[最終話 閉鎖領域]

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「見極める必要は、もっと早くからあったんだ。ただ、その覚悟がなかった」
閉鎖領域 No.07
仇敵でもみるように目をすがめ、彼は小さな社を見つめていた



「ここが、菊乃のいる、本当の白鳳」
「正常であることが、異端に変わった場所でもあるよ」
 そう言ったのは、立ち上がったもう一人の子供だ。赤茶色のネコのように吊った目が印象的な、中島巧。彼はただ真っ直ぐに爽子の姿をとらえ「元気だった?」と心配そうに尋ねてくる。
 爽子は両手で顔を押さえた。
 巧にあったら、なんと言おう。ずっとそれを考えていた。傷つけた少年たち全てに対して爽子は色々な思いを抱えていたが、巧に対するソレは心の中であまりに大きい。
 彼女はもう知っている。彼が自分を本当に好きでいてくれたことも、それが幼いただの憧れではなかったことも。――だからいきなり手を繋いだり、抱きついたりするような、弟にするような気安すぎる態度は取らなかった。
 巧の目をそらさずにじっと見つめて、爽子はこぼれる思いをそのままに形にする。――「ありがとう」と。ごめんなさいではなく、ありがとうとずっと伝えたかったのだ。
 巧はくすっと笑って、爽子さんは大げさだよと彼女の肩をぽんぽんと叩いた。
 久樹は涙を必死に耐える爽子を見守りながら、そっと視線を周囲にめぐらせていた。
 見慣れた光景なのに、ここは”普通”ではない。
 肌で感じる全てが、ここは異界だと訴えている。
 正常が異端となり、異端が正常となる、閉ざされた世界。
 ――閉鎖領域。
 久樹は意識的に大きな深呼吸を繰り返し、ゆっくりと周囲を見渡し確認していく。
 裏門と学園内を走る道とを繋げる小道と、左右で茂る竹林、視界の先にはマンションに似た姿の白梅館がある。
 通いなれた白鳳学園の記憶と、目の前にあるこの光景とに違いはない――いや。
「なあ」
 声が震えるのを自覚しながら、久樹はじっと右手で茂る竹林の奥を凝視した。
 あんなものは、あっただろうか?
 学園の裏門の側近くに、白鳳神社がひっそりとたっているのは知っている。けれどソレはとても素朴な神社で、鳥居も朱色ではない。
 なのに、いま、竹林の緑の奥ににじむ色はたしかに朱色だ。
 ぐにゃぐにゃと全てがゆがんでいた世界の中に佇んでいた”朱色の鳥居”
「なあ、智帆。……あんなところに、神社なんてあったか?」
「さあね」
「さあって、なんだよ?」
 真剣に久樹が首をかしげると、智帆は唇の端をつりあげてニヤリとする。
「そこに存在していたのか、していなかったのか。その判断は、一人一人で違うからな。俺と静夜は、あれが存在していることを知っている。だが、久樹さんたちは知らず、雄夜たちもおそらくは知らなかった」
 違うか?と、智帆が眼鏡の下のまなざしを雄夜に向ける。
 雄夜は眉根に縦皺をよせて、ただうなずてみせた。
「俺が朱色の鳥居を持つ神社に出会ったのは、静夜たちと知り合い、同じ能力を持つもの同士であると知ったときだよ」
「時期としては、僕もほとんどかわらない。あの」
 細い手を持ち上げて、静夜は住まいとする白梅館の部屋を指差した。
「あそこの部屋から外を見ているときに、なにかに呼ばれた気がして朱色を見つけたんだ。それがどうしても気になって、直接行ってみた」
 長い睫毛に濃い影を落とさせて、目を細める。
 あの時も、裏門へと続く竹林の間にある通路へと足を踏み入れた瞬間に世界の全てが歪み、どこが前で、どこが後で、自分がどこにいて世界がどのような形をしているのかさえわからなくなったのを覚えている。
 くらくらとめまいを起こしながら足を進め、そして静夜は見たのだ。
 すべてがゆがむ世界の中で、凛とたたずんだ鳥居。
 地面にしるべを残し、進むようにと誘うのは白い石畳だ。
「そこでなにがあった、静夜」
 重要なことを告げられていなかった事実に怒りを覚えたのか、雄夜は双子の片割れをやけに厳しい声で呼ぶ。一方的に責める色の濃いそれに、黙って事の成り行きを見守っていた初等部組の一人、中島巧が動いて静夜の前に立つ。
「雄夜にぃ、そんな言い方はらしくない。だってそうだよ、俺たちはいつだって、静夜にぃや智帆にぃが説明してくれるのを待っているだけだったんだから。こっちから聞いたことなんてなかったんだから、そんな言い方はしちゃだめだ」
 静かな、けれでも反論を許さぬ強さは、もう子供のものではなかった。
 異常事態の連続は子供を成長させ、そしてはっきりと知った失恋は、さらなる成長を巧にもたらしている。彼はたしかに乗り越えて、そして強くなったのだ。
 静夜はぽんぽんと巧の肩を軽くたたき、少し笑ってみせた。
「話せなかったんだ、雄夜」
「話せない?」
 智帆には話せて、双子の自分には話せないのか?と続く疑問が漆黒の瞳の中で揺れている。
 静夜はゆっくりとうなずいた。
「……あの神社で同じ体験を智帆がしたって知ることがなければ、智帆にだって僕は言わなかったと思うよ」
 朱色の鳥居に出会ってから、静夜は裏門が使えなくなった。
 そしてまったく同じように裏門を使わなくなり、ソレが視界に入ると智帆が眉をしかめるようになったのに気づいて、静夜はおそるおそる『朱色の鳥居を知っている?』と尋ねたのだ。
 智帆は息をわずかに飲んで見せただけで、返事はしなかった。
 けれど、それだけで、静夜は理解してしまった。同じものを、智帆もまた見たのだと。
 静夜は追求しなかった。だから今の今まで、二人の間で、見たのは朱色の鳥居を持つ神社ではなく、普通の白鳳神社だけということになっていた。
 今までのことを思いながらも、言葉には出来ずに静夜は黙り込む。
 そんな友人にかわるように、智帆は組んでいた腕を解いて右手をあげた。
「異常事態がすでに起きていたのならば、なぜその当時に見極めようとしなかったんだ、とでみ思っているんだろう?」
 挑むようなまなざしを向けられて、雄夜はなにも返せずに眉を寄せる。智帆はせせら笑って、ひらひらと右手を振って見せた。
「曖昧のままにするなど、お前達らしくない、ともな。言いたいことは分かってるよ」
 悪かったな、と智帆ははき捨てた。
 その、目が。
 まるで仇敵を前にするように、激情を隠して燃えている。 
 静夜の伏せたまなざしは、懊悩の色に染められて沈んでいた。
 まったく似ていない双子の片割れも、同じように暗い表情のまま黙り込んでいる。
 これはいい状況ではない、と久樹は思う。だからなにかを言わなければと思うのだが、場にふさわしい言葉が見つからない。
 爽子も、巧も、将斗も、同じ状態だった。
 誰かが硬直を抜けだすより早く、重そうな一歩を静夜が踏み出した。
 覚悟は同じなのか、智帆もまた歩き出す。二人は迷う素振りもなく、みっしりと群生する竹林の中へと突き進もうとする。――道どころか、隙間さえない、竹林の中へだ。
 久樹の腕をつかんでいた爽子が、思わず息を呑んで悲鳴を上げた。
「智帆君、静夜君、あぶないよっ!」
 鳥居に行くなら別の道を探さないと!と続けて叫ぼうとして、爽子は目を見張る。
 竹林が、動き出していた。
 身を奮わせ、まるで意思をもつかのように、ざわめいている!
 ざわざわ。
 ざわざわ、ざわざわ、ざわざわざわ!!!
 それは鼓膜を突き破るような音で、一斉に耳を押さえてうずくまる。
 騒音にうちのめされる中で、平然としているのは静夜と智帆の二人だけだった。
「朱色の鳥居を持つ白鳳神社は、いつだって来訪者を自分で選ぶ」
 耳の中で騒音が反響して、その声がどちらのものかが分からない。
 わんわんと脳の中で反響するそれに吐き気を覚えながら、誰もが必死に立ち上がり、進む静夜と智帆を懸命に追う。
「さっき」
 片手で爽子の手を引き、もう片方の手で耳を押さえた久樹の目の前で、静夜が白い手を持ち上げた。
 紅茶色の髪を揺らせる少年の前に、小さな社がある。
「異変とか異常事態に対する知識を、なんで僕らが持っているんだろうって、不審に思ったのを覚えている?」
 朱色の鳥居の先にたたずむ社を、静夜が細い指が差す。
「ここで」と、囁いて少女のような少年は目を閉じた。
「雷に打たれたと、最初は思ったんだ」
「実際のところ、落ちてきたのは雷じゃなくて、膨大な知識だったけどな」
「僕と智帆は、この朱色の鳥居を持つ神社に狙われ呼ばれて、一人ずつ、色んな知識を唐突に与えられたんだと思ってるよ。別の知識ではなく、同じ知識をね」
「当然ながら、俺と静夜が導く答えは似ることになるわけだよ。ベースが同じなんだ、当然だよな。だからこそ、時々思ったのさ。知りようがなかったとはいえ、与えられた知識を基にして、答えを出して来たのは間違いじゃなかったのか?とな」
 解決してきたと思っていた事件は、本当に解決できていたのだろうか?
 与えられた知識は、解決ではなく、白鳳学園全てが閉鎖された空間に閉じ込められるという事態を、招くものだったとは考えられないだろうか?
 そんなことを、入院している間中、ずっと静夜と智帆は考えてきたのだ。
 考えても、考えても、答えなど出るわけがない。
 二人の苦悩がなにに由来するのかは分からずとも、ひどく辛そうにしていることは分かるので、川中将斗と中島巧は胸が痛かった。
 かけるにふさわしい言葉は相変わらず見つけられないから、駆け寄って智帆と静夜の手を掴む。
 それに触発されて、打ちのめされていた雄夜もようやく動いて、双子の片割れに寄り添った。


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竹原湊 湖底廃園
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