[最終話 閉鎖領域]

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そこは、なにもかもが、ゆがんで存在する世界だった。
閉鎖領域 No.06
切り裂くような鋭さを潜ませて、漆黒の後姿がそこにある


 静夜は紅茶色の髪を揺らせて、首を振った。同時にひらりと手を振り、たしかに浮かべていたはずの迷いと恐怖を外見上から消し去って、「もうちょっとだから」と久樹と爽子に向かって声をかける。
 そのまますたすたと少年は歩き出した。
 心配をさせない毅然とした態度にあわてて「おい、ちょっと待てって!!」と久樹は声をはりあげ、爽子の手を掴んで慌てて追いかける。
 塀沿いにどんどん少年は進み、白鳳学園を半周した形になっていた。弧を描く道路の先に、学生寮である白梅館の後方にある、寮生たちが出入りに使う木組みの古風な裏門が見えてくる。
 久樹でさえ早足にならねばならぬほどに、静夜はさらに速度を上げていく。爽子などは走らねばならない始末で、流石に呼び止めようと息を吸い込んだところで。
 気づいた。
 なぜ、全く気づけなかったのか。
 気づいてしまえば、その存在感はかなりのもので、もう目をそらすことも出来ない。
 風がたわむれるように寄り添って、特徴的なココアブラウンの髪や、まとう服がゆるゆると揺れている。塀によりかかった姿はどこか気だるげで、視線は静夜に投げられていた。
「智帆!!」
 こみあげる激情をあらわす言葉がみつからなくて、名を叫んだ。
 ちらり、と眼鏡の下にある、賢そうな目を智帆は向けてくる。感極まったような久樹の表情に、飛びつかれるとでも思ったのか、前進して静夜の正面に立って彼の両肩に手を置き、くるりと回転させて久樹と爽子に向かい合わせる。
「……っと!」
 真正面から静夜と見詰め合う形になって、爽子を引きずるように駆けた久樹は急停止した。
「やあ」
 とりあえず、といったように静夜が右手をあげてみせる。
 ぱくぱくと金魚のように口を開け閉めしたあと、久樹と爽子は静夜の細い両腕をそれぞれ掴んで顔を出し、背後の少年をおずおずと見やった。
「あのさ、智帆、おれたちのこと、見えてる?」
「見えないわけがないだろ。もちろん眼鏡は装着しているから、認識不可能だったわけでもない。ただ、ああも激しい再会時にとる行動パターンが俺のなかにインプットされてないわけだよ」
 まあこのままは芸がないよな、と静夜の肩に手をおいたままごちて。
「お久しぶり?」
 語尾に疑問符をそえて、智帆は挨拶をしてみせた。
 静夜が耐えられないといったように笑い出す、久樹と爽子は完璧に智帆のペースに飲み込まれて「あ、お久しぶりです」と唱和してぺこりと頭を下げる。
「ところで学園に入ろうとはしなかったよな?」
「え?」
「へー、したんだ」
「「はい、ゴメンナサイ」」
「べつに俺に謝られてもな。で、なに、静夜がとめたわけ?」
「まあね」
「明確な意思をもって入ろうとしてる奴を止める、か」
 そりゃ大変だよなあ、と智帆が肩をすくめれば、静夜は皮肉っぽく目を細める。
「あれは入るっていう表現より、突入が正しいかな」
「あのー、智帆さん、静夜さん、そろそろ許してくれると嬉しいです」
 うなだれた犬のように、二人揃ってうつむいたままふるふると首を振る。智帆は「じゃあ、俺らの前で異常な反応するのはもうなしな」と言って、ニヤっとした。
 俯いたままの態勢で、久樹と爽子はお互いの顔を見合わせた。
 静夜とまったく同じコトを、違うやり方で智帆もいっているのだ。
 ――誰に対しても、特別な態度もとるな、謝るなと。
 呼吸を整えて、二人目配せをして、顔を上げる。
 ごく、普通に。そう、時間を秋に巻戻したかのような態度を取るのだ。――気持ちだけは、冬に抱いた痛みと悲しみと反省を忘れないようにしながら。
「智帆、さっき静夜には言ったんだけどさ。幸恵から電話あったんだ、中でヘンなことがおきてる。……邪気が見える、って」
「へぇ、ちゃんと絆から道を開かせたわけだ」
「将斗でさえ見えない世界を知る方法なんて、数少ないし。まあ、そう考えるのが妥当ってとこだよね」
 当たり前のように静夜が返事をする。
 ああ、これはいつもの、周りの人間が会話についてこれるかなんてちっとも考えていない二人らしい会話だよな、と久樹は思った。同じことを考えたのだろう、爽子も少し寂しそうな顔で何か言おうとして、結果、言葉を見つけられなくて口をつぐむ。
 前なら普通に言えたことだ。
 『勝手に納得するな』とか『説明してほしい』とか。
 けれど、もう言えなかった。教えて欲しい、説明して欲しい、そんな欲望をぶつけて答えを求めるだけの行為をしてはならないと。
 そう、思ったのに。質問以外が思いつかない。
 二人で頼らずに意見を出し答えを導くには、知識があまりになさすぎた。異変の答えを知るには、異変のことを多く知る必要がある。
 ――異変を知る?
 なにか変だ、と思った。
 なにかひどく違和感がある。なにかおかしい。
 だって異変の知識などどうやって蓄えるのだ? よく考えれば、今までに起きた事件の際も、この二人は色々なことを当たり前のように知っていた。でも、なぜ?
「え!?」
 なにかとんでもないことに思い当たった気がして、幼馴染みであり恋人同士でもある二人はハッと目をあわせ、同時に頭脳役の少年たちを見つめる。
 少年たちは先ほどの会話をなぜか中断したまま、久樹たちを凝視していた。
「……なにやってんだよ、智帆、静夜?」
「いや、つっこみがこないなあと思って」
「つっこみ?」
「そこだけで会話を続けるなあ!とか、勝手に納得するなあ!とか」
 物足りないよね、と静夜が言う。こいつら絶対に俺たちをからかって遊んでるだろ、と思わずじと目で睨んだが、二人は憎らしいまでに涼やかだった。
「ははあ、さては、どうして?って聞くだけじゃ芸がないと思ったものの、浮かぶのは質問ばかりで、固まったってトコだろ?」
 思考回路まで見事にばれていて、やれる事といえば、じと目の端に涙でも浮かべてみせるしかない。
 流石に苛めすぎたと思ったのか、静夜のほうがひどく優しい表情で笑って見せた。
「まあ、仕方ないんじゃない? 久樹さんたちは、考えようって思ったばかりなんだし」
 囁くように告げると、静夜が左に、当たり前のように智帆は右に動いた。
 おそらくは二人がわざと隠していた、裏門の中の世界が視界に飛び込んでくる。
 
 そこは、なにもかもが、ゆがんで存在する世界だった。

 天を目指し伸びるはずの竹林は、ぐにゃぐにゃと揺れ動き、天を目指すどころかなにを目指すのかさえもわからない、歪みの象徴だった。
 その中では、地面がどこで、天がどこにあるのかさえ、全くわからない。
 すべてがおかしく、すべてが異常。なのに。
 異常の奥に正常があった。だからこの中では、正常こそが異端でしかない。
 異端は、鮮やかな朱色をしていた。――神の居ます社へと導く、鳥居。
 その特徴的な形にふと門を思った。なにかと、なにかを、繋いでいるモノを。
 鳥居の真下中央には、こちらに背を向けて真っ直ぐに立つ黒き後ろ姿がある。左右には、まるで鳥居の前にしっくりとなじむ狛犬のように、腰を落とした小柄な人影が二つあった。
 見間違えるはずがなかった。
 切り裂くような気配を漂わせる黒い男は大江雄夜だ。
 意識を同調させ、力の波動を完全に合わせて、左右に分かれながらも一つの存在として力を発揮しようとしているのは、中島巧と川中将斗で間違いない。
 名を、呼ぼうと思った。なのに、口腔内がカラカラに干からびてしまって、音が出ない。
 声が出ないなら駆け寄ろうと思ったのに、足までもがいうことを聞いてくれなかった。
「学園の存在自体が、不安定なものに変わってしまっているんだ。どの世界に、どの時空に、存在していたのかさえ忘れしまったみたいなんだよね」
 門の左側に背を預け、空を見上げて静夜が囁く。
 門の右側では、腕を組んだ智帆が目を細めた。
「俺たちが知っている学園に触れることは完全に不可能になった、はずだった。絆がかすかに道を開くまでは」
 首の関節がぎりぎりときしむような努力をして横を向き、久樹は智帆を見つめた。
 爽子はまばたきさえ出来ずに痛みを訴える眼球を動かして、静夜を見やる。
 立花幸恵から電話があったと告げたとき、絆を持ち道が開いたのだろうと二人は言った。
 ――彼らの元にも、連絡は訪れたのだ。
 ”ここ”から消えてしまった”白鳳学園”から。
 納得すると同時に、なぜか全身を襲っていた金縛りがとけた。
 ほう、と息をつく。
 行けよ、というように智帆のまなざしが告げてくる。ためらうことなく、歪む世界の中に足を踏み入れ、雄夜の元を目指した。
 伸ばす手が、もう少しで触れそうになった、瞬間。
 雄夜が切れ長の目を、すっと開くと同時に、まるで、太い糸と糸との端とが思い切り強くはられたような音がする。
「繋がった」
 雄夜が低く言った。それから背後の気配に初めて気づいたように、振り向いて久樹と爽子の姿を認めて目を見張る。
 元々が無口な少年は、特になにも言わなかった。
 ただ、唇の端を少しだけもちあげて、笑ってみせる。
 それだけで、久樹にも爽子にも充分だったから、なにか伝えようとした瞬間、パンッ!と大きな音がして目を見張る。
 狛犬のようにたたずんでいた少年達が、かしわでを打つようにしたのだ。
 ぐらり、とめまいがした。
 いや、違う。
 めまいが起きたのではない。ぐにゃぐにゃとしていた周囲の景色が動き出したのだ!  歪んでいた竹林がザワザワと葉をならし、真っ直ぐに伸びようとする。断片となって道とは呼べぬものになっていたソレが、繋がり先を指し示し、上空には青い色が広がる。
 白鳳学園の、ごく普通の裏門の中が広がっていた。
 慌てて爽子が振り向くと、門の外にいたはずの智帆と静夜の姿がうつり、そして”あるべきものがない”ことに気づく。
「ない」
 ――出入り口がなくなっているの、と電話の先で幸恵がたしかに言っていた。
「久樹、ないわ。ここにはたしかに、出入り口がない」
「出入り口が、ない? じゃあ、ここが」
「そうだよ、久樹兄ちゃん」
 子供らしい声がこたえる。そちらを見やれば、やけに大人びた表情を浮かべて、川中将斗が自身が立つ場所を示すように地面を指差していた。


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