教えてくれ、静夜がなにを思ったのか」
 真剣な問いに、静夜は唇をつぐんだ。
 そのまま唇を軽く噛み、悩む素振りをしてから、顔を上げる。
「白鳳学園がね、いまも、いつもと同じだと思える?」
 表情一つ変えていないけれど、泣き出しそうだと久樹は思った。だからすぐに返事はせず、爽子のことも促して、ゆっくりと学園をみる。
 あたたかで、おだかやで、いまは眩しくさえ感じる、学び舎の中を。
「俺には、普段どおりの白鳳学園に見える。爽子は?」
「わたしも、同じに感じるわ」
「そう、なんだ」
「見えているのか? 俺たちとは違うものが?」
「そんなことはないよ。見えているものは、きっと一緒だと思う」
 見えるとか、見えないとか、そういうことが問題ではなかった。
「ただ、異様な気配を感じるんだ。闇よりも濃い、なにかがこっちをずっと見ている、そんな気が……」
 それだけ呟いて、静夜はすうっと目を細めた。
 何かを見定めようとするのに似た仕草に、久樹は強く知った。
 誰もより強く、多くのことを知るこの少年が、いま完全に怯えているのだと。
「なあ、お前さ、俺らに隠れてまた無理をしていないか?」
「え?」
「智帆と一緒にではあるんだろうけどな。二人だけで理解して、懸念して、辛い思いをして、解決方法を探してるんじゃないのか?」
「そういうわけじゃないよ。本当になにも分からないんだ。おかしいとか、へんだとか、そんなことしか言葉に出来ないから、言っても意味がないと思ってるだけ」
 この話は終わりにしようと言って、静夜は背を向けようとした。
 だめだ、と。久樹は衝動のように思った。とっさに手を伸ばし、無理矢理静夜を引き寄せる。
「いた!」
 少年が辛そうな声をもらした。
「あ、悪い!」
 慌てて手を離す。
 静夜は目をすがめ、少し責めるような色をたたえながら三歩下がった。
 そのわずかに開いた距離に、問いただす機会を失ってしまったと久樹は知った。
 二ヶ月前、静夜はとてつもない怪我をおわされたのだ。退院はしたとはいえ、無理な力かけられると痛みが出る場所はある。それを、知られてしまったのだ。――爽子に。
 自らが犯した罪の深さに、爽子の顔色はみるみる青くなっていく。
 静夜は似合わぬ舌打ちをし、さっと彼女の前にむきなおった。
「僕たちはちゃんと医者の許可をもらって退院してるんだから、余計な心配は必要ないよ?」
「静夜くん……」
「折角だから、言っとく。僕らは全員町子さんの病院に入院していたんだ。同意書とか大変だったろうに、他の病院にいかせるわけにはいかないって言ってね。退院したあとは、僕と智帆はそのまま康太兄さんのところに、雄夜は実家に、巧と将斗はおばあさんのところに行ってたんだ。だから本当に、無理をしすぎてるわけじゃないんだ」
 一旦言葉をきり、もちろん、と静夜は首を振った。
「痛みがないわけじゃない。でもね、そのことで爽子さんと久樹さんが苦しむ顔をして欲しくないんだ。あれは仕方のないことだったって、思ってる。だから」
 優しく、けれど厳しく言って静夜は笑う。
「悲しみをひきずるだけじゃ、関係はぎこちなくなる一方だと思うから。だから、お互いに気にしない、それでもう決まり」
「静夜くん」
「ほら、爽子さんを支えてよ。久樹さんの役目でしょ」
 にこりと笑って見せてから、気取られぬように静かに、少年は学園を見やった。
 ここは、戻ってくる覚悟が、またついていなかった場所だ。
 日常生活を普通にこなせるまで回復しても、誰も寮の部屋に戻る勇気などはなくて、内藤康太・町子夫妻の元に身を寄せていた、彼と智帆のところに集まって悩んでいたのだ。
「俺たちに、学園に戻る資格はあるもんなのかね」
 そんなことを言ったのは智帆だ。
 だってそうだろう。
 白鳳学園では、智帆たちが編入してくる前から、たしかに不思議な事件はおきていた。
 けれどそれらは、なにか大きすぎる事件をもたらすモノではなかったのだ。
 考えれば考えるほど、自分達が白鳳学園に現れ、そして織田久樹が戻ってきたことが引き金となって、邪気が異常活性したとしか思えない。
 異能力者などそうそう存在してはおらぬのに、惹かれあうように自分達があの学園で出会った。あれさえ、まるで仕組まれた必然だったのだろうか?
 ――噂が悪質なのではなく、実際に自分達が異変を招くのだろうか?
 だから、学園には戻れないと思ったのだ。
 すくなくとも、自分達が異変を招くのではないと、確信できるようになるまでは戻る資格など持たないのだと。
 ――異変など起きてほしくなかった。
 けれど。
 異能力を持つ者など、一人もいなくなったあの学園で。


 また、異変が、起きた。
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