[最終話 閉鎖領域]

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つながらないはずの携帯電話が声を伝える
魔、来たりて No.07
伸ばした手は誰をつかむこともないけれど





「お姉、ちゃん?」
立ちあがろうとした久樹の腕を、菊乃がつかむ。
「菊乃も行く、お姉ちゃんは菊乃のために来たはずだもの」
 立花幸恵の妹は涙をぬぐって立ちあがった。
「菊乃ちゃん」
「将斗くんのことは絶対に菊乃、あきらめたりしないんだから。久樹お兄ちゃんも、爽子お姉ちゃんもそうでしょう?」
 まっ赤になった目で、初等部三年生の子供は強く笑ってみせる。
 久樹はただ肯いて少女の頭をなでた。
 特別な力なんて一つも持たない、けれど望むことも信じることも諦めないこの強さこそが、きっと人を信じられない傷を抱えた心を救ったのだろう。
「行こう、菊乃ちゃん、爽子」
 漣が心得て前に出て、先導するベく扉を開ける。元は邪気であった存在を疑う様子もなく、久樹の服の裾をつかんで続いた菊乃は階段を見てぽかんとした。
「どうしたの?」
 やわらかく爽子が尋ねると、信じられないと首を振る。
「ここ、どこ?」
「え?」
「炎鳳館にしか見えないけど、どうして? だって菊乃は火に追われてここまで逃げてきたんだよ!?」
 興奮して声をあらげ、少女は影のようにそばにある漣だけを従えて階段を駆け降りる。
 教室が整然と並ぶ廊下に立ち尽くし、菊乃は悔しそうに眉をよせた。
 いつだって全てに守られて、たんぽぽのようにふわふわと笑っていた少女の顔に、いま宿っているのは厳しさだ。
「菊乃、なんにも知らなかったんだね」
 火に追われ、化け物のようなものにも終われ、恐怖の中で逃げ惑ったあの校舎そのものがなかったことになってしまうなど、考えたこともなかった。
 きっと将斗は怖いものを沢山見ていたんだろうと思うと、悲しくて仕方がない。
 久樹は爽子と二人階段を下りて、廊下に立ち尽くす少女の隣でしゃがんだ。
「菊乃ちゃん」
 ぽんぽんと頭を撫でる。
「怖いものばっかり見せられてきたワケでもないんだよ。だから、そんなに悲しまないで欲しいんだ」
「……久樹お兄ちゃん?」
「菊乃ちゃんは将斗をちゃんと見てるだろ? だから、きっと分かると思うんだ」
 たずねられて、少女は小さく首をかしげた。
「将斗は能力を嫌ったりなんてしてない、とかな。将斗は光を操る。光の中にある”人”のこと見ることも出来るんだ。そうやって、菊乃ちゃんを救ったこともある。だから」
 大事な人を救ったことがある能力を、将斗が嫌うわけないだろ?と続けて笑ってみせる。
「……うん」
 菊乃は頷いて、また小さく笑った。
「あのね、菊乃は怖くないよ」
「え?」
「将斗くんの力は怖くないの。久樹お兄ちゃんたちの力もきっと怖くないよ」
 だからお兄ちゃんたちの力も今度見せてねと言って、菊乃はまた真っ直ぐ前を見た。
「行こう、お姉ちゃんのところに!」
 勝手知ったる学び舎を、小さな少女と寄り添う灰色の少年を先頭に駆け抜ける。
 誰一人いない炎鳳館に響く靴音。
 それだけが聞こえる校舎を走りながら、久樹は思う。
 ここには沢山の人がいたのだと、菊乃は言った。途中で誰もいなくなって、はぐれてしまったと思ったとも言った。
 ――ならば、ここに居た人々はどこにいるというのだ?
 疑問ばかりで答えが出ない。
 秦智帆なら、大江静夜なら、なんというのか。二人にだけ頼ったりしないと決めたのに、すがるように思い浮かべてしまうのは彼らのことばかり。
 昇降口とは別の、非常口の重い扉を開けた。
「……あ」
 最初に爽子が呆然と呟き、足を止める。
 漣に守られた菊乃はためらわずに飛び出し「お姉ちゃん!」と声を上げた。
 久樹は走り出した菊乃と立ち止まった爽子の両方を見やる。かつて邪気であった漣が間違いなく菊乃を守ると判断して、硬直してしまった恋人の顔を覗き込んだ。
 感情がたかぶりすぎてどうしようもなくなって、結局泣きだすことが多かった幼い日と、まったく同じ様子の爽子がそこに居た。
「爽子?」
 嫌な予感がする。
 もう何度感じたか分からない、その予感が久樹の背筋を凍らせた。
「爽子!」
 今度は強く名前を呼んで揺さぶっていると、久樹の背に菊乃の幼い声がぶつかる。
「お姉ちゃん、おきて!! お姉ちゃん!」
「う、ん……きく、の?」
「うん!! お姉ちゃん、大丈夫?」
「だいじょう、ぶ、だと思う。うん、大丈夫。――あ、ねえ!」
 背後でなされる会話に、久樹は意識を集中させた。
 もう一度聞くことが出来た幸恵の声が泣き出しそうに嬉しい。
 なのになぜ、自分は振り返りもしないのか。
 色を失っていく爽子に視線を固定させたまま、動けなくなっているのはなぜなのか。
「俺は……俺は、どこまで弱いんだよ」
 動けないのではない、動きたくないのだ。
 現実を知るのが恐ろしい。そんなことはないと信じていたい。けれど。
「巧くんは!? 菊乃、巧くんはどこ? わたしを助けてくれて、それで轟音がして……天を貫く柱が……!!」
 幸恵の悲鳴が聞こえてしまった。
 光の柱はすでに二本。
 最初の光がここ炎鳳館のある方角で発生したのを、久樹も爽子も見ている!
「ここに、居たの……」
 爽子が崩れ落ちた。
 ぺたんと座り込んで、手が汚れるのもいとわずに、爽子は地面に爪を立てる。
「ここに立ってたんだよ、巧くん。だって残ってるの、ものすごい力がここに残ってる。巧くんはきっと、ここで」
 ぼろぼろと涙をこぼして、爽子は顔を上げた。
 菊乃を抱きしめて、周囲を探していた幸恵と目が合う。
「なにかにつかまって、動けなくなっていた私を助けてくれたの。大丈夫だよって、巧くんは私に言ってくれたの。ごめん、ごめんねさっちゃん。私のせいだよ、私を助けてそして」
 唐突に光が集まってきたのを立花幸恵は覚えていた。
 光にとらわれ焦りながらも周囲を確認し、幸恵には危険はおよんでいないと理解して、巧が少し笑った姿も。
「光が、光が!! 巧くんを!!」
 穏やかだけれど、気丈な幸恵が泣き崩れる。
 幸恵、と声を上げてかけよろうとした、瞬間。


 まるで非情の宣告のように。
 周囲のすべてに光が走り、そして。


「嘘!!」
 爽子が絶叫する。
 目を見開き、身体を震わせて、容赦ない光景に身体と心をやかれていた。
 閃光が風鳳館の方角からほとばしったのを見る。直後、中等部地鳳館のある方角に光の柱が立ち上った。
 光の中に将斗が消えて、光の柱は生まれた。
 幸恵を守って能力を解放し、光にとらわれて巧は消失し、やはり光の柱が生まれている。
 目の前で中島巧と川中将斗の消失の目撃者となった立花姉妹は、新たに生まれた光の柱を見やって身体を震わせた。
 あまりに悲しいことが続いていることが分かるのに、出来ることはほとんどない。
 だから視線をゆっくりと光の柱からはがし、立花幸恵は友人を見つめた。
 守るように菊乃を抱き込んで、腕の中のぬくもりに力を得る。
「久くん、さっちゃん、行って」
 歌うように幸恵がそう告げれば、泣いていた爽子と、呆然としたままの久樹は、二人同時にぎょっとした顔をして凝視してくる。
 幸恵は二人の視線を誘導するように、身体を斜めにして高等部に行くための道を見やった。
「ごめんね、二人とも。出来ること、なんにもなくて。せめて菊乃と二人で祈っているから」
「お姉ちゃん。……あのね、将斗くんね、智帆おにいちゃんたちのことも大好きだって菊乃にいってたよ。助けに行ってあげて。それから、取り戻す方法を一緒に探して欲しいの」
 お願いといって、菊乃は幼い顔に笑顔を浮かべてみせてくれる。
 久樹は唇を噛み、深呼吸をしてから爽子に向き直る。彼女の頬をぬらす涙を手でぬぐって「行こう」と告げた。
「その前に、わがまま言ってもいい?」
「サチ?」
 珍しいなと答えて、久樹はようやく笑み返すことが出来た。
 幸恵はおっとりとした優しい笑顔で、そっと腕に抱いた妹の髪を撫でる。
「その不思議な力を、出来れば使わないでいて欲しいの」
 涙を必死に押し込めた爽子が、驚いて首をかしげた。
 幸恵からは、得意な能力に対する嫌悪やおびえは感じられない。ならばなぜ?と久樹と爽子が思ったところで、幸恵は言葉を続ける。
「巧くんはね、私を助けるために能力を使ってくれたの。もしかしたらそのせいで、光に飲まれてしまったのかもしれない。だって光が集まってきたのはね、巧くんが力を解放した直後だったから」
 だからそれを使われるのは怖いのと、幸恵は困った顔をした。
 腕の中の妹が、「大丈夫だよ」と唐突に言った。
「菊乃?」
「とられたら、とり返すんだもん。菊乃、あきらめないって決めたの。だから大丈夫」
 将斗のことで本当は泣きじゃくりたいだろう妹の、精一杯強がっての慰めに、姉は目を細める。
 その姉妹を守るように、漣が滑るように前に出た。
『二人は存在に変えても守ります。あなた方は我が主の元に行って下さい』
「主って?」
『水に万物を抱いて、眠らせ再生をはたさせる存在』
 漣の静かな答えに、久樹は”我が主”と告げた舞姫のことを思い出す。
 校門で発生しただろう事件から、人々を――とくに舞姫の関係者でもある本多里奈と丹羽教授のことを、緋色のあでやかさを保ちつつ戦い、守ってみせているのだろう。
「炎によって再生を果たした舞姫は俺を主とよび、水によって再生を果たした連は静夜を主と呼ぶ、か」
 ――俺たちは事件を解決してきたのかね、と言った智帆の言葉がよみがえる。
 解決してきたのか、それとも仕組まれた道筋を歩んできてしまったのか、それはまだ誰にも判断できないけれど。
「救えた存在があることに、間違いはない」
 胸が少し温かくなった。
『行って下さい』
 水の能力をあたえられた漣が重ねて言って、静夜の”結界”に似た力を立花姉妹を守るために織り成していく。
 誰かを守るためによくそうやって力を使っていた大江静夜のことが思い出される。
 中等部地鳳館に新たに出現した光の柱。
 喪失感だけがどんどん胸にあふれて、悲しくてたまらない。知りたくない、知らせたくない、この気持ちが冬に起きた事件の際に最大の逃げをうってしまった原因になったことを知っているのに、また同じようなことを思ってしまっている。
 自分が嫌いになりそうになりながら、それでも久樹は顔を上げた。
「どうしようもないな、俺は。逃げないって決めたのに、また逃げかけてた」
「わたしも同じ。二人一緒だから、頑張れるっていってたのに。二人同時に折れてたら、もうダメだよね」
 泣き笑いをうかべて、爽子は首を振る。
 大丈夫、まだいける、まだすべてを失ったとは決まっていない、そう言い聞かせて久樹は爽子と共にくるりと背を向けた。
「漣」
『なにか』
「俺が頼むのはおかしいかもしれない。でも、俺の大事な友達のサチと、将斗の大事な菊乃ちゃんと頼む」
 そう、告げて。
 再び走り出した。来た道を戻り、風鳳館を目指す。
 
 
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竹原湊 湖底廃園
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